本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第10回目です。 ===================== 第10章 休日 (Recess) この土曜日は、昼頃まで寝てしまいました。なんか雲に乗っているような夢を見ていて、ほんわか寝ていました。起きると、またもや真治君は勉強していました。リビングのソファに座り何か読み物をしていました。弁護士よりよく読んでいますね、頭が下がります。私は、ぼさぼさの頭を掻きながら真治君に昼飯は何か食べたのかと聞きました。「え、何も食べてませんよ。先生が起きるのを待ってたんです。」 「それじゃあ、何か外にブランチでも食べに行こうか。」 「賛成、賛成。」 「それにしても、よく勉強してるなあ。」 「今は、勉強で気がまぎれるし。」 「何食べたい?」 「何でもいいけど、すごくお腹が減ってます。たくさん食べたいな。」 「よっしゃ、それじゃ行こう。」 「どこ行くんですか。」 「着いてからのお楽しみ、ってところかな。」 二人で、さっさと着替えて、車を走らせゴールデンゲートブリッジを渡りました。そのゴールデンゲートブリッジを渡ったところにあるサウサリートという街に着きました。もう霧も引いて天気もよくなり、観光客が多いサウサリートは人でごった返していました。真治君は久しぶりに事件から離れてドライブをして、また、街を離れて楽しそうでした。駐車場からレストランがあるホテルまで店を見ながらだらだら歩きました。観光客用に鮮やかなポスターや絵葉書を売っているお店や何か怪しげな彫刻を怪しげな値段で売っている店を覗き見したりしながら、真治君と私は忙しい街から少し離れて、小高い丘の上にあるレストランに入りました。入り口のホストが席に案内してくれました。 「すごい。海だ。」 このレストランは、丘の上にあるために海が一望できるのです。天気がよければアルカトラズ島や遠くに見えるベイブリッジもくっきりと見えます。気分転換をするには最高の場所なのです。真治君を海に向かって座らせ、私も海の方をしばらく見ていました。 席に座ってちょっとすると顔見知りのウエイターが頼みもしないのにシャドネーの白ワインを二杯持ってきました。 「はい、ビル。元気そうだね。」 「忙しいですか?」 「うん。事件もひっきりなしに入ってくるしね。肉体労働してるよ。あ、この子まだ未成年だからお酒はまだだめだわ。何か、他のもの飲む?」 「そしたら、アイスティーでももらおうかな。」 二人で乾杯をしました。 「ここはね、昼はビュッフェ形式になっているんだよ。だから、お皿を持って好きなもの取ってきな。お腹いっぱい食べても、怒られないからね。」 「そりゃすごいや。」 海では白いマストを張ったヨットが何台も行き来しています。真治君はお皿いっぱい食べ物を持ってきました。カニやエビ、それにパテから野菜からもうなんでもありという感じです。彼の食欲はたくましいものになってきました。 「すごいとってきたね、食べきれるかい。」 「はい、お腹が減ってますから。それにしても本当にきれいですね、ここ。こんなところもあるんですね。」 「僕も気分転換にはこのピュッフェを食べに来るんだよ。素敵なところだろ。」 「本当は僕じゃなくて彼女と来たいんじゃないですか。そういえば、先生彼女いないんですか。」 「たくさんいるよ、でも時間がないから会えないだけさ。うるさいよ、早く食べろって。」 二人でもうこれ以上食べられないというところまで食べ、レストランを後にしました。休みの日でなければできないので、真治君と二人で街をぶらぶらしました。サウサリートには、たくさんのおしゃれなお店があります。もっとも私とはあまり縁がありませんが。それでも、真治君は楽しそうでした。 「この辺ね、お父さんとよく来たんだ。だから、すごくなつかしい。」 「そうなんだ。」 「お父さんは本当はサウサリートに家が欲しかったみたい。」 「きれいなところだもんね。」 「また来られてよかった。食事もおいしかったし。」 真治君と私は歩きつかれて車に戻りました。 「あ~あ、疲れちゃったね、真治君。君が運転できたらしてもらうんだけどな。」 「でも、もう16歳だし、取ろうと思え取れるんですよね。でも保護者がいないからな…。」 「それじゃぁ、今から運転練習しに行こうか?」 「えっ」 「ゴールデンゲートパークのはずれにいけば大丈夫さ。」 真治君はとてもうれしそうでした。私が運転しているのを目を凝らしてじっと見ています。さっき通ったゴールデンゲートブリッジをもう一度渡り、サンフランシスコ市内に戻ります。橋は結構混んでいましたが、晴れた空に真っ赤な橋が映えてきれいです。市内に入ると、海に沿って車を走らせます。海際の空き地で私のボルボを停めました。車のエンジンを切り、真治君を運転席に座らせます。私も助手席に座ったところで真治君に声をかけます。 「まず、自分がアクセルとブレーキを踏みやすい位置にシートを合わせてごらん。それから、バックミラーを見やすい位置に設定するんだ。」 見守っていると、結構器用に合わせます。 「よし、キーをイグニッションに差し込むんだ、そうそう。そして時計回りにキーをひねってごらん。」 ボルボのエンジンはうなりを上げて始動しました。真治君は感嘆しました。 簡単に車の運転の仕方を教えると、真治君に発進するように伝えました。まだ慣れていないので、がっくんがっくん走り出しました。次第に真治君はスムーズに運転できるようになりました。なかなか止める気配もないほど熱中しています。 「もうそろそろ帰ろうか。」 「あ、はい。」 ブレーキを踏んで、席を再度交代した後、私は家に戻るために車を東に走らせました。 「車の運転って案外簡単なんですね。」 「そりゃね。簡単にしなきゃ大変だよな。特にこんな車社会ではね。」 「でも、気を緩めると大変だからね。」 「今度、一件落着したら免許取りたいな。」 「おぉ、そうしなよ。協力するからさ。」 「免許が取れたら、まず先生をドライブに招待しなくっちゃ。」 「どうしようかなぁ、こわいなぁ… ははは。」 今日はのんびり過ごし、真治君もだいぶリフレッシュできたようです。真治君と外で事件にかかわらないことで笑いあったのは久しぶりです。その夜はぐっすり寝ることができました。 日曜日は朝から真治君と私は黒いスーツを身につけました。昨日とは一転して真治君の顔は暗く、私も澄みきった空とは対象に心は沈んでいました。真治君のお父さんのお葬式です。言葉少なに真治君は私の車に乗り込みました。私もあまり語らずに車を走らせます。サンフランシスコ市内にあるフュネラル・ホーム(葬儀場)の駐車場に車を停めて私はスーツを正しました。真治君は車から降りようとせず、シートに座ったままでした。 「真治君、さあ、行こう。」 「僕…行きたくない。」 私は助手席側にまわり、ドアを開け、すわっっている真治君の肩をつかみました。 「真治君、行こう。お父さんが待っている。」 「…。」 「誰よりも君に会いたいんだよ。」 唇を噛んだ真治君の肩を抱きながら葬儀場に向かいます。葬儀場は人でごった返していました。私は真治君を守るように葬儀場の一番前の席まで進みます。もう話すことのない真治君のお父さんが入っている箱から一番近いところに真治君を座らせ、私は後ろの方の席に引き下がります。 「淳平…。」 ジムが声をかけてきました。 「ジム、来てくれてありがとう。」 「真治はどうだい。」 「うん、だいぶ落ち着いてきたみたいだけど、まだいろいろ難題が山積みだ。」 「何かできることがあったら言ってくれ。」 「本当にありがとう。」 私は周囲を見まわしました。真治君のお父さんの葬式には多くの弔問客が来てくれました。いらないことにメディアもカメラを引きずって、日本からも報道陣が来ているようです。幸いにメディアの人は葬儀場には入れないようです。 「ジム、今日、ジャック・ロビンスの親族が来ているかわかるか?」 ジムはきょろきょろしていましたが、肩をすくめて、 「わからないな」とつぶやきます。 その時、私の肩を後ろから軽くたたかれました。マックブライドです。 「これはこれは、マックブライド捜査官。」 私は振り返り、少しばかり笑顔を見せました。 「小山弁護士、ご苦労様です。」 「今日はわざわざ。まさか捜査ではないですよね。」 「事件とは別です。」 「ありがとう。」 私たちは簡単な挨拶をして、握手を交わしました。 式がはじまりました。日本に比べて、式の進行も明るく、真治君のお父さんの新しい旅立ちには悪くありませんでした。葬式を通して、もう誰も頼る人はいないと悟った真治君はずいぶん立派に振舞いました。日本で言うと喪主ですよね。挨拶も淡々と述べていました。 式場の後ろの方に立っていた私は感心して彼の一部始終を見ていました。ゴシップも式場の所々で聞きましたが、何も問題は発生せず、式は無事に終わりました。 一日がかりの行事を済ませた真治君を乗せて言葉少なに車を運転して家に帰ります。私も疲れました。真治君は無言で書斎に引きこもりました。しばらくして彼の号泣が胸を打ちました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第9回目です。 ===================== 第9章 相手方弁護人(Opposing Counsel) 事務所に帰ると、千穂さんが再度カニングハム弁護士から電話が入ったことを私に告げました。 「しつこい弁護士だね。こっちは刑事事件であたふたなんだから、なんなんだい。」 「わかりません。事務所に帰って来たら電話をくれっていう用件でした。」 「はいはい。あ、千穂さん、悪いんだけどコロナーズオフィスに行って、遺留品をもらってくれないかな。あとデス・サーティフィケート(死亡診断書)も。」 「福本さんの事件ですか。」 「そうなんだ。」 私はメッセージが書かれた小さな紙を5つほど自分の部屋に持っていきました。そのメッセージを読まずに、真治君に関する警察の調書をかばんから取り出して、再度読み始めました。ゆっくり頭の中で考えを巡らします。どうみても、この福本家に麻薬があると電話してきて匿名希望さんは真治君を落とし入れようとしています。また、そもそも、無理やり真治君を逮捕して起訴に持ちこませたFBIのやり方があまりにも強引な気がします。毎日学校に行っている真治君がとても、何百万ドルにもなる麻薬を扱っていたとは思えませんし、FBIだって感ずるところはあるはずです。現に、私が爆破の次の日に真治君の家に行ったとき、真治君が麻薬のことを知っていれば、麻薬をどうにでも処分できていたはずです。FBIにしたって、この調書を見る限り、真治君をPrincipal(首謀者)とは決めて書いていません。あくまでも、Accompliceと書いてあります。アカンプリスとは、麻薬事件の場合、ただ麻薬を運ぶだけだったり主要に関与していない者を指すのです。どんなに罪が重くてもミュル(ろば)と俗に呼ばれる運び屋なのです。そうすると、FBIは必ず他に目星をつけていて、現在麻薬のシンジケートの糸を手繰っている段階なのです。どのような捜査の方向性が持たれているのか、マックブライドに聞きたくて仕方ありませんが、どうせ捜査中ということで教えてはくれないですよね。FBIの調書も、真治君を弁護をする上では好都合ですが、事件を究明するための道具としてはあまりにもお粗末です。 あることを思いつき、私は不敵に笑いました。FBIが、もし麻薬組織について解明しようとして行き詰まっているなら、FBIの捜査の手助けをすれば、逆に真治君を助ける駆け引きに利用できるはずです。しかし、今の段階で他の麻薬関連者が捕まらなければ、真治君は捜査のつじつまを合わせるために人身御供にされかねません。FBIとの駆け引きが重要な要素になるところです。作戦を練り上げ、勝負することにしました。なんとかFBIとの駆け引きに勝たなくてはなりません。 FBIに対する対処法を私なりに考えているときに、私の机の電話が鳴り始めました。集中しているときに鳴ったのでちょっとドキッとしました。 「ジュンペイ・スピーキング。」 「ディス・イズ・カニングハム。」 「こんにちは、どのようなご用件で。」 「先日お話したディスカバリーに関することです。」 「ですから、この間お話した通り、証拠開示の請求をカリフォルニア民事訴訟法2030条以下で出していただければ回答します。」 私は非常にうんざりしたような声をだしました。ため息交じりです。 「事件を早急に進めたくてね。」 「理由は。」 「亡くなったロビンス氏のビジネスに関する書類が足りないため、ロビンス設計事務所がうまく機能していないんだ。」 「それは、ロングフル・デスに関係ないでしょう。」 「それが、大いに関係あるんだな。ミスター・フクモトが持っているんだ、ロビンスの書類を。」 「どこにある書類ですか、家の書類はみんなFBIが持っていっちゃいましたぜ。」 「小山弁護士、あなたの意向はわかりました。こちらも然るべき手を打ちます。」 「どうぞ。」 「近いうちに、お会いできるといいですね、事件を進める上で。」 「それは、別に構わないですよ。」 「今日はもう時間がないな、明日はいかがですか。」 「証拠の開示は法律に則りますから、明日というわけにはいきませんよ。」 「それはわかっています。」 「ぜひ、私に明日の昼食を用意させてください。私の事務所に11時半でどうですか。金曜日ですからリラックスして。」 「O.K.」 電話を切った私は、カニングハムがなぜそこまで私に会いたいのか不可解でした。彼は一体何をしたいのだろうと興味をそそられましたが、果報は寝てまてですよね。 刑事事件の申立てが一息ついたところで、今度は民事事件の方も考えなくてはいけないな、と考えを巡らせはじめました。腕まくりをして、コンピュータのオンラインサーチに目を向けます。ベーツ&マコーミックに関する情報をインターネットで引出します。アメリカでも巨大事務所のひとつに数えられる事務所ですから、多くの情報を手に入れることができました。世界規模で展開するベーツ&マコーミックは弁護士が総勢563人、事務所は海外拠点が13、アメリカでも32都市に事務所を持っています。サンフランシスコでも二番目に大きな事務所です。主に世界規模で展開する国際的な企業の顧問を務めています。業務の範囲もM&Aやアンチトラスト(反ダンピング)から、企業の日々の業務上の問題まで、様々な仕事をしているようです。ビクター・カニングハムはサンフランシスコのパートナーであり、20年以上の法廷弁護の経験があるとの記載があります。主な業務内容は民事訴訟、著書も多数あります。 ここで私は眉をしかめてしまいました。法廷弁護を多く手がけている弁護士はディスカバリー(証拠開示)についても相当な経験があるはずです。いや、ジュリートライアル(陪審裁判)やベンチトライアル(裁判官による裁判)よりも、ディスカバリーを多くこなしているはずです。アメリカの裁判では陪審員が使われていますから、裁判が法廷に持ち込まれて、よくテレビや映画になるようなシーンが毎日のように行われているように思われていますが、それは間違いです。訴訟の多くの部分はディスカバリーに割かれます。ディスカバリーがほとんどの事件でカギを握るのです。そのことを熟知しているはずのカニングハムが、なぜそこまでして福本氏側の証拠開示を不合理にも短期間で迫るのか。内容はともあれ、カニングハムの行動を惹起させている動機というものに心が引かれました。一体、亡くなったロビンスとどのような関係があったのか、福本氏とどのような関係があったのか。多分、巨大な法律事務所がらみなのでお金が絡んでいるであろうということは見当がつきますが、具体的な手がかりはありません。考えを巡らせているのは時間の無駄、というように電話が鳴りました。 「ジュンペイ・スピーキング」 「先生、たいへんです…。」 私のクライアントの日本人夫婦で、レストランを経営している夫が倒れて、切り盛りで忙しい奥さんからの電話でした。頭を真治君の事件だけには割いていられないのです。弁護士の仕事は常にマルチ・タスクです。 「どうしました?」 「主人が、もう助かりそうもありません。」 「今どこですか?」 「カリフォルニア・パシフィック病院です。」 「すぐに行きますね。それじゃ…。」 病院から戻ってきたときにはもう午後の3時を回っていました。まだお昼ご飯もたべていません。事務所に帰ってきてからは電話にも出ず、真治君の事件に関してのモーション(Motion:裁判上の申立て)作成に時間を費やしました。法廷弁護人の主な業務の中には、特にアメリカのように判例を重視する国において、法律や判例のリサーチをすることが多くなります。過去にあった事件と今のシチュエーションを比べたり、特別法がないか、裁判官のコメントがないか、入念に調べ上げます。ロースクールの地獄のような3年間はその訓練と勘を養うのです。モーションを書くについても丹念なリサーチが必要となり、相当な時間がなくては良いものができないのです。時間との勝負というのも弁護士の業務なのです。 夜になって、申立書が完成しました。モーション・ツー・ディスミス(起訴取下げの申立て)です。そして、FBIに対するスピーナ(証拠開示請求書)も作成しました。本格的な法廷戦の幕開けです。翌日、検察庁とFBIのサンフランシスコ支局それぞれに送達することを千穂さんに書き残して、事務所を出ました。モーションに対するヒアリング(審理)は法律で最低10日間の猶予を相手に与えなくてはいけないことになっています。今日作成して明日というわけにはいきません。明日から早くても10日後になってしまうのです。日時指定をぎりぎり早くに設定するメモを残すのも忘れませんでした。相手方に猶予の期間が不足しているという異議を申し立てられないように念をいれて再来週の水曜日に設定をしてもらうように書き留めました。申立ての期日は申立代理人が設定できるのです。 家にたどり着いたときにはもう11時になっていました。居間に入ると真治君がもう慣れてきた私のソファで本を広げて読んでいました。 「ただいま。勉強かい?」 「あ、おかえりなさい。昨日先生と話していたこの本、ギデオンのトランペット、すごく面白いですよ。」 「へー、感心だね。夜も遅いのに。テレビの方がよっぽど面白いと思ったけど。」 「ははは、そんなことないですよ。」 私は、私の首をしめようと必死になっているネクタイを解き、Tシャツ姿になりました。ビールを冷蔵庫から持ってきて真治君の近くに座りました。 「もう、読み終わりそうじゃない。」 「そうなんです。最後まで読まないと、眠れそうもないな。」 「おもしろいだろ。」 「法律ってすごいですね。こうやって人を助けることができるんだから。」 「そうだね。世の中には金儲けばかり考えていたり、金を多く持っている方に味方するという弁護士もたくさんいるけどね。やはり、社会やみんなのためを思っている弁護士もたくさんいるんだ。」 私の頭にカニングハムの事務所のことが浮かんできます。資本主義のもとでは、お金を得るためにはとにかく大きな組織にならなくてはいけないのです。大きなクライアントを得るためには、無料の法律相談を月に何百時間もしたり、あの手この手のセールス合戦を繰り広げなければならないのです。 「でも、法律って、勉強するの難しいんでしょ。」 「うーん、どうかな。難しいか難しくないかっていう観点よりも、世の中の仕組みを理解するための手段って感じかな。」 「こないだ弁護士になるのって大変って言ってたけど、どうして弁護士になろうと思ったんですか。」 「うーんそうだなー、アメリカっていう国は人種や考え方も様々だよね。もうめちゃくちゃ。わがままというか、自分のことしか考えていないっていうか。僕はこの国に住んでいて人の生きていく方向性を単一的には捉えられないことがよくわかったんだ。」 「そうですよね。」 「それでね、こんなにばらばらな国でも他の国と変わらず、貧しい人や困っている人っていうのはいるわけで、その人たちを守れるのは法律しかないんだな、って思ったんだ。法律というのはある一定のところで線を引くものだからね。なんとなく、ばらばらな人たちでも、生きていくため、そして生活を守るためにぎりぎりの線というものがあり、それを守ってあげられるのが弁護士しかいないんだね。それで、弁護士になって自分よりも困っている人、自分よりも悲しみを感じている人を助けてあげようと思ったんだ。」 「ふーん。」 真治君は何かを考えている様子でした。 「今まで、弁護士っていうか、法律に関わる人に会ったことがないからよくわからなかったけど、自分でこういう立場になって、やっと弁護士ってどういう職業なのかわかってきました。」 「そうなんだ。何事も経験だよね。ギデオンの場合、牢屋に入れられて、相当ひどい待遇に遭っていたんだね。たぶん暴力を振るわれたり、いやがらせをされたり。囚人と言う立場だから力関係では本当に弱者だよね。ギデオン自身教育もなかったから、基本的に何もすることができなかった。ギデオンは牢屋の中で起こっている暴力や嫌ががらせについて一所懸命メモを書いて最高裁判所に訴えたんだ。勇気があったんだね。それで、しばらくして最高裁判所がギデオンの事件を取り上げたんだ。そのことがきっかけとなって全米中の刑務所で囚人の待遇が改善された…。あ、あんまり話しを言っちゃうと本が面白くなくなるね。」 「大丈夫です。もう終わりの方ですから。」 「アメリカでは、弁護士が多い多いって言われているけど、世の中には人権を踏みにじられている人がたくさんいる。社会を改善していくために弁護士が必要だとすれば、まだまだ足りないくらいなんだ。日本では、弁護士の絶対数が少なくて特権階級のように思われているけど、そのような位置付けの人たちが本当に弱い人たちを助けていけるかと言うと力的に不足しているんだよね。これからは変わるだろうけど。」 「先生、ほかになんか読む本ないですかね。」 「法律関係でか。いやに熱心だね。」 「弁護士っていう仕事にすごく興味が沸いてきました。」 「ははは、それは頼もしいや。まあ、明日は金曜日だから、週末はゆっくりしよう。まだ、真治君とは二人でゆっくりしたことないもんな。」 「はい、それじゃ勉強しています。」 真治君は私の書斎、いや彼のベットルームに帰っていきました。 残飯処理係と化した私は、冷蔵庫で目に付く食べ物を口にしながら冷えたビールで喉を洗っていました。明日の昼ご飯はさぞおいしいものをカニングハムにごちそうしてもらえるでしょう。 金曜日の朝も相変わらずの晴れでした。真治君は早起きして学校に向かいました。私は早朝の出廷もなくちょっとのんびり気分で、ピーツ・コーヒーに向かいました。スーツは着ていません。アメリカでは金曜日をカジュアル・デーと冠して、スーツを着ずに私服で出勤することが当たり前になりつつあります。私もデニムパンツに洗いざらしの襟付きシャツをつけて車に乗りこみます。コーヒーと、奮発してチョコレート・クロワッサンを買い事務所に向かいます。ひっきりなしの電話の応対や書面の作成をしているとあっという間にカニングハムとのアポの時間が近づきました。 「千穂さん、昼ご飯は例のカニングハムとすることになったから行ってくるよ。」 「あ、あのしつこい電話の人ですか。」 ちょっと千穂さんは眉をしかめていました。 「そうですか。了解しました。お気をつけて。」 「はい。」 私はエレベータに乗りこみ、金曜日と言うこともあってリラックスした雰囲気のビルを出て、カニングハムのいるビルに徒歩で向かいました。高層ビルの間から青空がのぞいています。 サンフランシスコのダウンタウンは、他のアメリカの都市と変わらず道が桝目状にまっすぐ通っています。ですから、目的地に向かうのにどの道とどの道が交差しているのか聞くだけでおおよその位置が把握できます。カニングハムの事務所は私の事務所からそう遠くないところにあります。 道では、週末の予定を話し合うカップルや仕事の合間に立ち話をする人たちにたくさん出会います。道端のお花屋さんでは、グラマラスな花が太陽に顔を向けています。カニングハムの事務所は海のそばに4つの大きなドミノのように立っているエンバカデロビルのナンバー1にありました。エレベータに乗りこみ35階を示すボタンを押します。私の事務所があるおんぼろビルとはぜんぜん違います。すべてが現代的に金属で光り、エレベータの乗り心地もカプセルに入っているようです。35階にはあっという間に着きました。エレベータを降りると、目の前には大きく「ベーツ&マコーミック」と金色で彫られた文字が見えます。そのうしろにはレセプションのきれいなお姉さんが座っていて、そのまたうしろにはアルカトラズ島を含めてサンフランシスコ湾が一望できるガラス張りのコンフェレンス・ルームがあります。この景色に心を打たれてお金を落としていくクライアントも少なくないのでしょうね。 きょろきょろしてばかりいると警備員を呼ばれかねないので、そそくさとレセプションに近づき、自分の名前を名乗りカニングハムに会いたいことを告げました。 「ヒー・ウィル・ビー・ライト・ウィズ・ユー(すぐに彼は来ます)。」 雑誌から飛び出してきたような白い歯を見せて彼女はにっこりしました。 「ありがとう。」 私は、目にした革のソファに腰掛け、置いてあった雑誌に目を通しました。私は11時半ジャストに来たのですが、カニングハムは11分ほど私を待たせました。音もなく出てきたカニングハムは私の握手を求めました。 「ファイナリー・アイ・ゴット・ホールド・オブ・ユー(やっとあなたを捕まえることができました)。」といって私の肩をたたきました。 「ユー・ガット・ミー(捕まれられました)。」 私はカニングハムの目を見て笑いながら手を握り返しました。私よりもちょっと背が低い男で、目は真っ青です。頭はダークブロンドで、7・3に分けています。顔はどちらかと言うと四角い感じがしますが、鼻は高くちょっと赤くなっています。卒がないダークグレーのスーツを着て、光沢のあるえんじのネクタイを締めていました。スーツは非常に高価そうな生地です。どうせ私のスーツが10着分買えてしまうくらいの金額なのでしょうね。 耳まで届きそうな笑いを浮かべながらカニングハムは私を会議室に招きました。会議室は全部で10室ほどあるらしく、私が通された部屋は、更に海に近い角部屋でした。 カニングハムは私を海に向かって座らせ、自分は向かい側に腰をおろしました。一息つくと、カニングハムが切り出しました。 「小山弁護士、事件よりも何よりもびっくりしました。」 会議室にカニングハムの低い声が響く。 「は、なんでしょう。」 「あなたは三谷弁護士と働かれている。」 「聞きました。あなたも以前はPD(パブリック・ディフェンダー)だったって。」 「あの頃は、楽しかったです。がむしゃらでした。」 「PDの事務所は体力勝負ですからね。」 「三谷弁護士はおとなしいですけど、すごく頭が切れる人です。」 「…。学生時代からの友人だとか。」 「一緒に勉強会をしたものです。司法試験も一緒に勉強しました。」 「それにしても、こうも人生が違ってくるなんて…。」 わたしはきょろきょろ部屋を眺めました。テーブルから何から何まで高そうなことがわかります。壁には青い空によく映えるピンク色の大理石が施されています。私は、クライアントはこの会議室で会議をしていて、こういう壁やテーブルにお金を払っていることを知っているのかなと考え、もし知っているとすれば物好きだなと思ってしまいました。まあ、なんでもよいですが同じ法律の勉強をして、同じ試験を受けて、弁護士になってここまで違うのかと感心してしまいました。私の考えに気づいたのかどうか、カニングハムは仕事に話を向けました。 「ジャック・ロビンス氏の奥さんは非常に悲しんでおられる。」 「お察します。」 「これからの生活を考えなくてはならない。」 「そのためにこの裁判を提起されたのでしょ。」 「小山弁護士、あなたも私も納得できる和解に至るためには少なくとも、偽りのない情報開示が必要だ。」 「カリフォルニアの民事訴訟法でそう規定されていますよね。だから私は法律に則る証拠開示には同意しています。今から、そちらで証拠開示請求をすれば、20日後にはあなたのお手元に必要書類を届けますよ。」 「そうだな、まずその事務を済ませてしまおう。」 カニングハムはファイルの中から、書類の束を選び、私に投げるように渡しました。題目は「書類開示の請求(Request for Production of Documents)」。ぺらぺらと中を見ながら、ずるいやつだな、と思いました。私がカニングハムに言ったように、書類の開示請求は請求があった日から20日以内に書類を提出しなくてはなりません。これは法律で決まっています。ところが、郵便で請求を送ると20日間に加えて、法律上5日間猶予が相手方に与えられてしまいます。ですから、直接手渡せばこの5日間を節約できるのです。昼飯ごときで相手を呼び出しておいて手渡しするのはずるいですよね。私は顔色ひとつ変えずに、 「確かに受け取りました」と事務的に答えました。いくらでも防御策はあります。 「ところで、どのような書類や情報をお探しですか。」 私は切り出しました。 「電話でも言ったと思うが、ロビンス設計事務所はあまり今、機能していない。大事なデータが見つからないのだ。」 あっ、と思いました。コンピュータのデータのことを言っているのでしょうか。 「大事なデータが入ったコンピュータかなにかあるのですか?」 「それもあるが、手帳なども見当たらない。」 ということは、相手方はロビンス氏の持っていたコンピュータは回収しているのでしょうか。そのデータが見たい。私は押すように言いました。 「カニングハムさん、ロビンス氏が持っていたコンピュータというものがあるのでしょうか。」 「ははは、そのデータが見たいのですか、小山弁護士?」 一瞬、わきの下に汗を感じました。 「なにかの役に立つかもしれませんしね。」 私はなるたけ平然といいました。 「それはできません。あくまでもこちらの証拠開示請求と同時履行で行こうじゃありませんか。」 「もっともですな。」 カニングハムは身を乗り出して付け加えました。 「小山弁護士、私はロビンス、福本両氏がどのような行動をとっていたために、爆発に巻き込まれたのか、確かめたいのです。」 その答えはもっともです。 「具体的にはどのようなものをお考えですか?」 「…。それはあなたからの開示を待って考えていきたいと思います。」 確かに、この答えももっともです。私が何を開示するのかを見極めたいのでしょう。今からカニングハムがヒントをくれるわけないですからね。まあ、開示に関してはカニングハムとやりあうことになるでしょう。 「ところで、お腹空きましたね。カニングハム弁護士と昼食を一緒にできるということで楽しみにしていたんですよ。」 「これはこれは、それでは行きましょうか。」 先に立ったカニングハムは、私を促し、事務所の長い廊下を歩き始めました。さっきカニングハムから受け取った書類開示請求は、折ってデニムパンツのポケットに突っ込みました。それを見てかすかにカニングハムは顔をしかめたようです。私は気にせず、大理石やら桜の木の板でちゃらちゃらした事務所を早足で歩き、カニングハムとエレベータに乗りこみました。ビルを出たわれわれは、しばし無言で歩きました。 ちょっと歩いたところに、カニングハムが招待してくれたレストランがありました。建物の1階で、ちょっと落ちついた雰囲気の店です。彼は私を促して、店に入りました。ちょっと暗い照明にマホガニーの壁がしっくりきています。カニングハムを見とめた給仕は、笑いを顔いっぱいに浮かべ、外の景色が見えるブースにわれわれを座らせました。 「ここはコブ・サラダが有名なんだよ。」 「へー」と言いつつ店内を眺めてみます。午前中の仕事を終わらせた様々な団体が、声をあげながらフォークとナイフを動かしています。12時ちょっと前だったので、まだ満席ではありません。おや、と思ったのが、私の斜め前の席で昼食を待っている三人組の男なのですが、この暗い店内でサングラスを外していないんですね。カニングハムにそのことを言うと、そちらを見向きもせずに、うなずきながらメニューを上から下まで眺めていました。 「決まったかね。」 「コブ・サラダにしてみます。」 「そんなに大きな体で、それだけでいいのかね。」 「充分です、はは。」 料理を待っている間、カニングハムは三谷先生との思い出を語り始めました。それでも、あたりさわりのないことばかりを言っています。私は突っ込みました。 「どうして、PDを辞められて、ベーツ&マコーミックに移ったのですか。」 「うん、それはね、いろいろあったけど、大きな事務所での仕事もしてみたいと思ってね。」 「でも、大きな事務所では、PDの時のように、人助けとか人権問題とか、あまりできないのではないですか。」 「そうだね、それでも人権団体に寄付や援助はしているんだ。」 「寄付ですか…。」 「ベーツ&マコーミックは多額の寄付をすることで人々の役に立っている。」 「ご自身では、なにかプロ・ボノ(Pro Bono:無給弁護)をされないのですか?」 「私自身はなかなか時間が取れないが、私のアソシエートにはさせている。」 威厳を保とうと思ってか、カニングハムは胸を張って答えました。 サラダが運ばれてきました。アメリカのレストランでの一食は日本での二食、三食に匹敵するでしょうね。すごい量です。それをパクパク食べました。会話はあまり弾まず、料金は取り合いの末、カニングハムが払うこととなり、レストランを後にしました。「またお会いしましょう」とおざなりの挨拶を交わし、私はカニングハムと別れました。カニングハムとの食事はまぁまぁでしたが、歩きながら証拠開示請求をポケットから取り出し、詳細を読みはじめました。私は唇を噛みながら「汚い事するよな、カニングハムさん」とつぶやきました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第8回目です。 ===================== 第8章 刑事第1回公判 (Arraignment) このところ毎日、真治君の事件をやっていたので、他のクライアントに迷惑をかけることになっていました。千穂さんが対応してくれていましたが、やはり、私がいないとどうにもならないことが発生してきます。というわけで、水曜日はクライアント、相手方の保険会社や弁護士、それに裁判所に納得をしてもらうことで、1日使っていました。 日本から帰ってきてから、なかなか思うように執務がはかどりませんでしたが、三谷先生や千穂さんに助けられて、なんとか水面上に頭を出したまま、泳げています。今日の昼ご飯は三谷先生がおごってくれるそうです。 三谷先生と二人でサンフランシスの街を歩くのも久しぶりです。とりとめもない会話をして、中華街のいつも使っているレストランに歩いていきます。上着は事務所に置いて、腕まくりして歩いても風が気持ちよい日です。もう6月に入りました。春が夏に滑り込んでいきます。 「真治君、どうしてる。」 「おかげさまで、元気にしてます。最初に会ったときとは見違えるほどです。」 「なんか、民事事件にもなっているんだって?」 「そうなんですよ、ロングフル・デスの訴訟です。爆発のとき一緒に旅をしていた、ビジネス仲間の遺族なんですけどね。」 「時間的に見て、ちょっと手際がよすぎるね。相手の弁護士は誰だい?」 「ベーツ&マコーミックです。」 「あの、大きな事務所か。」 「ビクター・カニングハムという弁護士が担当です。」 「ビック…。」 「ええ、ビクター・カニングハムです。」 三谷先生はちょっと考えて、にこにこした顔の笑いを消しました。 「先生、カニングハムをご存知なんですか?」 「うん。僕と彼はロースクールを一緒に卒業した後、パブリック・ディフェンダー事務所(公選弁護士事務所)でも一緒に仕事をした。ものすごい切れ者だよ。僕と彼は、大きな事務所からの誘いを断固として断り、貧しい人のために、そうだな、月、当時の手取りで7万円くらいで仕事をしていた。」 「そうなんですか。」 「淳平だって、大きな事務所からの誘いを断って、私の事務所で仕事しているんだから、その弁護士としての情熱はわかってくれるよな。」 自分の熱い過去を思い出したかのように、三谷先生は私の目をみました。 「ええ、わかっています。」 「ところが4年ほどして、彼は突然パブリック・ディフェンダーの事務所を辞めた。」 「理由は?」 「わからないが、われわれの事務所にとっては大きな痛手だった。その後突然、ベーツ&マコーミックに移っていった。それからは話してないなぁ、奴とも。」 「そうだったんですか。」 「私も、10年ほどパブリックディフェンダーの事務所に勤めて、今の自分の事務所を開業したのさ。」 歩きながら、三谷先生は回想を続けていました。 いつもの中華料理屋で、いつもの店員に会って、いつもの昼ご飯を食べて、事務所に戻りました。食事中は、私が真治君の事件で手一杯になっている間、手助けしてもらっている事件のことなどを話し合いました。事務所に戻り、仕事に戻ると、タイミングよく千穂さんが電話を取り次いでくれました。受話器を持ち上げて、 「ジュンペイ・スピーキング」と言うと、 受話器の向こうから、初老のバリトンのような滑らかな声が聞こえました。 「カニングハムだ。」 あのロングフル・デスの相手方弁護士です。 「昨日、フォン・タッグ(電話が行き違いになること)をしてしまってもうしわけない。訴状はいただいています。」 「君がシンジ・フクモトの刑事弁護人だと聞いていたものでね、君に民事の方も請負ってもらおうと思い、そちらの住所に送達した。」 「ご用件は?」 「ディスカバリー(証拠開示手続き)を早急に進めたいと思ってね。」 「カリフォルニアの民事訴訟法に基づいてならいくらでも応じますよ。現時点では、インテロガトリーズ(Interrogatories:質問状)やリクエスト・オブ・プロダクション(Request for Production:書面開示請求)をいただいていませんが。受け取り次第、所定の時間内に証拠開示にお答えしますよ。」 「我々は早急に事件を進めたいと思っている。協力がいただけないなら、裁判所に申立てて証拠開示の進行を早めようと思っている。」 「そこまでして、開示を早める理由はわかりませんがねぇ。言ってみれば死者の訴訟でしょ。こっちも刑事事件で忙しいしね。」 「協力が得られないんだね。」 「民事事件については証拠開示を早めてこちらに特になる理由はないですからね。」 「バイ。」 用件が済むと、さっさと電話を切ってしまい、ちょっと嫌な印象がしました。それよりも、なぜ証拠開示を急ぐのか、首を傾げてしまいました。電話を切ると、コロナーズ・オフィスから、福本氏の遺体を引き取る許可が出た知らせが入りました。すぐに葬儀屋と打ち合わせをして、今週末に葬式をあげてもらうことにします。 明日は朝8時半から真治君の第1回の刑事公判です。予審で真治君が保釈がされたので気分的には楽ですが、私の興味は明日には出てくるFBIの調書です。日がとっぷり暮れて、帰宅途中にサンフランシスコ名物、サワードウのパンをベースにしたツナ・サンドイッチを買いました。今日は尾行はないようです。神経を周囲に払いながら家にたどりつきます。真治君は、自分に起こっていることを忘れるかのように、読書に没頭していました。 「帰ってきたぜい、お腹空いたろう。」 「空きました。」 「僕の大好物のツナサンドを買ってきたよ。」 「わ、おいしそう。」 「さ、食べよう、食べよう。」 今日、学校であったことを真治君に聞きながら、二人向き合ってウォークマンより大きなサンドイッチにかぶりついていました。平和に真治君の1日も過ぎたようなので、ほっとしました。 「このサンドイッチ、『たれ』がいいですね。タルタルソースみたいで。」 「だろ、秘伝なんだって。」 「…、明日は学校に休みの届けを出しておきました。」 「そうか。」 真治君は、あまり苦痛な表情は見せていません。 「刑事事件の1回目の裁判をアレインメントっていうんですよね。」 「え、よく知っているね。」 「学校の図書館でいろいろ本を見てたから。」 「なに、裁判の本を見てたの?」 「自分が巻き込まれているから、自分なりに理解しようと思って。」 確実に真治君は強くなってきました。いや、心の中でがんばっているのです。 「それで、図書室のスティーブおじさんがこの本を貸してくれました。」 差し出された本を見るとギデオンのトランペット(Gideon’s Trumpet)と書いてあります。ギデオンは一囚人でしたが、囚人たちに対するあまりにもひどい待遇に対して黙々と裁判所に請願書(Habeas Corpus)を書きつづけ、ついにはアメリカ最高裁にまで問題を提起して勝ったノンフィクションのお話の主人公です。 「これは、いい本だ。どんなことでも勇気を持てば、人の意見も変わる、そして法律も変わる、それを教えてくれるよ。」 「読み始めたばかりだけど、楽しい。」 「明日は早いから、寝なよね。」 「はい、そうします。」 「あ、そういえば、君のお父さんの遺体をもう引き取って、今週末には最後のお別れになるからね。つらいだろうけど、お葬式には出るんだよ。」 涙が込み上げてきている真治君は、ギデオンのトランペットを抱きしめて、おやすみをつぶやいていました。 次の朝は、6時に目が覚めました。真治君の法廷です。なぜかアメリカの法廷弁護士はダークスーツと決まっているので、私も髪がたけのこのようになっているにもかかわらず、ダーク・スーツを身に着けました。スーツはあまり好きではありません。首をしめられるというか。そもそも、アイロンが大変ですからね。たけのこのようになった髪の毛と書類を整えて、準備完了です。真治君も襟付きのシャツを着て、しゃきっとしています。ちょうど1週間前に私がはじめてあったときの華奢な体で震えていた真治君とは見違えるようです。 ポンコツのボルボに乗りこみ、いよいよ出発です。私はいつものところでコーヒーを買いましたが、真治君はいらないと断りました。連邦裁判所の建物は、巨大なさいころに窓が無数についているようなそっけないものです。1階は非常に大きな広場になっており、天井は様々なデコレーションが施されています。昼でも薄暗いため、シャンデリアが煌煌とついています。歩く音もよく響くように設計されているのでしょう。革靴で踏みしめる一歩一歩が所内に響きます。ネクタイを締め直し、守衛さんがいる入り口付近にあるカレンダー(法廷期日)を確認し、第14部に足を運びます。第14部は刑事未成年者に対してのみ審理を行います。 観音開きで、私の背の二倍はあろうかという高い木でできた扉を開けます。歴史を物語るアメリカの裁判所を感じさせます。少年に対する審理のみを扱う刑事法廷ですから傍聴席に人はあまりいません。シェリフ(廷吏)にラインナンバーを告げ、チェックインします。真治君には小声で簡単な打ち合わせをした後、傍聴席に座っているように合図しました。実際に審理されるのは3件のみのようです。事前に、法廷内の裁判官席に向かって右側に座っている検事に名刺を渡しました。バード検事は予審専門の検事ですから、今日はまた違うマラック検事という40代の黒人の男性検事です。裁判所では、予審と本裁判は違う検事や裁判官が担当するのが普通なのです。また令状を発行する裁判官も違うことがほとんどです。真治君の家の捜索令状もカー判事という今回の判事とは違う裁判官が発行してましたよね。 弁護人席に座っていると、シェリフが「オール・ライズ(全員起立)」と響く声を発しました。私も起立して、スーツのボタンをかけながら、裁判官が席に着くのを待ちます。裁判官が「ユー・メイ・ビー・シーテッド(You may be seated:着席ください)」と言い、審理が始まります。裁判官席のすぐ下に、速記官と書記官が座って忙しく動いています。 真治君の事件は3番目に呼ばれました。真治君を指で手招きすると、傍聴席と裁判官や弁護士がいる部分とを分けた柵を越え、真治君が私の横に立ちました。この柵をBARということから、司法試験に受かることがBARを越える(パスする)と呼ばれるようになりました。 裁判官は被告人である真治君に簡単な人定質問をし、私にプレア(罪状認否)を求めました。 「裁判長、ノット・ギルティー(無罪)を主張します。またタイムはウェーブ(迅速な裁判を受ける権利を放棄)しません。」 通常の刑事裁判は被告人側の時間を稼ぐために迅速な裁判を受ける権利を放棄しますが、私はFBIや検察にプレッシャーをかけるため、放棄しませんでした。放棄するなら、あとからいつでもできるのですから。 裁判長は迅速な裁判を受ける権利、つまりアメリカでは80日間ほどで陪審裁判まで持っていかなくてはならないので、その面倒くささからか少々いぶかしげな顔をしました。 「タイムはウェーブしないのですね。」 裁判官は確かめました。 「その通りです。」 身動きせずに手に持ったペンをいじりながら立っていた私は断定的に答えました。 マラック検事も私の顔をじっと見ています。検察側にとっても仕事が格段に多くなります。すべての証拠調べを80日程度で終わらせなくてはいけないのですから、一苦労です。FBIにもその旨が報告されるでしょうが、80日経った段階ではマックブライドも証言台で「まだ捜査続行中です」とは言えないでしょうから、これは私からの挑戦です。 「弁護人、わかりました。他に何か。」 「ファイルにある警察の調書をいただきたい。」 「アプローチ・ザ・ベンチ(裁判官席のほうに来てください)。」 一段高い裁判官席に近づき、約両面印刷で20ページの調書を受け取ります。 「弁護人、次回の期日は来週の水曜日でよろしいでしょうか。」 自分の手帳を見て肯定的に答えて、閉廷しました。何もしゃべっていない真治君は拍子抜けしていたようです。 法廷から出て、廊下にあった木の長いすに腰掛けて受け取ったばかりの調書をとにかく見ました。ぺらぺらめくっていると、私の興味と真治君の興味は違うようで、彼は今の法廷について質問をしてきました。 「案外、すぐ終わりましたね。」 「第1回目の公判というのはこんなものなんだよ。」 「一体どうなったんですか。」 「君の無罪を主張した。その後の実質的な事件の進行については来週の水曜日からになるね。」 「いつもこんな感じなんですか。」 「大抵そうだね。アメリカではほとんどの刑事事件を否認することからはじめるから。」 「来週の次回の公判はどのようになるのですか。」 「来週からは、実際に君が起訴されている事実について実質的に議論していくことになる。」 「それじゃ、また学校を休まないとならないんですか。」 「もう、君は出廷しなくてもよい。法廷内でやりあうというよりも、この間みたいに裁判官の控え室でインフォーマルに話し合うんだ。もし話し合いがつかなければ、裁判に突入だけどね。」 「そうですか…。」 「来週は僕が何とかできそうだから心配しないで。」 私は真治君の肩をたたき元気付けました。 調書を読むのを後回しにして、真治君を学校に送り届け、私は事務所に向かいました。事務所に行く途中、昼ご飯を食べながら調書にすべて目を通しました。調書を読んでわかったことは、麻薬の入ったかばんが爆発したこと、何らかのリモートコントロールにより爆破されたのではないかということ、その爆破したかばんは福本氏のかばんだったこと、アノニモス・コーラー(匿名者)が電話で福本宅に麻薬が隠してあることをFBIに告げたこと、福本宅で見つかった麻薬は特定できないが南米からのシンジケートからのものであることなどでした。真治君はアメリカに送られる麻薬のルートの一部を担っていたと記されています。真治君を有罪にできる直接的な証拠は何もありません。起訴状によれば、真治君は悪意(内容を知っていながら)でヘロインを自宅に隠し持ち、またその所持は売ることが目的であったと記載されています。これだけの事実記載なら検事と対等に渡り合えそうです。がぜんやる気が出てきました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第7回目です。 ===================== 第7章 証拠 (Evidence) いやはやブリトーに満足した私は、銀行の駐車場から車を出しました。何気なくバックミラーを見ると、さっき私の車の後から入ってきたクライスラーの車がついて来ます。白人の男二人組です。こんなに午後早く二人組の男というのもなんだね、と思いつつ車を、ファイブ・スター・パーキングがあるサンフランシスコの郊外、サンマテオに走らせました。 フリーウェイ(高速道路)に入ろうとしたとき、必ず二台か3台の車を挟んで、さっきサンフランシスコの町で気づいた銀色のクライスラー・スリーMがついて来るのを見て、尾行だと確信しました。このままでは、また近いうちに頭を殴られてしまうかもしれません。私は、減速し、サンフランシスコの野球場があるあたりのランプでフリーウェイを下りました。どうしようかなと考えて、目に付いたマクドナルドのドラブスルーに入りました。銀色の尾行していたスリーMは躊躇したようですが、私がドライブスルーに入るのを見届けて、その出口付近で、待っている様子でした。さっきブリトー食べたばかりなのにそんなに食べるわけないじゃないですかね。私はドライブスルー出口で私が出てくるのを待っている尾行者を尻目に、後続車が来ていないドライブスルーを思いっきりバックして遁走しました。再度フリーウェイに入り、一番左側の高速車線をスピード制限である65マイルを大きく超えて、突っ走りました。とはいうものの、私の車では100マイル出すのが精一杯です。しばらく高速走行しても銀のスリーMが見えないので、やっと一息つきました。 しばらく走行してサンフランシスコ空港に近くなりました。方向音痴の私は勘のみでランプを選び、フリーウェイを下りました。どこにしようかな、という勘は司法試験の時の択一試験で養われたものといってよいでしょう。広大なファイブ・スター・パーキングは、当たり前ですが、空港の近くにありました。空港に行く人たちのためにあるのですね。入り口から入ろうとすると、中国系の係の人が、まるで広東語を聞いているようなアクセントの英語で、何日くらい停めるのだということを聞いてきました。「停めるわけじゃなくてね、」というと顔をしかめましたが、「お金を払いにきた」というと顔をほころばせました。単純でよろしい。請求書を見せて、決して安くないデポジットを払うと、車を見に行きました。ところがこれまた一大事で、大きな駐車場でどのベンツを探せばいいのやら。請求書にはライセンスプレートの番号が書いてありましたから、延々と数字遭わせゲームをしていました。 20分ほどさまようと、薄く埃をかぶった福本ベンツを見つけました。モデルチェンジ前のオムライスの型のような大きな黒いベンツです。周囲を見まわした私は、ドア付近にも他と同じ位の埃が積もっているのを確認し、ポケットに入れておいた鍵を差し込みました。まだ誰も手をつけていないようです。ドアを開けた瞬間、けたたましいサイレンが鳴り響きました。車の盗難防止用のサイレンです。私は早送りのフィルムのように動きながら方々ストップボタンを探しましたが、結局鍵にボタンがついているのを発見しました。灯台下暗し。その鍵についているベンツのマークを押すと、盗難防止用のサイレンは鳴り止みました。 ちょっとの間、誰も何も言ってこないことを確かめてから、車のあらゆるところを何か証拠はないかと探しました。結構こういうのってどきどきします。お宝は助手席のシートとオートマチックのギアボックスの間に挟まっていました。後輪駆動のベンツはトランスミッションのコンソールがばかでかいため、運転席から、助手席側のシートとギヤボックスの隙間が見えず死角になるのです。そこに手帳型のコンピュータはささっていました。 お宝のパーム・パイロットを手に入れると、元通りに施錠し、ボルボに戻りました。ごっくり息を飲み込み、パーム・パイロットのカバーを開けてみます。あれ、ガラスが割れています。スイッチを入れてみるのですが、液晶が非常に見えにくくさっぱり読めません。スイッチを何回も入れたり切ったりしましたが、液晶が傷ついているためか内容がまったく読めません。多分、助手席とギヤボックスのコンソールの間に落ちたときに、圧迫されて傷ついてしまったのでしょう。カバーも革でふにゃふにゃですしね。しばらくテクノロジーを独り言で罵倒していましたが、あきらめました。それでも、このパーム・パイロットの中に、大事な情報が入っているのです。なんとかしなければ。 気を取り直して、パーキングを後にしました。車内で千穂さんから釘をさされていので、カニングハム弁護士に電話を入れましたが、あいにく留守電に拾われました。簡単なメッセージを残しました。車を走らせていましたが、とにかく早急にパームを修理しなくてはならないを感じます。JgodとVgodのことを早く知りたいのです。ちょうど空港の近くにコンピュUSAという大型のコンピュータ屋さんがあるのを思い出しました。フリーウェイを下りたあたりで尾行車がいないかどうか確かめるため、いろいろな方向に曲がったり、住宅地を通ったりしてコンピュUSAにたどり着きました。尾行車はいないようです。 コンピュータ・ショップの店内は非常に明るいです。様々なコンピュータ機器が店内に陳列されていますし、ソフトウェアも豊富に並べられています。店の左奥の方に「Repair Center(修理センター)」と書かれた看板が掲示されているところがありました。私は他に興味があるものがたくさんあるにもかかわらず、欲を振り切って修理センターに行きました。 受付に誰もいないので少々の時間待たされると、ちょっと太り気味の若いアジア人系の男の子が現れました。このショップの従業員全員が着ている制服の赤いチョッキを着ています。 「May I help you?(何をしてさしあげましょうか?)」 「えっとね、パームパイロットを修理してもらえますかね。」 私は持っていたパームをカウンターに置きました。 「こちらでご購入の品ですね?」 彼はそのパームを見ながら私に尋ねました。私はちょっとひるみました。 「えっと、去年のクリスマスにプレゼントでもらったものだから…。多分ここで買ったと思うんだけどね、ははは。」 「そうですか…。」 いやはや、White Lie(ホワイト・ライ:善意でついた嘘)なので許してください。 「とにかく、お金は払うから早急に修理して欲しいんだよね。」 「えっと、ちょっとお待ちください。」 また待たされました。彼が帰ってきて、どんなに早くても1週間はかかることを教えてくれました。文句を言っても仕方がない。修理をしてもらわないと困りますから、お願いすることにしました。所定の用紙に記入して、係の人はパームの状態を紙に書いていきます。 「ひどいですね、画面が割れているじゃないですか。どうしたんですか。」 「いや、ちょっとね、落としちゃったんだ。」 「保証期間内なら新しいものとすぐに取り替えますが。保証書をお持ちですか。」 「いや、持ってないです。」 「それは、残念だ。」 「とにかく修理を頼みます。」 「修理の進行状況はこの電話番号にかけてくれればわかりますから。」 そう言って彼は修理の伝票に書いてある電話番号をボールペンで丸で囲いました。 私はその伝票を財布の中にしまい、もう事務所に行くのが億劫になったので家に戻ることにしました。あたりはもう夕日が差しています。空にはサンフランシスコ空港に着陸する飛行機が旋回して下りてきます。 自宅に帰ると、真治君は居間で宿題をしていました。私はパームについては真治君に黙っていることに決めました。 「お、がんばってるね。」 「おかえりなさい。」 「早かったんですね。」 まだ午後6時です。 「いやはや、疲れたよ。学校どうだった。」 「はい、先生も心配してくれて、友達も元気付けてくれました。」 「裁判のことは言ってないだろ。」 「別に言っていません。」 「言う必要はないからね。次回の出廷は明後日だから、その日は休みを取ってもらわなくちゃならないけどね。」 「はい」といった真治君の表情が少し沈みました。 「事件のことは僕が何とかするから、とにかく勉強、勉強。」 私は話題を懸命に事件から遠ざけようと努力しました。それを察した真治君はまたペンを走らせはじめました。 私はスーツを脱ぐと、ベットに横になり、今日の尾行のことを考えていました。天井を見ながら、一体誰なんだろう、と考えます。私を襲った暴漢と同一人物では…、この事件に関して私を狙い始めたのか…、などと憶測をしていますが、答えは出ません。答えが出なければ徒労ですから、次にしなくてはいけないことを考えました。 とにかくどのような組織であるにせよ、真治君を落とし入れようとしている感じがします。真治君の起訴が取下げられたり無罪になってしまえばFBIにしてもほかの容疑者を探して帳尻を合わせようとするでしょう。FBIはいまだに捜査続行中だと言いますが、そのことを額面通りに受け取れませんね。結局、真治君を起訴取下げ扱いにしないで事件を進めているのですから、FBIでさえも私の考えている背後組織というものがいまいち掴めていないのでしょう。ただ、あれだけ大量のヘロインが福本家から見つかったことは尋常ではありません。とにかく麻薬にかかわっている組織について解明することが、真治君の潔白を晴らすことだと思いました。そのためにはあのパームの修理を待たなくてはいけないようです。お腹がすきました。ベットから起きてリビングに足を運びます。 「真治君、何食べたい?」 「なんでもいいけど…。」 「何でもいいっていうのがいちばん困るんだよなぁ。それじゃ、餃子にしようか。」 ということで、私が作って冷凍しておいた餃子に決定しました。煙がすごかったですが、私の焼き具合は悪くありませんでした。 「すごい、おいしいですね。」 真治君はパクパク食べています。 「そうでしょ。」 「料理できるんですね、先生。」 「君くらいのときはお金がなかったから、どんなバイトでもしていたからね。中華料理屋でもやっていたのさ。」 食事を終えて、後片付けを終えて、真治君はシャワーに入りました。私はソファにどかっと座り、テレビをつけました。ちょうどニュースの時間だったようで、ローカルなニュースを放映していました。しばらくボッと見ていると、空港での爆発騒ぎについて言及しています。焼け跡がテレビに映し出されていましたが、爆発は相当な火薬の量を伴っていた様子で、カルーセルの一部のメタル部分がめくれあがるようになっている姿が見えます。床も一部抉り取られています。死者の中にはメキシコの要人も含まれていました。爆発現場から麻薬が発見されたこと、その麻薬が福本氏のスーツケースから発見されたことが報道されています。ただ、どのような背後関係があるかはFBIの調査中だということです。画面が変わって、爆発で死んだ遺族がレポーターにコメントしています。事故に巻き込まれたことを呪い、いかに不運であったかを印象付け、犯人を一刻も早く見つけて欲しいと懇願して泣き崩れていました。私はテレビを消しました。この爆発騒ぎのツケが真治君に向けられるのだけは避けなくてはいけない。それが私の弁護士としての使命だとひしひしと感じました。シャワーの音が止まり、しばらくすると真治君がバスタオルで頭を拭きながらでてきました。 「先生、僕、眠いから先に失礼します。」 「おー、よく寝るんだよ。明日も学校がんばれよ。」 「おやすみなさい。」 「おやすみ。」 私も両手を挙げて、大きなあくびをしました。いやはや、この何日かは車で移動しっぱなしです。車で移動していると知らないところで疲れが溜まるものです。まだ10時くらいですが、私も寝てしまおうとまずシャワーをあびました。熱いシャワーが心地よい。 シャワーからでて寝る段階になって、公道に面したカーテンを閉めようと思い窓際に来ると、銀色のクライスラー・スリーMがちょっと離れたところに停まっています。内部の電気は消えているため、よく見えません。今日尾行してきた車と同一車種です。 「家まで見張られているのかな…」と思いつつ、床に入りました。泥のように寝ることができました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第6回目です。 ===================== 第6章 訴状と召喚状 (Summons and Complaint) 事務所を出て、私のぽんこつ車に二人で乗り込みました。日に照らされると、ずっと窓のない部屋に閉じ込められていた真治君の白い顔ががむしゃらに太陽を吸収しようとしているようでした。朝から見たこともない法廷に引きずり出されたり、保釈の手続きを済ませた彼は、疲れているように見えるにもかかわらず、顔が引き締まっていました。言葉少なに、車のフロントガラス越しに何かをじっと考えていました。 父親の死、自分に対する刑事裁判、これからの人生、どれをとっても今のところ先が見えません。私も運転しながら、ただ刑事弁護をするだけでは、彼が負っている問題は解決しないような気になってきます。 工事ばかりしている、サンフランシスコのダウンタウンの坂道を上ったり下りたりして、真治君の家に向かいました。車をガレージの前に停め、二人で家の中に入って行きました。私が鍵を持っていたので、玄関の扉を開いて真治君を先に入れてあげました。真治君は先週逮捕されたときに見たままの散らかった室内を無表情のまま、見つめていました。 真治君の肩をたたきながら、私は真治君の回想を断ち切るつもりで言いました。 「さあ、出発の準備をしなくちゃならない。今日からしばらく君は僕の家で暮らさなくちゃならないから。」 「え、先生の家ですか。」 「さっき、裁判官に保釈の条件として、僕が面倒見ると言っちゃったからね。それに、ここに君一人置いていけないよ。学校は僕の家から通えばいい。」 「学校に行ってもいいんですか。」 「もちろんだよ、そのための保釈だと思ってもいい。」 「先生…。先生に迷惑ばかりかけて。いいんですか、こんなことまでしてくださって。」 「いいじゃないか、今、僕がしてあげられることは、この位だからね。さあ、準備をしよう。」 真治君は意を決したように、自分が必要な服や洗面用具それに学校の教科書などをバッグに詰めました。そして、リヴィングの本棚に飾ってあった、お父さんと一緒に真治君が写っている写真を入れたところで、バッグのジッパーを閉じました。 私が、真治君のバッグを持って車に向かおうとした時、真治君は思い出したように、父親の寝室に向かいました。戻ってきて私の顔を見るなり、 「どうしよう、先生。お金がない。お父さんのチェックブック(小切手帳)なんかがない。」 「うん、多分FBIが持っていっちゃたんだろう。チェックブックがあったとしても、口座は当面凍結されているだろうから、お金は引出せないよ。」 「…。」 「お金のこと心配しているのかい?」 「そうです。」 FBIは麻薬が見つかったことで、麻薬に関係した銀行預金や家、それに車などを没収する可能性があります。もし、事情を知らなくても、自分の家で麻薬が見つかってしまった場合、家は没収の対象になります。また、銀行口座なども麻薬に関するお金のやりとりがなされていた口座であれば、入っているお金はすべて没収の対象になります。法律上、麻薬に関しては非常に厳しく取り扱われるのです。没収することで、見せしめにする意味もあるのでしょうが。この事件の場合、無実を証明しなければ家は没収されてしまう可能性があります。そのためにプレリムで保釈金なしの保釈を主張したわけもあるのです。ただ、今真治君をこれより不安にすることは無用ですから、何もそのことについては言及しません。 「それだったら、現金なんかどこかに隠してないの?」 「えっと、僕が少し持っているし…。あ、ちょっと待ってください。」 少し経って、真治君は台所の引出しから、「緊急用」と日本語で書かれた封筒を持ってきました。100ドル札が10枚入っていました。 「それだけあれば、大金持ちだよ、ははは。じゃあ、行こう。」 じっと室内を見ていた真治君は、私に無言でついてきました。 私の家は、といってもアパートですが、真治君の家から20分ほど車を走らせたところにあります。真治君はこれから、今までの生活とは雲泥の差のところで生活するのですから、 「君の家とぼくのところじゃ、GDPが相当違うからな、覚悟しておいてね。」 とふざけて言いました。 「そんなの、大丈夫です。」 駐車場に車を入れて、アパートの3階建ての3階に位置する私の部屋に真治君を招き入れました。幸いにも2ベッドルームのアパートなので、私の書斎を真治君の部屋にしてあげました。それにしても、散らかっています。男の一人暮しなんてこんなもんです。ちょっとの気休めに床を含めていたるところに置いてある本をまとめました。鍵を真治君に渡し、シャワーに入ることを勧めました。ゆっくりシャワーにも入っていなかった真治君は喜んでシャワールームに行きました。 私はスプリングがへとへとになったソファに座り、ポケットに持っていたベンツの鍵を取り出して眺めていました。考え事をしながら、目を閉じていると、ちょっとの間眠ってしまったようです。目を開けると、もうひとつのラブシート(短いソファ)に真治君がちょこんと座っていました。外は霧が立ち込めて、灰色のキャンパスに白の絵の具が混ざりかかっているように見えます。時計をみるともう7時を過ぎていました。 「お腹減っただろう。何食べようか。」 「なんでもいいです。」 「じゃあ、ピザでも取ろうか。ノースビーチ・ピザっていうすごくおいしいやつがあるんだ。そこの支店が最近この近くにもできたんだよ。」 「賛成です。ピザ、大好きです。」 トッピングを決めて、私がオーダーをしました。ピザを待っている間、真治君は、やっと新しい生活の場に慣れようとしたのか、私の持っているCDを見たり、本を見たりし始めました。 「へー。先生、ジャズ好きなんですか。」 「特にジャズピアノが好きなんだ。大学生のとき友達ですごくジャズが好きなやつがいて、それからだね。ミシェル・ペトロチアーニとか好きだね。」 「真治君は、ジャズが好きなの?」 「うん、すごく好き。心が落ち着くんです。」 「若いのに珍しいねぇ。僕なんか若いときは、うるさいギターとかが好きだったから。」 「これ、かけてもいいですか。」 ちょっとの間をおいて、静かなペトロチアーニのピアノが流れてくる。 「真治君は、音楽関係の仕事でも将来したいのかい?」 「ううん、音楽は好きだけど、将来何をしたいっていうのはまだわからないです。」 「夢ってあるのかい。」 「うーん、将来の夢ってあんまりないなぁ。」 天井を見つめながら、真治君はつぶやきました。 「夢かぁ。」 しばらくの沈黙があった後、ピザが届けられました。 「な、チーズが違うだろ、これが大好きなんだ。しつこくなくて。」 「うん、本当においしいです。」 がむしゃらに、二人でピザを食べました。ラージピザが瞬く間に二人のお腹に消えていきました。真治君も僕につられて、たくさん食べていました。食欲があるということは非常に良いことです。腹が減っては戦はできませんからね。 食後に私もシャワーを浴びて出てくると、ソファに座って真治君は教科書を見ていました。 「明日から、また学校だね。がんばれ。」 「金曜日と今日休んじゃったから、予習しておかないと。」 「勉強、嫌いじゃないんだ。」 「うん、学校楽しいし。」 「どんな勉強が好きなの?」 「歴史かな。」 「へー。」 「ねえ、先生ちょっと聞いてもいいですか。」 「なんだい。」 「法律っておもしろい?」 興味津々な顔で真治君は私に聞きました。 「う~ん、大学院で 「じゃあ、弁護士の仕事って面白い?」 「実を言うと、面白いと思ったことはあまりないけど、人の役にたてるじゃない。ひいては社会のためになるしね。でも、ストレスも多いし、しっかりしていないと勤まらないな。」 自分のことを思いながら、ぼつぼつ答えました。 「弁護士になるのは難しいの?」 「カリフォルニア州はアメリカでも一番難しいらしいね。博士課程を終えて、BAR(司法試験)に受からなくちゃらない。僕もね、日本人っていったら外国人だろ、勉強しているときにはすごく不安だった。」 「がんばったんですね。」 「うん、がんばった。真治君と同じように僕も…一人ぼっちだったから。なんかさあ、漠然とだけど人のために何かできたらうれしいなって思ったんだ。そう思ったら勉強するガッツがいつもわいてきた。」 「人のためか。医者の仕事と似ているのかなあ。」 「医者っていうのは、体の病を治すけど、弁護士っていうのは心の病や社会の病気をみんなが幸せに住めるように少しでもよくする仕事だと、僕は思っている。いやいや、ちょっと抽象的かな…。」 真治君は考えているような目をしながら、話を聞いていました。 「弁護士にもいろいろな種類の人がいる。金を儲けたい人とか、名誉ばかり気にする人とか、高飛車な人とか、自分は普通の人より優れていると思っている人とか。だけど、人の痛みがわからない人はいい弁護士になれないと思う。」 時計を見るともう10時を過ぎていました。 「もう遅いから寝れば。明日早いだろ。」 「おやすみなさい。」 「あっそうだ、お父さん、ベンツ持ってたよね。」 「はい。いつも乗っているやつです。」 「家になかったよね。」 「そういえば、今回のメキシコ出張のとき、いつもはジムさんのハイヤーに頼むんだけど、飛行機の時間に遅れそうになったからって、一人で車に乗って行きました。ロビンスさんとは別だったから。確か、2週間くらい前の土曜日です。どこに置いてあるんだろう。」 「知らないか。」 「知りません。」 「わかった。ありがとう。それじゃ、おやすみ。」 次の日、朝早く真治君とともに家を出ました。真治君の学校で彼を降ろし、事務所に行きました。ある程度ルーティーンの仕事をこなしたり、電話の応対をしていましたが、真治君の事件がどうしても頭を離れません。千穂さんもそれを察したようで、 「先生、電話の応対だったら私がやっておきますから、したいことなされたら? 三谷先生にも話しておきます。今週は、法廷もないし。えっと、クライアントの方には待ってもらうか、三谷先生に頼んでおきますから。」 千穂さんは本当に有能ですよね。なんでも、ぱっと考えて実行してしまうのですから。来客の様子で、フロントの方に小走りで行く千穂さんを見ながら、どこにベンツがあるのか、またFBIはもうベンツを見つけてしまったのか、私は思案してしまいました。 しばらくすると千穂さんが、私の部屋に戻ってきました。分厚い感じからして訴状でしょう。いつものことなのですが、千穂さんは眉をしかめながら、私に手渡しました。明日目を通すよと言いつつ、一番上の紙であるサモンズ(召喚状)の被告名を見ると、真治君とお父さんのエステート(死者の財産全般)の名前が載っています。裁判所はサンフランシスコの州地方裁判所で、民事事件ということがわかります。原告はエステート・オブ・ジャック・ロビンスとなっています。つまり、亡くなったロビンスの名義で裁判が起こされているのです。訴訟の原因は、簡単に言えば、真治君と父親が麻薬に関係したことから、爆発が起こり、ロビンス氏を死に至らしめたというもので、一般にWrongful Death Actionと呼ばれています。 「あちゃ、刑事の次は民事かよ。」 千穂さんも心配な様子です。 「僕が、真治君の弁護士をしていることまで調べて、ここに送達してきたんだろうね。誰なんだか、相手の弁護士は。」 書面を見ると、弁護士はビクター・カニングハムとなっており、法律事務所はベーツ&マコ-ミックとなっています。 「ベーツ&マコ-ミックっていったら、あの巨大ローファーム(法律事務所)じゃないか。」 「そうですね、ベーツっていったら多分サンフランシスコでは二番目に大きい事務所じゃないですか。」 千穂さんはちょっと 「なんであんな大きい事務所がこんなに小さな個人の事件をするのかな。大きな企業相手に、金や時間を使って仕事を取ってくるのがああいう大きなところだろ。意味ないよなぁ。」 とにかく、訴状の送達から30日以内に答弁すればよいのですから、少しは時間があります。それよりも、ベンツを見つけることのほうが先決です。鳴り響く電話を千穂さんに任せて、私は事務所を飛び出しました。 飛び出したものの、どうやって車を探すのか、途方にくれました。手がかりがあるとすれば、真治君の家です。またもや、シークリフに車を飛ばします。真治君の家にさしかかったところで、見覚えのある黒塗りのフォードが視界に入りました。真治君の家のガレージの外に無造作に停めてあります。私は唇を真横にぎゅっと結びながら、きしむブレーキでボルボを停め、真治君の家に大股で入っていきました。門は開いています。 「これはこれは弁護士さん、ごきげんはいかがですか。」 皮肉交じりとも思える口調でFBIのトニーがいいました。この男、あまり好きになれません。トニーを無視してマックブライドに声をかけました。 「マックブライドさん、まだ捜査続行ですか。この家がよっぽどお気に入りなんですね。麻薬は出てきたのだからもういいでしょう。この家は背後にある組織とは何ら関係がないですからね。」 私は、トニーを連れて一緒に来たことを非難するようにマックブライドの顔をじっと見つめました。 「いったい何の用なんですか。」 「バード検事から聞きました。賊が侵入してきたんですって。あなたに怪我を負わせて。」 「私のプレ・リムでの証言を聞いたのですね。」 「それで、状況を見にきたってわけです。でも、あなたは警察に通報もしなかった。」 「通報したって、調書1枚作って終わりでしょう、市の警察なんか。あ、そういえばこの真治君に関する事件の調書はもうできあがっているでしょうね。私の手元に届くのはいつになるんですか? あなた方の理論を見てみたい。判例では確かに家から発見された場合には家の持ち主は罪に問われることがありますが、そこに居合わせた人に関しては五分五分ですよね。いくら住んでいたからとはいえ。」 「今がんばってまとめているところですよ。でも現在の状況をあなたには言えません。真治君についてもFBIは追及する覚悟です。もっとも、検事局の仕事ですがね。」 「そうくると思いました。どうせ、捜査は続行中と言われるのがオチですからね。だから、私も賊に襲われてもあなたに連絡つけなかったんです。」 「…。」 「それにしても今日はなんのご用で。」 「ちょっと、その問題のシャワールームを見せていただけますか?」 「ぜひ、見てください。歓迎しますよ。」 私は、二人の捜査官を従えて、家に入りました。窓を開けていないせいか、空気がすえています。捜査官をシャワールームに促し、私は一歩下がった廊下のところで、二人の行動を観察していました。 ふと、私の右脇にある、ガレージの入り口を見ようと思いドアを開けました。やはり、赤いコルベットはあるものの、ベンツは見当たりません。麻薬が見つかったあたりは相当散らかされています。その散らかったキャンプ用品などとは別に、ガレージのドアに近い所の床に散らばっている書類を見つけました。たぶん、この2、3日間に届いた郵便物でしょう。もちろんFBIもベンツが存在することは記録からわかっているでしょうが、まだ捜査の目は向けていないようですから、ちょっとでも気づかせるのを遅らせるため、私はガレージのドアをそっと閉めました。 しばらくして、検分が終わったようです。 「結構な道具を使っていますな。コンクリートを化学的に一部溶かしてある。これじゃ、音もしないでしょうな。」 私は何も言わず、二人を私が襲われた真治君の部屋に招き入れ、コンピュータが取られたことも伝えました。 「ふーん、コンピュータね。そんなに大事な情報が入っていたのかな。」 マックブライドは少々、困惑した顔になりました。押収しなかった彼のミスですからね。近いうちにもう一度検査班を連れて検分したい意向を私に伝え、捜査官はドアから出て行きました。 「マックブライド捜査官、ひとつ聞かせてください。」 振り向いたマックブライドは私を見ました。 「誰かがこの家に麻薬があるとリーク(密告)したのですか。」 マックブライドは表情も変えず、そして何も言わずにトニーと車に乗りこみました。捜査官の乗った車の音が遠ざかっていきました。どうみてもこのような豪邸から30パウンドもあるヘロインが見つかることは腑に落ちません。もし、麻薬をやっていたとしても、お金があるなら他の場所を借りるなりして保管しておけば良いのですから。どうみても、誰かが福本一家をはめようとしているような気がします。 踵を返した私は、ガレージに行き、ガレージドアの周りにちらばっている郵便物をかき集めました。ほとんどはジャンクメイルと請求書でした。近くのスーパーの安売り券などもあります。私もちょっと夕飯の買い物なぞをしなくてはという気持ちになってしまいました。ご丁寧にも真治君の次回の出廷命令も裁判所から届いていました。さほど目を通すものがないので、ジャンクメールだけ別にして、請求書の類をまとめて、ガレージから家の中に入りました。歩きながら請求書に目を通すと、ケーブルテレビやガス、それに電気などのおざなりの封筒に混じって、ファイブ・スター・パーキングという差出人からの請求書がありました。赤いスタンプで、INVOICE(請求書)と大きく書かれています。私は立ち止まり、構わず手でその封筒を開けました。昨日送って今日着いたと思われる請求書が顔を出しました。それによると、福本氏の車が約束の期間を超えて放置されているから、すぐに取りにくるか、追加のデポジットを払って欲しいと書かれています。軽く口笛を吹いた私は他の請求書をテーブルの上に置き、戸締りを確かめてから家を飛び出しました。車に乗って、またもや昼飯を食べていないのに気がつきます。弁護士をしていると本当に食生活が不規則になります。まあ営業の人もそうでしょうが。メキシコ料理屋で、カルネ・アサダ(焼肉)いりのブリトーを買います。徹底的に野菜不足ですよね。反省。はやくブリトーにぱくつきたくて付近の銀行の駐車場にちょっと失敬して停めさせてもらおうと思い入ります。私とすれ違って出て行く車が、私の後ろから駐車場に続けて入ってくる車と接触しそうになりクラクションをけたたましく鳴り響かせます。 車を駐車場に停め、銀紙で包まれた棒状のブリトーの片一方を開け、いやー、ブリトーはおいしい、と思っていると携帯電話が鳴ります。口に溜まっている牛肉とお豆、それにサルサなどを一気に飲み込むことで処理すると、電話に出ました。千穂さんです。 「先生、あのカニングハム弁護士、ほら真治君の民事事件の…。至急電話が欲しいって。」 「いやにせっかちな弁護士だね。おっと、弁護士の鑑だねぇ。」 「ほら、わけわからないこと言ってないで、ちゃんと電話してくださいよ。至急取り次ぐって言っちゃったんですから。」 「了解で~す。」 電話を切った私はブリトーをかじりつづけました。なんで、そんなに急に民事事件の相手の弁護士が電話をかけてくるのか、ちょっと興味がありますが、今は腹が減っては戦はできないとあごを動かしてブリトーをお腹に収める作業に没頭していました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第5回目です。 ===================== 第5章 予審(Preliminary Hearing) 真治君が18歳以下の未成年ということで、予審は成年被告人とは別にイン・カメラで行われることになりました。未成年者の場合、通常公開の法廷ではなく法廷の裏で審理されるのです。8時半ごろ出廷した私は、法廷内で、シェリフ(廷吏)に真治君のラインナンバー、つまり順番の番号を述べ代理人であることを告げました。その後法廷の裏にある裁判官の控え室に行きました。担当検事はキャサリン・バードという紺のスーツにブロンドの髪が映える女性検事、裁判官は予審判事の一人ブレナン判事でした。60歳ほどの銀髪のユダヤ人です。お互いに挨拶をして、検事とは名刺を交換し、真治君の代理人であることをラインナンバーで告げました。他の事件に先立って審理をしてくれるということになり、裁判官の指示でシェリフは控え室に待機していた真治君を呼びにいきました。ブレナン判事、バード検事それに私が、裁判官控え室の脇にある部屋に移動しました。 地裁レヴェルでの判事の控え室は異動が多いため、煩雑で部屋も質素なことが多いのですが、連邦レヴェルの判事はアメリカ大統領による任命によるため、異動が少なく、家具や調度も高価なもので揃えられています。別室も例外ではありません。 革の椅子に腰掛けてしばらく待っていると、オレンジの収監服を着た真治君が手錠をはめられたまま別室に入って、入り口付近の木の椅子に座らされました。太鼓腹のひげ面シェリフも無言のまま、真治君の横に座っています。 判事は大きな机を挟んでちょうど真治君の正面に座っており、裁判官から見て左が検事、右に私が座りました。厳密なルールは決まっていません。ただ、検事の横に弁護人が座るということはまずないといってよいでしょう。座りたくないです。 ブレナン判事は「さて、ラインナンバー8番にあるシンジ・フクモトの予審をはじめます。」といって手元にあるリーガルサイズのフォルダを開きました。 バード検事が、ゆっくり起訴事実を読み上げます。私も、予審直前に手渡された起訴状に目を落とします。 「起訴事実の要約としてはシンジ・フクモトは自己が居住する住所地において、ヘロインを約30パウンド所持してため、起訴を認めるに相当な嫌疑がある。」 とバード検事は無表情で読み上げました。ブレナン判事はうなずくと 「弁護人は何か。」 と私を見ました。実際のところ、プレリムで無罪を受けて釈放してもらえるという事例はほとんどないでしょう。実際のところ99パーセントの事例では、保釈の請求をしてなんとか保釈金を逃れるか減額させるかを判事に印象づける舞台です。とにかく私も口を開きました。 「判事、この事件においては私のクライアントはまったく関係ありません。事実、麻薬を所持していたという事例ではない。それに、ヘロインはクライアントの父親が使用していたアイスクーラーから発見されたのであり、ここに座っている彼がコントロールしている範囲でのできごとではありません。実際の麻薬の売買や所持にかかわりのある証拠が少しでもない限り、検察の主張を維持することは難しいでしょうね。判事、この麻薬に関しては何らか別の組織が絡んでいて、私のクライアントの関知しないところで、物事が動いています。私のクライアントもその組織の被害者です。」 私は少々の賭けをしてみました。別の麻薬組織が動いているという証拠はまったくないのですが、それらしき匂いはしますよね。判事はすかさず、 「別の組織が動いているという証拠でもあるのですか。」 「私が、クライアントの家に入り内部を検分していると、いきなり覆面を被った男に頭と肩をバットで殴られました。これが診断書です。」 私は昨日もらってきたばかりの診断書を判事の目の前に差し出しました。真治君は、私が襲われたことまでは知らなかったので、驚きの表情を見せていました。 「その二人組は、私のクライアントの家に無断で立ち入り、彼の部屋に置いてあったコンピュータを盗み逃走しました。FBIが捜索した現場からさらに何かを持ち出すなんてことは、通常、犯罪にかかわっている人間しかやらないでしょう。ですから、私は別の組織が動いていると主張しているのです。」 私のドラフトした書面と診断書に判事も検事も目を通していました。間髪を入れず、私はORを請求しました。ORとはOwn Recognizanceの略で、保釈金を一切積まずに保釈してくれという命令です。検事は立ちあがって猛烈に反対しました。インテリ風の彼女もいざとなると法律論で攻めてきます。反対の理由は証拠隠滅の恐れと、逃亡の恐れがあることと主張しました。検事は更に少なくとも10万ドルの保釈金を課すべきだと主張しました。そのような金額では一遍に用意するのは難しいですし、ベイルボンズ(いわゆる保釈請負業)に頼んだとしても10パーセント、つまり1万ドルを手数料で取られてしまいます。 ブレナン判事は無表情で少し考えると、私に、 「このミスター・フクモトには身を寄せる場所がないんですよね。両親とも他界しているとか。」 「間違いありません。」 「それでは、家に帰すことはできませんね。」 私が、すかさず、 「それでは私がクライアントの身柄を引き取ります。私と一緒に暮らしていれば問題ないでしょう。ひとりで家に帰すとまた暴漢に襲われる恐れがありますし。」 バード検事は薄笑いして、 「正気なのですか、前代未聞です。刑事被告人の身柄を受ける弁護人なんて。許されるべきものじゃないでしょう。」 うるさいなピーチクパーチク、と思いながらも、私は判事に向かい冷静に言いました。 「許されるかどうかは、判事、あなたが決めてください。彼も学校へ行くという仕事があるのです。」 しばし沈黙が続いた後、判事は私に軍配をあげました。真治君の顔を見ると、彼は私の目をずっと見つめていました。バード検事は肩をすくめると、法廷にさっさと帰って行きました。 判事と握手した後、シェリフがいくつかの書類を持って来ました。私が保護者となってしまったようなものですから、複雑な気持ちでいろいろ署名をしました。本日で真治君を釈放する、ただし次回から出廷しなかった場合、即座に逮捕令状が発行されるという命令書に、判事は事務的に署名をしました。判事も、これから昼まで続く予審のために、「グッドラック」と一言私に言い残し法廷に向かいました。 真治君はその場では釈放されません。CJ-9に帰って、釈放の手続きを済ませてから出られるのです。私は簡単にそのことを説明し、真治君と別れました。まずは、うまくいったことに満足でした。 法廷を出ると、私は風もなくのんびりした空気を吸い込み、CJ-9に向かいました。1時間ほどして、真治君は釈放されました。逮捕のときと同じ服を着ていました。ちょっとやつれているものの、だいぶ平常心に戻ったように感じられます。 「先生、本当にありがとうございました。それにしても、頭大丈夫ですか?」 「なんだよ、『頭大丈夫』なんて聞かれると、自分が変わり者かどうか考えちゃうじゃないか。」 やっと真治君は笑顔を見せてくれました。 「もうお昼だから、何か食べようか。」 日本食が食べたいと言う真治君の希望をかなえ、ダウンタウンにあふれるようにたっている日本食屋をひとつ選び、二人とも満足したところで、事務所に立ち寄りました。 千穂さんは真治君の学校にもう連絡を取ってくれていたようでしたが、私と真治君を見ると非常に喜んでくれました。 「よかったですね、出られたんですね。」 「そうなんだ、本当によかった。でも、これから裁判が終わるまで僕が真治君の身柄の引受人になっちゃったんだ。」 「えっ、大丈夫ですか。」 「君は無実だよな、真治君?」 と言って真治君の顔を見ると、真治君はまじめな顔をして、 「絶対に無実です。信じてください。」 と私の目を見ました。千穂さんは、ちょっと大丈夫かしらんいう顔をしていました。三谷先生の部屋にも報告に行きました。話を聞いていた三谷先生は、真治君をドアの外で待たせておいて、私に言いました。 「刑事事件のクライアントはうそをついていることが少なくない。君はまだ若い弁護士だから、わからないかもしれないが。そんなにクライアントを信用していちゃ、この仕事体が持たないよ。」 「わかっています。でも先生、彼、今では孤児なんです。誰かが全面的に信用してあげないと、彼、どうなっちゃうかわからないんです。」 「うん、君がそこまで言うなら、弁護士は自己責任だからかまわない。でも、くれぐれも気をつけるんだよ。」 「はい、ありがとうございます。」 真治君を少し待たせておいて、一通りの急ぎの仕事を終わらせて、一緒に外に出ました。私は事務所の前で信号待ちをしながら、ぐっと息を吸い込みました。そして真治君の顔を見て言いました。 「本当の闘いはこれからだぞ。」 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第4回目です。 ===================== 第4章 証拠探し (Informal Discovery) けたたましい電話の音で起こされました。時計をぱっと見るともう朝の10時。急いで受話器を取ると、千穂さんでした。 「先生、大丈夫ですか? 昨夜、さんざん電話したのに。」 携帯電話をチラッと見ると、電池切れです。 「あれ、携帯は電池切れみたい。」 「彼女でもできたんですか、 それならそこの連絡先も教えてもらわなくちゃ。」 「そうだったら良かったんだけどね。申し訳ない、一晩中、福本君の事件で走り回ってた。」 頭をぽりぽり掻くと、昨日頭から出た血が粉状になって手につきました。頭と右肩がまだ、ずきずきします。でも、腫れてはいないことから骨には異常がないな、と再確認しました。右腕を動かしてみます。 「福本さんの件なんですが、まだ、遺体はもらい受けられそうにありません。学校には留守電を残して置きましたが、まだ連絡はとれていません。土曜日ですから。」 「遺体はいつ頃もらえるって?」 「まだ、見当がつかない様子でした。監察医がいませんでしたから。」 「遺留品は?」 「それも渡せないって。」 「…。FBIが手を回しているな。学校には月曜日でいいからなんとか連絡しておいてね。」 「わかりました。でも、起こしちゃったみたいで申し訳ないですね。」 「いいんだ。起こしてくれてありがとう。あとね、月曜日には、真治君のプレ・リムが朝9時からだろうから、 カレンダー(出廷の日時を記録)しておいて。念のため検察に確認しておいてね。」 「でも、他の法廷が入っていたと思いますが。」 「悪いけど、三谷先生に頼んでおいてくれないかな。真治君を助けなきゃ。」 「わかりました。伝えておきますね。」 「ありがとう。」 受話器を置こうと思って、私は寝ていたソファから落ちてしまいました。ああ痛い。気を取り直して、シャワーを浴び、血をぬぐって、Tシャツにジーパンをあてがい、家を出ました。近所で、いつも飲んでいるピーツ・コーヒーと朝食代わりのクロワッサンを買いました。奥さんがいれば家で朝ご飯も食べますが、こんな仕事をしていると出会いがないのです。 行き先は真治君のお父さんが眠っているところです。サンフランシスコの郊外、そして爆発のあったサンフランシスコ空港のそばの検死局に車を飛ばします。まだ、少々からだの調子が良くないですし、時差ぼけで頭がボッとしています。気分を積極的にするために車の窓を全開にして、ラジオをつけます。ニュースではなくソフト・ロックです。コーヒーをすすりながら、目的地に向かいます。検死局は四角い巨大なさいころのような無味乾燥した外見をしていて、味気ない政府の建物という雰囲気をぷんぷんさせていました。遮断機にボブワイヤ(有刺鉄線)が入ったゲートで弁護士証を見せ入ります。雲がちょっとありますが晴天で、コーヒーだけでは唇が乾きます。 モルグ(死体置場)があるコロナーズオフィス(死体管理局)の建物の中はひんやりしていました。受付で所定の書類に記入しました。真治君はお父さんの相続人ですから、相続人の代理と記入しました。私の弁護士証で身分確認を済ませた後、土曜日なのに働いている黒人の女性係員は2秒ほど笑えるジョークを飛ばしながら、ファイルを検索してくれました。 「ミスター・フクモトね。死体は見れないわ。」 彼女は残念そうな顔をして私に告げました。 「ひどいのかい。」 「爆発に巻き込まれたみたいね。見るのはちょっと無理ね。」 「遺留品は?」 「それなら…、えっと、なんとかなるわね。着ていた洋服と、かばんとその中身の一部はあるわ。」 「とにかく見せてください。」 ちょっと受付で待たされた後、別室に通されました。窓がないので、湿っていてとにかく暗い。壁はコンクリートが剥き出しのまま冷ややかに見えます。リノリウムの廊下を歩く足音が響きます。かすかに点滅する長めの蛍光灯が煌煌と光る部屋に通されると、ビニールの検診台の上に遺留品が置かれています。 「誰か、ほかの人が検分に来ていた?」 「昨日の夕方、確か警察が来ていたようだったけど。」 「FBI?」 「そうね、確かマックブライドとかいう捜査官だったわ。」 私は口を歪めました。係官が差し出したチェックインリストにサインをし、遺留品リストにもサインをしました。遺留品リストからわかるようにまだ、何も持ち出されてはいません。 「終わったら、内線で105を押してね」と、壁にかかった電話を指差し、ウインクをした受付の係官は部屋を出て行きました。 感謝の言葉を述べましたが、FBIの後手に周っているのは気分がよくありません。 遺留品に目を向けると、血みどろになった洋服の一部がありました。所々焼け焦げ、洋服のちぎれ方も爆発のすごさを物語っています。 「探し物はあるかいな。」 私は独り言を言いつつ手荷物であろうと思われるかばんの中を見てみます。所々が焦げたかばんを探すと、ラップトップがでてきました。ところが、一部は原型をとどめていないほど高温で溶けているようです。私が落ち込んだのはハードドライブが破損しているのを見つけたときです。肝心のデータが入っているハードドライブが半分以上高温にさらされて溶けています。これでは、データの解析もままならないでしょう。次に手帳型のコンピュータを探して見ますが、陰も形もありません。洋服も焦げていますから、胸ポケットに入れておいて落としてしまったのかもしれません。次に鍵を良く見てみました。キーホルダーについた鍵は、私が真治君の家から借りているものとほぼ同じでした。いくつか見なれない鍵もついていましたが、その中に車の鍵があり、メルセデス・ベンツのマークがついていました。他にこれといった鍵は見当たりません。手詰まりだな、と感じてがっくりしていましたが、気を取り直して壁掛けの電話の内線を押して、建物を後にしました。 お腹が減っていたので、ハンバーガーを買うことにしました。昨日は晩ご飯もろくに食べられなかったですからね。ドライブスルーでジャンクフードを買い、そこの駐車場でダイエットコークをすすっていたとき、車のシガーソケットにつないで充電しておいた携帯電話がけたたましく鳴りました。出ると、三谷先生です。 「どうしたんですか、土曜日に。」 「今、ちょうど事務所にいるんだけど、君に電話が入った。とっても急用だとさ。」 「誰ですか、急用って言っているのは。」 「ミス柏木だって。」 三谷先生はアメリカ生まれなので、ちょっと訛った日本語で、私に電話をかけてきた日本人の名前を告げました。 「柏木ねぇ、知りませんね。とにかく電話番号をください。」 事務所に残された番号に電話を返すとワンコールで女性が応答しました。 「あの、私、弁護士の小山といいます。お電話もらいましたよね。」 「あ、小山さん。よかった、かけてきてくれて。」 「えっと、あの…。」 「おととい、フライトのときお会いしたじゃないですか。名刺をくださって。」 「あー、まりこさんですね。」 かっこよくてきれいなアテンダントの方ですね、という言葉は飲み込みました。 「そうです、そうです。」 「お疲れ様でした、どうしたんですか?」 「空港で爆発騒ぎがあったでしょ。それで福本さんの息子さんの弁護をされていると聞いて電話しているんです。」 「どこからそんなこと聞いたんですか。」 「ジムです、彼とは知り合いなんです。」 「はは、狭い世界ですね。どこでつながっているかわかりませんね。」 私は、まだ食べかけのハンバーガーが冷えるのを目でじっと見ていました。 「それで、福本さんがお亡くなりになる前、確か10日前だったけど、サンフランシスコからサンディエゴに行く飛行機に私が乗り組んでた時に、福本さんにお会いしたことがあるんです。」 そういえば、今回、福本氏が乗ってきたフライトは日本からではなくて、メキシコからだったということを思い出しました。 「国際線だけじゃなくて国内便も飛ばれるんですね。」 「私は、サンフランシスコ採用だから、どんなフライトにでもスタンバイしていなくちゃならないんですよ。アメリカの航空会社は人使い荒いから。」 「福本さんはサンディエゴからメキシコに入ったというわけか…。」 「そのフライトのときね、福本さんにお食事に誘われたの。何でも奥さんが亡くなって一人だとかで。」 なるほど、やはり食事のお誘いがカギなんですね。私ももうちょっと利口にならなくては。 「それでね、私も悪い気はしなかったから、現代建築にも興味あったし…、携帯電話の番号を教えたのね。」 そうですか、建築ですか。どうせ法律はつまらないですよん。 「そうしたら、自分の電子手帳がないって福本さんが騒ぎだしちゃったの。」 「騒いだって何を?」 「電子手帳がないって。それで、手荷物や席の周りを散々探したんだけどなかったのね。もう、探しているときは私の電話番号のことなんか忘れちゃっていたみたい。」 私は、電子手帳というのはパームパイロットのことだなと直感しました。どこかにやってしまったので、死体にはかけらも見られなかったのだなと。 「それでどうなっちゃったの?」 「結局、一緒にいた白人の男の人がなだめて一段落したけど、すごく落ち着かなかったみたい。」 「連れの人がいたんだ。」 「なんか仕事のパートナーだったみたい。それから福本さんはムスッとして一言も口を聞かなかったわ。なんか、無駄話になっちゃったかしら。ごめんなさい。福本という名前を聞いて、びっくりして電話かけちゃったの。」 「いや、ためになった。ありがとう。」 「もし、何かあったら連絡して…。」 と言い、まりこさんは私に彼女のサンフランシスコの自宅と携帯電話の番号をくれました。「何かあったら」っていうのはデートのお誘いも含むのでしょうか。それよりも、知らなかった事実がいくつかわかって、冷えたハンバーガーを噛みながら、私はまた考えだしました。 午後になって私が向かったのは真治君の家でした。わずかな望みを抱いてそしてLgodとJgodを求めて、パームパイロットを探しました。2時間ほど探しましたがでてきません。今回は私も警戒して、ゾーリンゲンのナイフを懐に収めていましたが、賊はしなければならない仕事を達成してしまったのでしょう、もう出ませんでした。あきらめて、真治君の家を出ました。 もう夕方です。車に乗り込み名刺を見ながらマックブライド捜査官に電話をしようとしましたが、やめました。警察の調書もまだ作成されてないでしょうし、何も教えてくれないだろうと思ったからです。代わりにジムに電話をかけました。かったるそうな声で電話に出たジムは私とわかると、声が変わってしゃきっとしました。 「ジム、体の調子はどうだい。今日、真理子さんから電話があったよ。」 「体は大丈夫さ、今のんびりバスケを見ながらビール飲んでるよ。マリコも俺も日本人を相手にしているからな。仕事でよく会うんだよ。」 「いいな、あんなべっぴんさんと仕事できるなんて。」 「あはは、俺にはワイフとキッズがぶら下がっているから、いいことなんかじゃないけどな。」 「ところで、ジムが福本さんを迎えに行ったとき、福本さんには連れがいたのかい?」 「おー、いたよ。残念ながら男だけどな。なんていう名前だったけな。今日の新聞に載ってたぞ名前は。えーっと、そうそう、ジャック・ロビンスだ。」 「今日の新聞にあの爆破のこと詳しく書いてあるかい?」 「死傷者の名前とか、麻薬関連だとかね。」 「サンキュー、ジム。ロビンスね。」 「ノープロブレム、バディー。ところでシンジはどうしてる? 連絡はあったかい。」 「今、麻薬の容疑に巻き込まれて収監されている。」 「え、やっぱり麻薬が絡んでいるのかい?」 「絡んでいるだろうけど、彼は絡んでいないだろうと信じている。」 「それは大変になってきたな。がんばれ。何かあったら俺に言ってくれ、力になるぜ。」 「ありがとう、リサによろしく。おやすみ。」 電話を切った私は、再び真治君の家に向かいました。その途中、真治君の家の近くにあるコーナーリカー・ショップ(酒屋)で新聞を買いました。一面です。爆破現場の写真や、亡くなった人たちの遺族のコメントが載っています。ジャック・ロビンスはすぐに見つかりました。建築家であること、サンフランシスコのトレードセンターの建築をするにあたり福本氏のもとでチーフデザイナーをする予定だったことが書いてあります。温厚そうな顔立ちの白人です。40歳くらいでしょうか。福本氏と一緒にメキシコに飛び、NAFTA(北米通商条約)で風通しのよくなったメキシコとサンフランシスコの橋渡しをするために会議に出席した帰りと書かれています。ロビンス氏の家族もさぞかしつらい思いをしているだろうと思いました。 福本家は相変わらず散らかっていて、がらんとしています。なんとかロビンス氏の家族に連絡をつけたいと思いましたが、FBIが住所録を真治君の家から持っていってしまった様子で、日本の福本建築事務所に連絡をとる道しか残っていませんでした。電話番号案内にも確認しましたが、ロビンス氏の家には連絡をすることができませんでした。私は月曜日のプレ・リムを考えて少々証拠がないことに焦りを覚えていましたが、もう日も暮れているので、その日は切り上げて家に帰りました。シャワーを浴びると、お酒を口にする元気もなくベットに倒れこみました。 朝起きると、頭痛はほとんどしなくなっていました。寝ることが一番ですね。でも早く病院に行かなくては、などとふと思います。朝までぐっすり寝ることができた私は、撥ねた髪を整え、真治君の接見に向かいました。日曜と言うのにダークスーツを着ている私を見て、近所のおばさんが不思議そうな顔をして私を見ていました。今日もピーツのコーヒーを買うのは忘れません。 拘留施設の入り口で刑務官と話し、明日のプレ・リムに真治君が出廷することを確認しました。サンフランシスコの連邦裁判所、朝9時です。真治君はやっと眠れた様子で、血色がよくなっていました。今日は、会う前に差入れ用のお金をやる気のないクラークに預けておきました。いくらかのお金を留置場に渡しておくと、中で歯ブラシやいろいろなものが買える仕組みになっているのです。 「真治君、明日は保釈してもらえるようにがんばるけど、いくつか質問があるんだな。」 「はい。」 「まず、前回会ったときにお父さんはラップトップを持っているという話をしたよね。お父さんは一台しかラップトップを持っていなかったよね。」 「メキシコに持って行った一台だけです。」 福本氏は私が検死局で見た一台しかもっていなかったのですね。ラップトップからEメールの情報を引き出すのは不可能のようです。 「そうか、あの一台しかないのか…。」 私はちょっと行き詰まった気分になって下を向いてしまいました。 「あ、そういえば、お父さんがメキシコにいるときに電話をかけてきて、コンピュータについて話しました。」 「え、何を?」 「えっと、ラップトップは問題ないけれど、パーム・パイロットをどこかでなくしてしまったと言っていました。」 「あ、そう。」 真理子さんの電話がよみがえります。 「家にないか確かめてくれと言うことで、ずいぶん探しましたが、出てきませんでした。」 「そうなんだ。」 「ですから、ラップトップは持っていたと思います。」 「パームはどこにあるのかなぁ。」 「さあ、わかりません。」 私は話題を変えました。 「ロビンスという人を知っているかい。」 「お父さんの仕事仲間ですね。何度か家にも来たことがあります。今度のトレードセンターの仕事も一緒にやれるって喜んでいました。10年以上付き合っているんじゃないかな。お父さんがサンフランシスコに家を買ったのもロビンスさんがここにいたからだと思います。」 「君は親しくないのかい?」 「僕は付き合いはなかったです。ロビンスさんには子供さんもいなかったし。」 「そうか、子供がいないんだ。お父さんとはそんなに年は離れていないだろ?」 「そうです、年が近かったのも仲良くしていた理由じゃないかな。」 「どこに住んでいるか知っている?」 「さあ、奥さんと二人で確かサンフランシスコ郊外のヒルズブローに住んでいるというのは聞いたことがありますけど。」 「そうか、うん、ありがとう。とにかく今日は明日の準備をするから、明日法廷で会おうね。」 「お願いします。父のためにも。」 真治君の目に強さが感じられてきました。眠ったこともあってようやく気持ちも落ち着いてきたのでしょうか。CJ-9を出た私は、日中の照り返す日差しの中、病院の緊急病棟に立ち寄りました。頭部の傷と、右肩の腫れについて診断書だけ書いてもらうと、そのコピーをもらい、またもや真治君の家に向かいました。アメリカの病院では症状が重くないと緊急病棟とはいえ、何時間も待たされるのには閉口します。車の中で診断書を見てみると頭部と右肩の打撲となっています。 静まり返った福本氏の大邸宅前に車を停め、中に入ると無機質な薄暗い室内が散らかっていて、なんとも寂しい感じがします。もう一度福本氏の書斎と寝室を検分しましたが、これといって何も出てきません。夕日が差し込むリビングに戻り大きな本棚に飾ってある写真を見まわしていました。福本氏が設計したビルの写真などがありましたが、中に福本氏と真治君が笑ってコンバーチブルのスポーツカー、シボレーのコルベットに座って写っている写真がありました。こんなふうに笑っている真治君に早く戻ってほしいなと願いました。写真立てを置いたところで、ふとあることを思いだしました。あの時、モルグで見た車の鍵は、ベンツのカギ。そして、大きな駐車場に一台とまっているのはコルベット。ベンツはどこにあるのだろう。家にある引出しという引出しを全部捜したところ、台所の引出しから、ベンツマークが入った鍵が見つかりました。2つのスペアキーともポケットに入れて、真治君の家を後にしました。 帰宅途中で、日本の福本設計事務所に電話をしたところ、事務所では福本死亡のニュースを聞いて大混乱が起きていました。今、私が真治君を弁護していることを伝え、今のところは正常にビジネスを続けて欲しいと頼みました。ロビンスの連絡先を聞くまでに相当な質問攻めに遭いました。ロビンスの電話番号を教えてもらった礼を言って電話を切り、今度はロビンス宅に電話をしてみましたが、留守電になるのみです。私の身分を伝え、折り返し電話が欲しい旨を残して電話を切りました。留守電は死んだロビンス氏の声のようで、非常に柔和そうな声で、ゆっくりしたメッセージが入っていました。 私は、家に戻って明日の朝の書面作りに励みました。12時を回って、目が疲れてきたので明日に備えて寝ました。また、忙しい1週間の始まりです。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第3回目です。 ===================== 第3章 拘留(Incarceration) FBIでもサンフランシスコ市警察でも被疑者の身柄を押さえると、まずCJ-9と呼ばれているサンフランシスコ市内の収監施設に連れて行きます。そこで、指紋を採取したり、前から横から写真を撮ったりするのです。住所やその他の情報についても尋問されることになります。私は、夜の霧がかったサンフランシスコの街に車を走らせながら、まず事務員の千穂さんに車から電話を入れました。ポケベルでつかまえられた彼女はすぐにコールバックをしてくれました。彼女に、いつ福本氏の遺体をモルグ(死体安置所)から引き取れるのか確認してもらうこと、真治君の学校に電話してもらうこと、それからいるならば真治君の親族、そして友人たちに連絡してもらうことを頼みました。その他、事務的な会話をして電話を切りました。次に三谷先生に報告がてら電話をし、真治君の事件を受任したこと、それに応援が必要になるかもしれないのでよろしくと伝えておきました。二本目の電話を切ったところ、ちょうど目的地に到着しました。空いているパーキング・スポットを見つけ、夜の街をCJ-9に向かって歩いていきます。ダウンタウンに近いエリアの高速道路の脇にCJ-9は建っています。夜の接見は弁護士のみに限られていますから、待合室はがらがらでした。中に進みコントロール室にいる刑務官に弁護士証を見せると、鉄の重たい扉を開けてくれました。その制服を着た刑務官は私とよく顔を合わせるのですが、刑務官は弁護士には挨拶以外の馴れ馴れしい会話をしませんから、私もいつものようにあえて言葉少なに留置場内に足を進めました。一般のエリアと留置場を遮断している鉄の扉が私の後ろで音を立てて閉り、面会室へ入りました。CJ-9はここ3、4年にできた建物なので、非常に新しく清潔で「サンフランシスコ・ヒルトン」などと呼ばれていますが、面会室でも壁紙が張られておらず、コンクリートのブロックの上に白いペンキが無造作に塗られているだけのところがホテルとは一寸違います。窓のないその部屋で待っていると、刑務官が面会できるまであと少なくとも30分はかかると言っていました。時間をつぶすのに、今までの一連の情報を思い出してみました。しかし情報が徹底的に不足しているので考えは憶測のみでぐるぐる回ってしまいます。とにかくか細い真治君が心配です。 時間が経って重たい鉄の扉が開くと同時にオレンジでVネックの囚人服を着せられた真治君が入って来ました。体の前で手をつないでいる手錠が細い腕に痛々しく見えました。 「小山先生。」 悲痛な響きで真治君は私に話しかけました。 「真治君、大丈夫かい。何もしゃべってはいないよね。」 「はい、それは大丈夫です。だけど、僕、わけがわかりません。どうして僕がこんな目に遭うのか。」 「うん、君が関係ないことをあと2、3日の間に解明しなくちゃ。プレ・リム(Preliminary Hearing:予審)がたぶん、次の月曜日だからね。でも、それまではここにいなきゃならないかもしれない。」 「こんなところにいられません。早く何とかしてください。」 「わかっている。ところで、君の家のカギを借りてるけど、それを使って家の中に入ってちょっと調べさせてもらってもいいね。」 「先生は僕を疑っているのですか?」 「まさか。僕は君の弁護人だよ。君をここから出す証拠を探すのさ。」 私はにっこりしてみせました。 「先生、お願いします。僕、本当に怖いんです。」 真治君はまた震えています。 「真治君、君がまだ若いのも十分承知している。それに、この国に来てからそんなに時間が経っていないのも知っている。今、君が怖い思いをしているのもよくわかる。だけどね、脅すわけじゃないけれど、お父さんもお母さんもいなくなって、こんなことでへこたれちゃいけない。これから先、もっと苦しいことや辛いことが起きるんだ。もう、自分の両足でしっかり立って、自分を支えていかなけりゃ。お父さんだって本当に麻薬にかかわっていたかもわかっていないんだ。君がしっかりしなけりゃ。今は君がお父さんを助けてあげる番なんだよ。そのためには僕は全力で君を助ける。 こんな時に、自分の話をするのもなんだけどね、僕も両親を君の年に事故で亡くしたんだ。そして、アメリカに来て、奨学金をもらって、貧乏だったけど必死でがんばった。怖い思いも孤独も、嫌になるほど味わった。君も、今は胸が張り裂けそうな状態だと思う。でも、その地獄から這い上がって、落ちて、それでもまた這い上がってこそ、君という人間ができてくるんだ。だから、今の状態を恐れないで、勇気を持ってがんばるんだ。僕も君のためにがんばるから。」 じっと下を向き唇を噛みながら考えていた真治君の目から出ていた涙はもう止まっていました。 「先生、僕のお父さんは絶対に麻薬になんか手を出す人じゃない。お父さんが麻薬に関係しているなんてありえない、絶対に。」 真治君は声を殺していましたが、お腹の底から発声していました。 「とにかく、まず君を出すためにがんばるから。待っているんだよ。」 「先生、お願いします。」 私は真治君の手をぎゅっと握りました。握り返してくる真治君の手は冷たくはあるのですが意外に力強く、なんとか彼はがんばれそうかなと思わせました。 真治君に別れを告げ、CJ-9の外に出てみると、風が肌寒く身震いしてしまいました。サンフランシスコは夏でも夕方になると平均気温が16度くらいでしょうか、5月の夜はまだ寒いくらいです。まだ時差ぼけが体の中に住んでいる感じがして、さらに今日の顛末で疲れてはいますが、目は冴えています。まだやらなくてはいけないことがあります。車に乗り込み、家には帰らず、真治君の家に向かいます。もう夜も12時を回ろうとしているところですから、車どおりはそんなに多くありません。酔っ払いがふらふら道を横断しようとして、急ブレーキをかけた車の運転手と言い争いをしています。CJ-9の周りは結構スラムっぽいんですよね。 気がついたのですが、そういえば昼から何も食べていません。お腹が空いたので、途中深夜営業の中華料理でチャーハンをテイクアウトしました。チャーハンしかオーダーがはいらなかったので、親父はあまり機嫌がよくありませんでした。お金を払い、車に戻り、真治君の家に向かいます。繁華街を通ると若い男女がデートの帰りなのでしょう、腕を組んで楽しそうに歩いています。いいな。歩く人もほとんどいなくなり、車はシークリフのエリアに向かっていきます。真治君の家は外に電気もなく真っ暗でした。夜、明かりのない鉄柵に囲まれた大きな家をみるとちょっと不気味ですね。手探りでゲートを開け、カギを使い玄関のドアを開けます。防犯システムは鳴りませんでした。ドアを開けて入ってみると、捜索されたときの名残が各所に見られました。散らかっています。整理整頓を口癖にしてくれると、警察ももうちょっとは評判があがるのでしょうけど。関係書類等はFBIが運び出してしまったでしょうから、他にカギになるものは何かかないものかとあたりを見まわしました。相当広い家ですから、電気のスイッチを探すだけでも一苦労です。幸い台所で懐中電灯を見つけたので、私はそれを手にきょろきょろ電気のスイッチを探しました。電気のスイッチを入れるたびに家が明るくなります。真治君のお父さんの寝室と書斎は、FBIに特に念入りにチェックされていた様子で、書類はほとんど見つかりませんでした。 福本氏の寝室の隣が真治君の部屋でした。ジャズが好きなようで、チャーリー・パーカーやビル・エバンスのポスターがかかっていました。良い趣味です。引出しには学校用品ばかりあり、ベッドの下にあった日記にもこの事件に関するようなことは書かれていませんでした。若者の部屋という感じがします。興味をひいたのは机上にあるコンピュータでした。FBIにもタッチされていない様子です。この部屋自体あまりFBIにタッチされていません。子供部屋なので気を抜いていたのでしょうね。私もあまり期待せずにコンピュータのスイッチを入れました。コンピュータが立ちあがるまでに少々時間があったので、私は買ってきたチャーハンを持ってきて、コンピュータの前の椅子に腰掛けて食べ始めました。 食べながら、何かないかなとぶつぶつ独り言を言い、立ちあがったコンピュータを調べていましたが、Eメールのブラウザを開いてみると、相当な量のメールがあることが判明しました。すべて個人用のようです。たくさんのメール友達がいるんだなと感心しつつ手がかりを探していましたが、手がかりらしきものは見つかりません。あきらめかけたとき、送信済みのフォルダがあったので中を見てみると、一回だけ使われている送信先が二つ目に入りました。あて先のLgod@というのとVgod@というのがあることから、苗字か名前はLとVから始まる人だと言うことが推測できます。そのメールを開いてみようと割り箸を置いてマウスをいじって、英語のメールだということを確認したとき、背後に人の気配を感じました。 振り返ると黒いスキー帽をかぶった私くらいの背をした人間が木製のバットを振り上げていました。とっさに椅子から転げ落ちると、その賊は空振りしたバットを持ち直してから再度私に向けて振り下ろしてきました。そのときに発した声から、男だとわかりました。今度のバットは避けられず、私の右肩に直撃しました。ものすごい激痛ですが、骨は折れていないようです。もう一度振りかぶったときにスキー帽の目のくりぬきから、私はコンピュータの画面に反射した青い目を見ました。私が転げ落ちた椅子が足元にあったので、思いっきりそれを蹴ると滑車が助けてくれてその男に激しく接触しました。チャンスとばかりに立ち上り、その男に近づこうとすると、背後から、頭を鈍器で殴られました。賊は一人とは限らないのですよね。頭にキーンという高音が走り、目が回ってハードウッドに顔から倒れ落ちました。私が床とラブシーンにふけっているとき、その二人組の賊はコードを簡単に抜き、コンピュータを持って私の目の前から消えました。目はなんとか見えていたのですが、賊のMO(風体)についてはわかりませんでした。 しばらく体が重く、立ち上ってもふらふらしますが、打撲程度でしょう。ちゃんと健康保険を払っていたかななどと思いながら、リビングに戻り、大きな革のソファに崩れ落ちました。今度は意識が遠くなります。疲れていることもあったようです。 時計を見ると2、3時間眠ったようです。目を開けると頭に針を刺されたような痛みが走ります。それでも、起き上がりキッチンの蛇口をひねり近くにあったコップで水を腹いっぱい飲みます。一息ついて真治君の部屋に帰ってみると、私の食べかけのチャーハンが床に散らばっていました。コンピュータはきれいさっぱりなくなっています。他の部屋も見てみますが、あまりFBIが散らかしていった状態と変わりがないようです。ただ見まわってみると、シャワールームについた窓が枠ごと外されていることと、リビングから庭に出る窓が少々開けっぱなしになっていたことがわかりました。シャワールームにある窓は、そのままにしておき、すべての窓とドアに施錠して、ふらふらのまま、私はまたCJ-9に車を走らせました。夜が明けてきて、小さな黒い鳥がばたばた飛んだり、街角に置かれたごみ箱の周りでたむろっていました。 再度、CJ-9の面接室までたどり着きました。右肩が非常に痛みます。守衛は私が血まみれになっている様子を見て接見させるかどうか躊躇していましたが、弁護士証を見て事務的に問題がないことを確認した後では通さなくてはなりませんでした。20分ほど待たされて真治君にやっと会うことができました。真治君は眠っていなかった様子で、疲労の色が濃く見えました。 「どうしたんですか、先生。シャツに血がついてる。」 「それより、君の持っていたコンピュータについて教えてくれないか。」 「僕の部屋にあるやつですね。」 「そうだ。お父さんもあのコンピュータを使っていたことがあるのかな。」 私は真剣な眼差しで真治君を見ました。 「ないとおもうけどなぁ、う~ん。」 真治君は懸命に過去の記憶を引き出そうとしていました。天井を見たりしていました。 「あ、あるとすれば、多分お父さんのコンピュータが壊れたときかな。確か3ヶ月くらい前、お父さんの使っていたラップトップが内部電池が壊れたとかで、1週間くらい修理に出していたときに使ったと思います。」 「誰にメールを出すとか、知らないよね。」 「それは知りません。仕事のことだと思うけど。東京の事務所ではたくさんコンピュータを使っているけれど、 外国に出るときはもっぱらラップトップを使っていました。」 「お父さんが誰にメールを書いていたかはわからないよね。」 「あ、でも僕のコンピュータは送信済み履歴がすべて残っているから、それを見れば…。」 「そうなんだよね、 僕も見てみたんだ。だけど…、」 私がうつむくのを見て、真治君は私の言葉を待っているようでした。 「賊が君の家に入ってきて、コンピュータを奪い取っていった…。」 「えっ、僕のコンピュータを…。なぜだろう。」 「真治君はメール友達が多いけど、日本語がほとんど?」 「ええ、学校の友達のマイクとジュディ位かな、英語のメールをしてるのは。」 「メールアドレスはわかる?」 「うーん、はっきりとは覚えていないけど学校のアドレスだからね。確かMikeK@Univhigh.edu とJudyD@Univhigh.edu かな。University.eduっていうのがうちの学校のドメイン名だから。」 「LgodっていうのとJgodっていうアドレスを知っているかな。」 「いや。知りません。僕のコンピュータにあったんですか。」 「そうだ。全文英語だったことはわかっているんだけど。」 「英語でねぇ。僕はまだ英語がそんなにできないから、英語で出していたら覚えているんだけどな。」 「そうか…。」 やはりLgodとJgodに送られたメールは真治君ではなく彼の父親が送ったメールであることがはっきりしました。 「お父さんのラップトップはどこにあるかな。」 「いつも一緒に持って行っていたから…。」 「事故現場、か。」 「そうだと思います。」 「お父さんは、サンフランシスコに事務所を持っておられるの?」 「いいえ、事務所は日本だけです。家はフランスとかオーストラリアにも持っているけど。」 「それじゃ、メールはラップトップでしていたんだね。」 「はい、ラップトップでしていたと思います。事務所のコンピュータは従業員がみんなアクセスできてプライバシーに問題があるからとか言っていました。僕が遊びに行ったとき、そうですね、去年のクリスマス頃にはインターネットにはまだ接続していなかったと思います。」 「そうしたら、そのラップトップが個人用の情報を持っているんだね。」 「そうだと思います。あ、それからお父さんは手帳型のコンピュータも持っていました。いわゆるアメリカで流行っているパーム・パイロットというやつですね。多分、その中にラップトップにあるのと同じ情報が入っていると思います。バックアップを取っていましたから。お父さん、バックアップの取り方で僕に質問しにきたことがあったし。パーム・パイロットもいつも持ち歩いていたな、お父さんは。」 「何で同じ情報が入っているってわかるんだい?」 「情報をシンクロ(同期)させられるんですよ。だから同じ情報が読みこまれるんです。僕がそのプログラムをラップトップに載せてあげたからよく覚えています。」 「そしたら、どっちかのコンピュータを見つけられれば、情報が見つかるんだな。」 「え、何の情報です。」 「ちょっと、探しものがあるんだ。君の出廷は月曜日だろうから、それまでに探さなくちゃ。」 「どんな探し物ですか?」 「コンピュータの中の情報なんだ。君のお父さんが送ったメールだよ。」 「一体どんな?」 「しつこいかもしれないけどLgodとかJgodって知らないよね、メールアドレスなんだけど。」 「知りません、というか覚えがないです。」 それからちょっと取り止めのない話をして再度施設を後にした私は、今度は自宅に戻り、ソファにちょっと腰掛けるつもりが眠ってしまいました。まだ相当な頭痛がしますが、眠いのが先です。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第2回目です。 ===================== 第2章 捜索・押収そして逮捕 (Search and Seizure, Arrest Thereafter) まだ時差ぼけが残っているので、朝起きるのは本当につらいものです。アメリカから日本へ行くときには問題なく適応できるのですが、日本から太陽の進む方向に逆らってアメリカに帰ってくるとなかなか適応できません。快適な寝起きとはいい難い朝です。無機質で乾いたベルの音が私を起こします。目覚し時計に、ぶつぶつと睡眠妨害罪の有罪認定をしながら、用意をして事務所に出るともう9時近くなっていました。カリフォルニアの裁判所での出廷時間は朝8時半とか9時なので、法廷が入っていたらこの状態ではアウトでした。 金曜日ということもあり事務所は比較的平和で、破産の新件が入って来たり電話で訴訟の打ち合わせをしたり、午前中は無事に過ぎていきました。やっぱり昨日無理しても仕事をしておいて良かったと思いました。三谷先生は相変わらずのんびり、いえいえ、マイペースで仕事をされているようです。千穂さんは相変わらず忙しく動き回っています。 昨夜会った真治君から電話が入ったのは、午後2時ごろでした。直通電話番号を教えておいたのに、どうも名刺に印刷された代表番号にかけたらしく千穂さんが取り次いでくれました。 「 あの、昨日お会いした、あの福本です。えっと、警察の人が、その、今来ていて、どうすれば…。」 「あ、こんにちは。」 「先生、警察が来ているんです。」 「何も話す必要はないんだよ。はっきり言えばいいんだ。弁護士を通してくれって。」 「でも、その三人も来ていて、あの…。」 私は相当まどろっこしく感じたので、 「電話をかわってくれる?僕が話す。」 と言いました。彼はほっとした様子で、すぐに何か訪問者と話している声が聞こえてきます。張りつめた無機的な声が受話器を通して私の耳に入って来ました。 「オフィサー・マックブライド、スピーキング(マックブライド捜査官です)。」 「私は弁護士の小山といいます。はじめまして。私のクライアントとは、私の許可がない限り話してもらっては困ります。」 「弁護士さん、ご存知かもしれないが、彼の父親が昨日亡くなった。それで彼に聞きたいことがある。」 「亡くなったということは聞きました。で、捜査官が聞きたいことというのは?死亡したという事実の単なる確認ですか、それとももっと何かあるとか。」 「今捜査中なので詳しくは言えません。」 「お決まりですね。」 死亡している事実はわかっているのだから、まさに何かプラスの捜査事項があるのです。 「捜査の方向性がわからない限り、私のクライアントは連邦憲法修正5条(5th Amendment to the US Constitution)の権利を主張します。」 「黙秘ですか。」 「麻薬がらみだということを耳にしました。それに連邦捜査局が出てきているんだし。」 「…。」 ちょっとしたため息をつきながらマックブライド捜査官は、 「それではあなたが同席しているところでシンジに質問できますか。」 「それはやぶさかでない。」 「では、できれば早急に…。」 「早急にって、いつですか。」 「今すぐです。」 相手のペースが、私のスケジュールのことを念頭に置いてくれてないなと思いつつ、私は、千穂さんに合図してスケジュールをチェックしてもらいました。緊急の用事はないので今から真治君の家に向かうことを捜査官に告げ、事務所を飛び出ました。 もう、5月も終わりです。サンフランシスコには梅雨というコンセプトはないので、昨日に引き続きからっとした天気です。何も考え事がない時の青空はなんともいえずすがすがしいものですが、今日のように考え事をしている状態ではずっしり重たく感じます。私が愛用している、10年間風雨にさらされて白いペンキが光沢を失った四角いボルボは、のそのそ真治君の家に向かって加速していきます。 何気なく、いつも聞いているラジオの88.5FMのニュースに耳を傾けると、女性キャスターが、昨日の事故は間違いなく爆発物によるものだと淡々と言葉を並べていました。ヴォリュームのダイアルを右に回しキャスターの声を車いっぱいにすると、声は死者は12名、負傷者は60名以上にのぼることを述べ、さらに大量のヘロインが爆破現場で検出されたことを報じていました。結論はまだ出ていないが、どうも麻薬の密輸やマフィアに関係があるだろうと推測していました。死亡した人の名簿の中に福本氏がはいっていました。捜査は続行しているということでニュースは終わりました。ダイエット食品のコマーシャルにかわったので、私はラジオを切りながら、軽く舌打ちをしました。父親の死、それに麻薬の捜査。あのか細い真治君が正直言って心配になってきました。昨日会った彼は非常に無口で、一言で言ってしまえば「世間知らずのおぼっちゃま」という感じです。アメリカの刑事システムは、悪く言えば非常に雑なところがありますから、果たして彼はうまく乗りきれるのか…。依頼人を選択するのも弁護士にとっては非常に大切なことです。まあ、なるようになっていくでしょう。 方向音痴のわたしもサンフランシスコ市内であればそれほどガソリンを無駄遣いせずに目的地を検索できます。3時半には真治君の家を発見することができました。シークリフは、一般にいう「成功した人」や「えらい人」が住んでいる高級住宅地で、小さい家でも一億円では買えません。飛行機の席ごときでぶーぶー言っている私にはまったく縁のない地域です。福本家も緑に囲まれたスパニッシュ風の大きな家でした。白い壁に、レンガがふんだんに使われ、鉄柵には蔦なんぞが絡まっています。ガレージも車が3台入るスペースがあるようですが、今はガレージの前にFBIのものと思われる汚い黒塗りの大きなフォード・クラウン・ヴィクトリアが二台、無造作に停められてふさがっています。アメリカのフルサイズ・カーは本当に畳が走っているように大きい。私は自分の車を路上駐車して足早に入り口の大きな鉄柵のゲートに向かいます。入り口付近にロダンの考える人のようにあごに手をもっていきつつ腕を組んでいる白人が二人、玄関のドアが開いたところに扉が閉らないように靴で押さえているヒスパニック系のひげを生やした捜査官が一人、目に入りました。全員ダーク・スーツ姿ですが、腰のところが不自然に膨れているところをみると銃と手錠ですかね。私を認めた白人の捜査官のひとりは、マックブライドと名乗り、近づいてきました。私は紳士的に握手をして、真治君の居場所を尋ねました。その私より背の低い警官はあごと目線で家の中を指しました。まず、真治君と二人だけで話がしたいことを告げ、ヒスパニック系の捜査官を押しのけるように家の中に入りました。ドアは閉めました。アメリカの家は結構薄暗いことが多いのですが、この家も多分にもれませんでした。また非常に広く開放的なリヴィングがありますが、電気がついていないためか、大きな革のソファにすわっている真治君がえらく小さく見えました。震えています。相当に広い家で、貧乏性の私はちょっと落ち着きません。 「真治君、僕だよ。大丈夫かい。」 真治君は私を認めると、少しほっとした様子で、こっくりうなずきました。 「何か、聞かれたりしたかい。」 「名前を聞かれました…。それからほかに誰か住んでいるかどうかも聞かれました。それで怖くなって先生に電話したんです。」 怖くて唇が乾いているのか、スムーズに話せない様子です。 「それ以外のことは話してないね。」 「はい。」 「ちょっと、待っててね。」 私は、家の外に立っている捜査官に近寄り、名刺を渡しました。捜査官は名刺の代わりにバッジを提示しました。やはりFBIです。ちなみにFBIのバッジというのは、二つ折になっている革のケースの内側の一方に金属でできたバッジがついていて、もう一方には淡い青や緑で大きくFBIと書かれています。テレビに出てくる刑事コロンボのとはちょっと違いますね。 「彼に何を聞きたいんですか。どういう背景があるのですか。」 30代のヒスパニック系のトニーという捜査官が私に対して挑戦的に口を開こうとして、マックブライドが制しました。もうひとりのダグラス捜査官は、マックブライドの背後で鋭い目をして傍観しています。マックブライドが一歩前に出て 「弁護士さん、さっきも電話で言ったとおり、今は捜査段階です。詳しくは話せないんです。」 と言いました。 「真治君の父親に何か関係があるとか。あの爆発ですかね。」 ちらっと捜査官らの表情が曇りました。しかし、彼らもプロです。間髪を入れずに、 「なんらかの関係を否定しているわけではありませんが、シンジは重要な証人です。現在のところ。」 「まずは、私自身が真治君に知っている範囲の事情を教えてもらわねばなりません。麻薬関係のことですよね。」 「そうです。シンジの証言に非常に興味あるのです。」 「今、彼は気が動転していますから、また日時を改めましょう。」 私は断定的に言いました。 「今、というわけにはいきませんかね。」 捜査官のものの言い方が少々、威圧的になってきました。緊張がはしります。ほかの捜査員の目も厳しくなります。 「お断りします。その名刺にある私の電話番号に、明日にでもお電話ください。お互いに空いている時間を設定しましょう。」 また、トニーが乗り出して挑戦的に言います。 「われわれは今がいいと言っただろ、令状を取って…、」 それを制したマックブライド捜査官は、形式的な礼を述べ、あとの二人を従えて黙って車に戻っていきました。ガレージの前から遠ざかる車を確認して、私は暗い家の中に入り、重たいドアを閉めました。 無言のまま真治君の座っている大きなソファに近づき、真治君のそばに腰を下ろしました。しばしの沈黙。下を向いて震えていた真治君は、私の顔をすがるように見たかと思うと、 「これから僕はどうすればいいんでしょうか。本当にどうすれば…。」 私は彼の目をじっと見ながら、 「僕も今のところどうしていいかわからない。まずは君のことを教えてくれないかな。その前に何か飲もうか。」 「それじゃ、僕が何か…。」 「いいって。よいしょ、冷蔵庫はあっちだね。」 立ちあがった私は、大理石が敷き詰めてあるキッチンの奥にある巨大な冷蔵庫を開けました。そこにオレンジのサニーデライトの大瓶を発見したので、2つのグラスとともにソファに戻りました。二人で一気にごくごく飲んで、一息ついてから、私はまず真治君の父親のことを聞きました。 私の無知だったのですが、真治君のお父さんは世界的に有名な建築家であったこと、最近ではサンフランシスコ市のトレードセンターの設計を任されたこと、サンフランシスコが好きで二年前にこの家を購入したことなどを話してくれました。また、真治君のお母さんは二年前に病気で亡くなったこと、その死をきっかけに日本からサンフランシスコに移住してきたことがわかりました。 「あの、ダウンタウンのトレードセンターを手がけていたんだ、君のお父さんは。」 「そうです。」 「すごいね。もうすぐ完成するらしいけど、かっこいいデザインだよね。」 「父もすごく完成を楽しみにしていたんです。」 「残念だったね。」 私はちょっと真治君のお父さんに会えないことを自分で残念に思いました。日本人で世界的に活躍する建築家、きっと魅力的な人だったのでしょうね。トピックを変えました。 「それじゃ、君は今、学校に行っているんだ。」 「はい、市内のユニバーシティー高校にいっています。」 「あ、あの私立の。いい学校らいしいね。」 「でも、今日は休んでいます。」 「まあ、お父さんに不幸があったのだからしょうがないよ。昨日はどうしてたの?」 やっと、ジュースが胃に落ちついたようで、震えも止まった真治君は、うつむきながら言いました。 「学校から帰ってきたんですが、家にお父さんが荷物を置きに来た気配がなかったので、あちこちに電話をして聞いたんです。ハイヤー会社に電話して、やっと事情がわかって…。」 「それで、ジムと会ったんだね。」 「はい」と言いながら、真治君はぼろぼろ泣き出しました。唇を噛んでいます。 ため息をつきながら、私は真治君を勇気づけようとしましたが、まったくだめでした。見まわして、手元にあったティッシュを真治君に渡しました。 「お父さんがこんなことになっちゃって、僕、どうすればいいんでしょう。独りぼっちで。」 「…。」 このまま、二人で感情ジェットコースターに乗ってしまうのはまずいので、事件のことを聞くことにしました。本題です。 「真治君、さっき警官が話していたんだけど、何か麻薬のことを知っているかい?お父さんが何かに巻き込まれていたとか。」 「そんなことは絶対ありません。お父さんが、そんな麻薬に手を出すようなことは、ううう。」 相当取り乱した様子ですが、真治君は何も知らない様子です。もうちょっと事情を聞きたいと思っても、彼の感情が収まるまで待つしかありませんでした。再度沈黙。時計を見るともう7時ごろですが、まだ日は高く、広い庭がくっきり見えます。 「真治君、何もないんだったらそれでもいいんだ。だけど、僕の仕事は弁護士だからね。君がすべてを言ってくれない限り、ベストの弁護はできないからね。落ちついて、なんでもいいから思い出して教えてくれ。」 「はい、できるだけ思い出してみます。」 突然、静寂を破るようにけたたましい電話の音が大きな家中に響きました。真治君が動く様子もないので、私が音の発信源を見つけ、受話器を取りました。大きな家では電話を探すのも一苦労です。 「はい。」 「サンフランシスコ・クロニクル紙ですが福本さんのお宅ですね。ちょっとどなたか、空港の爆発に関することでコメント願えないですかね。」 「お断りします」と言いながら、私は受話器を置いてしまいました。間髪おかずにまた電話が鳴り、違う新聞社の記者らしき人が電話に出ましたが、言っている内容は同じです。うんざりしながら壊れたレコードのように「ノーコメント」を繰り返しながら、またもや受話器を電話本体に戻します。 真治君は内容がなんとなくわかるようで、あからさまに怯えていました。 「真治君、今のところ、本当にお父さんが何か麻薬にかかわっていたことは知らないね。」 「し、知りません。本当です。」 「わかった、とにかく僕がいないときには、誰にも何もしゃべっちゃいけないよ。」 「はい、でもどうなっちゃうんでしょう。」 「どうなるかはわからない。でも、弁護士は依頼人を信じるしかない。」 「先生、本当に信じてください。」 「わかった。真治君を信じるから、君も協力してくれよ。」 そう言っている間も電話は鳴りつづけていますが、その電話の音にシンクロするように玄関のブザーが鳴りました。私が玄関に近づいたとき、今度は玄関のドアをどんどん叩きながらの、 「FBIだ、ドアを開けろ。」 という声が聞こえ、私がドアノブをひねると同時に、10人以上の男が私を押しのけるように、家に入って来ました。私の前にはさっき握手したマックブライド捜査官が立っています。彼は 「これはこれは弁護士先生、まだいらっしゃったのですか。」 と慇懃に言います。 「どういうことですか、ワラント(令状)は持っているんですか。」 「もちろんです。サンフランシスコ連邦地裁のカー判事のサイン入りでね。」 マックブライドはそう言いながら、サーチ・ワラント(捜索令状)を胸ポケットから出し、片手で私の目の高さに持ち上げて見せました。引っ手繰る様にして目を通すと有効な令状に違いありません。1時間前に発行されたのですから、充分準備をしてから連邦地裁に行ったのでしょう。プロバブル・コーズ(Probable Cause被疑事実)の欄には麻薬取引関連とあり、目的欄には麻薬の押収と記載されています。 その場で、私はパニックするよりも、なぜあの冷静なカー判事を説得するだけの被疑事実が見つかったのかを考えました。令状が発行されるのは裁判官が必要と認めた場合に限られますから、令状が発行されている以上何らかの物的証拠か、証人の証言があったはずです。私の 「ブツが出たんですか。」 という問いに、 「爆発したのは、福本さんの荷物なんですよ。」 とマックブライドは事務的に言い放ちました。 「え、空港での爆発の原因は福本氏の荷物だったのですか?」 「残念ながらそのようですね。」 そのとき、真治君の悲鳴が私の背後で聞こえました。振り向くと、真治君は二人の捜査官に床に押さえつけられ、フリスク(身体検査)をされていました。 「乱暴するな」と駆け寄った私に、 「弁護士さん、捜索現場にいる人物はフリスクの対象になるのをご存知でしょ。」 とさっきもいたヒスパニック系の捜査官、トニーがつぶやくように言いました。 「危険性も認められないのに自由を奪うような形でのフリスクは許されていない。真治君を離せ。」 断定的に言った私に敏感に反応して、捜査官は手を緩めました。自由を取り戻した真治君はばねのように飛び起き、私の背後に隠れました。舌打ちをしたトニーはその場にいた自分の部下らしき二人の捜査官に他の命令を飛ばしました。その二人はトニーの命令に忠実に私の視界から消えていきました。 「それでは、紳士的にフリスクさせてください。」 とひとりになったトニーは私の背後に手を伸ばし、真治君にフリスクを始めました。真治君は権力の圧力を感じながら黙って耐えていました。 「あなたの態度は、捜査官としてちょっと問題がありますね。」 「捜査は捜査です。」 「弁護士の見ている前で、ああいうことをするとそちらに都合がいい証拠が見つかっても、裁判で違法収集証拠にされちゃいますよ。連邦憲法修正4条をご存知でしょ。警察学校で習っているはずだ。」 トニーはマックブライド捜査官にたしなめられたこともあって、早々にフリスクを終え、私の前から姿を消しました。結局、真治君からは何も違法なものは発見できませんでした。 捜査官としゃべってもこういう状況では意味がないので、捜索が終わるのを待ちました。真治君は不安を少しでも和らげるかのように私に寄り添っていました。私のそばに立っているマックブライド捜査官も無言です。どれほど時間が経ったでしょう、黙々と目的なく家中を散らかしていた捜査官のひとりが 「ガット・イット(あったぜ)」 と低くうなりました。他の捜査官も叫びました。 条件反射のように小走りにその声に近づくマックブライドの後を追って、私も真治君を連れてついていきました。ガレージに赤いシボレー・コルベットが停めてあります。その脇にある作業台の棚の回りを何人もの捜査官が屈み腰になって取り囲んでいます。 ほとんど捜査官の全員が満員電車のように福本家のガレージに集まっていました。ぱちぱち光っているカメラのフラッシュがまぶしい。キャンプ用の青いアイスクーラーの蓋があけられ、中には小麦粉をちょっと黄色くしたような粉末の入った透明なビニール袋が5つほど並んでいました。ポケットの中から簡易の化学調査薬を取り出したひとりの捜査官がビニール袋を開け、中の粉末を調査の液体と化合させると液体が赤くなりました。その液体を右手に持った捜査官は、左手の親指を上に突き出しました。 「間違いありません。」 FBIと黄色い文字で背中に入ったジャンパーを着たほかの捜査員が屈み腰で袋を検査していましたが、全員立ちあがりました。マックブライドと目を合わせうなずくと同時に、捜査員が私のうしろに立っていた、か細く痩せた真治君の手を後ろに回してミランダ・ワーニング(逮捕時に被疑者の権利を告知する文章)を唱え始めました。 「被疑者には黙秘権が与えられる。」 「その黙秘権を知りつつ発言した場合には法廷で使われることもある」 「弁護士に委任する権利があり、充分な弁護士費用がない場合には公選弁護人がつくことになる…。」 私はミランダ・ワーニングをじっくり聞いていましたが、さすがにFBI、ミスはありませんでした。私はミランダワーニングが終わるのを待って、 「ちょっと待ちなさい。現行犯逮捕ではないではないですか。彼には関係がない。」 と指揮権をふるっているマックブライドに言いました。 「現行犯逮捕でない?立派に麻薬を所持しているじゃないか。」 「少なくとも彼が所持していたとは立証されないだろ。」 「それは、裁判で争ってください。弁護士さん。れっきとした麻薬がでてきたんだから。」 もう、声も出ない真治君はぼろぼろ頬に涙の線をつくり、私の目を見ていました。私は 「未成年なんですから、後で私が連れて出頭させます。」 と言いましたが、 「それはだめだ。」 とマックブライドは断定的に決めました。 麻薬の証拠、それに空港での物的証拠、逮捕には充分過ぎる材料です。私は先のことを考えました。 「絶対、何もしゃべってはいけない。すぐに君に会いに行くから。」 「何も持たせてもらえないのですか…。学校もどうしよう。父親のことは…。」 「とにかく今は君の嫌疑を晴らすことが先決だよ。とにかくすぐに行くから。」 真治君と私の日本語での会話を訝っていたマックブライドは、会話が途切れたところで真治君を建物の外に停めてあった先ほどの黒塗りのフォードの後部座席に押し込みました。 他の捜査員も探していた麻薬がでてきたこと、それに望んでいた逮捕ができたことで捜査に一区切りをつけ、ぞろぞろと家の外に出て行きました。ただし、福本氏の寝室や書斎にあった大量の書類はしっかり押収していました。すべての捜査官が家の外に出たところで、私も外に出ました。車の後部座席に座らされた真治君がすごくやつれ、小さく小さくなっていくのが見えました。振り向いて私を見ています。サンフランシスコの夜はとっぷり暮れて、私が勝手に家の鍵を探し、見つかったところで施錠して外に出たころには、闇が街を包み込んでいました。野次馬はいませんでしたが、隣家の窓についたカーテンの隙間から、こちらを伺っている様子がよくわかりました。昼間から置きっぱなしだったボルボに乗り込みイグニッションをかけて、ハンドルに両手をおきながら、私はこれからのことを考えて深いため息をつきました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第1回目です。 ===================== 陸海軍管轄の事件を除き、大陪審の起訴審査または起訴決定を経ない限り、死刑が科されている犯罪もしくは重大な犯罪において罪に問われることはない… No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictment of a Grand Jury, except in cases arising in the land or naval forces… アメリカ合衆国憲法修正第5条 (Fifth Amendment to the United States Constitution) *** ―― この本は夢を持っている人、また夢を探し続けている人に捧げます。 夢には限界がない。 情熱がなければ夢は成り立たない。 どんな小さな夢でも、 心に勇気を持って。 負けないでください。 夢を持っている人、それを探しつづける人はいつも輝いているから。―― *** 第1章 依頼人面接 (Client Interview) ちょっと言わせてください。何で飛行機の座席では足が思いっきり伸ばせないのでしょうか。180センチ以上も身長がある私がいけないのですが、もう少しスペースが欲しいものです。私の座っているエコノミークラスのシートはユナイテッド航空810便のボーイング747型の機体のお尻のほうに付いています。通常でも8時間以上のこのフライトに閉口するので、あと1時間も定刻より遅れてサンフランシスコ空港につくというアナウンスがあってからはかなり憂鬱な気分です。まあ、もっと立派な弁護士になるか、ユナイテッド航空のマイル数がたまれば、ビジネスクラスや夢のファーストクラスに乗れるのになぁと思います。もっと大きな仕事にありつければ、税金も文句言わずに払いますし、生活も銀行の通帳とにらめっこしなくても済むなぁ、などといろいろ考えが発展していきます。 とにかく、この9時間にも及ぶ修行を乗り越えなくては、私の住むサンフランシスコに戻れないわけです。飛行機の嫌いな私がお金を払ってこのような拷問に遭うのですから、本当にサンフランシスコに帰らなくてはならない状況にあるのです。やらなくては行けない事件がどっさりたまっているのです。あ、もう一言言わせてもらえば、あの機内食はなんとかならないものでしょうかね。 さて、文句ばかりいうのもなんですから、自己紹介させてください。小山淳平です。25歳で弁護士になって、現在二年目の新米弁護士です。日本の高校を中退して、単身アメリカに来て、そのまま居着いてしまいました。現在はサンフランシスコの三谷法律事務所という事務所で働いています。事務所には日系アメリカ人の三谷ひろし先生、秘書の斎藤千穂さんそれにイソ弁である私の三人が勤めています。イソ弁とはつまりイソウロウ弁護士の略で、先生のクライアントを分けてもらって生活している弁護士です。イソギンチャク弁護士の略だとも言われています。アメリカではイソ弁のことをカッコよくアソシエートと呼びますが、文案屋がコピーライターと呼ばれると何故かカッコよいのと同じようなものです。弁護士といっても現実はそんなに素敵なものではありません。小さな債権回収の話や、離婚、倒産など細かい仕事も少なくありません。働いても働いてもエコノミークラスにしか座れないのです。 それにしても今日の飛行機は揺れます。気流の悪いところがあるのでしょう。私の席の前に座っている若い日本人の女の子二人連れはキャーキャーワーワー、怖いと言いながらも結構楽しんでいる様子。その子達が席を思いっきり倒してくれているので、私は更に窮屈になり楽しくありません。810便は成田を夕方に出て、サンフランシスコには午前中に着きます。旅行者はその日一日遊べるのですから、ラッキーですよね。私は帰ったらすぐに仕事をはじめなくてはならないので、笑ってはいられないのです。 サンフランシスコで日本語と英語をきっちり話せる弁護士はほとんどいません。おかげさまで日本人や日系人の役にすごくたっているはずです。文句を言いながらも、クライアントの顔を思い出すと、またやる気が出てくるものです。 さっきまで怖い怖いといっていた私の前の二人組が静かになったと思ったら、今度は入国審査の書類と格闘しているようでした。アメリカの入国審査は厳しいことで有名ですから二人組も慎重に記入している様子でした。わからないところがあったらしく、二人組はフライトアテンダントを呼びました。ひっつめ髪にしたそばかすだらけの白人女性がのっしのっしとやってきましたが、会話が成立しないらしく、すぐに日本語を話せるという女性アテンダントがやってきました。ちらっと見た感じかっこよくて背の高い日本人女性のようでしたから、痛い腰をちょっと浮かして見てしまいました。かっこいい女性には弱いのです。聞き耳を立てていると、どうもビザの話です。暇なんです、飛行機の中は。目がきりっとしてその上に細い眉がのっているその女性アテンダントは、聞かれた質問に対してちょっと考えているようでした。暇つぶしのチャンスです。そうです、私は移民法も手がける弁護士なのです。二人組に私が簡単に答えてあげると、彼女たちは簡単に納得して簡単なお礼をいってくれました。女性アテンダントはやっと注意を私に払ってくれ、にこっとしてくれました。修行をしていても楽しい事があるのです。胸に日本語が話せますということを示す日本の国旗と「まりこ」という名をローマ字で彫られているバッジをつけた彼女は私の席の方に移動して、お礼を言ってくれました。やっぱりかっこいい人なんですね。反射神経が私の手を胸ポケットに持っていき、すかさず名刺を差し出していました。 「あ、弁護士さんなんですか。へー、サンフランシスコで。今度お世話になるかもしれませんね。」とのコメントに、私は 「何かあったらお電話くださいね」というのが精一杯でした。もっとがんばりなさい反射神経くん。挨拶をかわし、彼女は自分の持ち場へ帰っていきました。また私も退屈な修行に逆戻りです。 軽い朝食のトレイが回収されると、飛行機は下降をはじめました。5月の海がエメラルドを白濁させたような青緑色に見え、いくつもの小さな波に太陽の光があたっては消えていきます。旋回を続ける飛行機は、サンマテオ橋やダウンタウンにおなかを見せながら、ぐんぐんサンフランシスコ郊外に位置する空港に吸い寄せられていきます。サンフランシスコ名物の霧も朝早く引いたようです。小さく見えた人家がみるみる大きくなり、飛行機は海際の滑走路に滑り込みました。 こわばった体をほぐすために少し大股で歩きながら入国審査に進みました。手荷物のみなのでカルーセルで荷物を待つ必要がなく、さっさと人ごみを抜け、そしてジュラルミンの扉を抜け、早々に空港内に入ることができました。様々な人種で構成されている出迎えの人々、その人でごった返している到着ロビーの外にタクシー乗り場があります。窓のない空港から出てきて最初に肺に入れることのできる外の空気です。ドアへ向かって早歩きしながら肩掛けのダッフルバッグを持ち替えていると、ぽんと肩をたたかれました。 「ヘイ、ジュンペイ、出張だったのかい?」 振り向くと、ジムが立っていました。 「やぁ。ちょっとした相続事件でね、日本に行ってた。」 ジムは私よりも大きく190センチくらいある太鼓腹のアイリッシュで、ハイヤーの運転手をしています。海軍にいたころに日本で日本語を覚えたそうで、日本人がサンフランシスコに来るとハイヤー会社はジムを指名します。ハイヤーといってもアメリカではストレッチリムジンという、場合によってはプールまでついた巨大なソーセージみたいな車があり、私も以前ジムに仕事の関係で乗せてもらったことがあります。それで彼は私を知っているのです。 「疲れるね、飛行機は。ジムは忙しいかい。」 と聞くと、ジムは軽く何度も首を縦に振りながらも、入国審査を済ませてジュラルミンの扉から出てくる到着客をしっかり品定めしていました。ジムが両手で「Mr. Fukumoto」と手書きされたプレートを持っているところを見ると、お迎えに参上といったところなのでしょう。 「ぼちぼちだね。でも今日から忙しくなりそうなんだよ。なんでもミスター・フクモトというのはすごく有名な建築家らしくてね。世界中を飛び回っていて、何でも今回はメキシコからシスコ入りらしい。世界各国に拠点を持っていて、シスコにも家は持っているらしいけどスケジュールがぎっしりで自宅では寝れないような感じだな。俺も儲けさせてもらうかな、ははは。」 握手と挨拶でジムと別れた私は、空港の建物を後に陽のあたるタクシー乗り場に向かいました。青空が広がり雲一つないカリフォルニア晴れです。長く厳しい修行から開放された私はついつい口笛など吹いていたのですが、外に出たとたんものすごい重低音とそれに続く「キーン」と鼓膜に振動する音で、建物の中を振り返りました。地震のような揺れでしたが、見える範囲では何も異常は目に入りません。ただ、太陽の光がかろうじて間接照明になってはいるものの、建物の中は電気が切れて薄暗くなっていました。耳がまだセロハンで覆い被されているような状態でしたが、悲鳴や泣き叫ぶ声が徐々に従来の耳の機能を回復させていきます。何らかの人為的な危険物が爆発したのでしょう。テロなのかな、と思いつつジムを探しに建物に駆け込みました。 白い煙が徐々に空港建物に充満してきています。到着客を待つ人の中でも、外に逃げる人もいれば、呆然としている人もいて、中にはパニック状態に陥り、倒れている人を踏みつけながら、走っている人もいました。すかさず持っていたダッフルバッグを口に当て煙りを吸い込まないようにしながら、ジムを探しました。少し前にジムに出くわした到着ロビーの付近では20人ほどの人が倒れていましたが、ジムは呆然と壁に背中をもたれて放心状態になっていました。爆発は入国審査付近で起きたようで、到着ロビーはジュラルミンの扉のおかげで直接の被害はなかったようです。しかし、大量の煙で扉付近はまともに見えません。心臓の鼓動が、警報が鳴るのに合わせて早くなるのが感じられます。建物の造りのせいか、警報が悲鳴よりも響きます。私はたまらず、 「ジム、ジム、早くここを出よう。」 と叫びますが、ジムには聞こえていないようです。駆け寄った私は、ねとっとしたジムの手を引きました。その時、背中に大きくFBI(Federal Bureau of Investigation:連邦捜査局) とプリントしてあるビニールのジャケットを着た一団が、到着ロビーをすり抜けジュラルミンの扉が内側から開いたところを銃やライフルを手に外から入っていきました。一団が入っていった扉の隙間からちらっとみたところでは、荷物を受け取るカルーセルのあたりがひどく燃えていました。重たいジムを、言うことを聞かない子供を引っ張るように建物の外に連れ出しました。ジムは本当に重い。 長いように感じられても実際はほんの数分の出来事だったのでしょう。建物の外に出たとたん、警報とは違う、緊急車両のサイレンの音があちこちから聞こえてきました。牛のように重いジムはまだ放心状態で、私もゼーゼー喉を鳴らしていました。黄色い消防服を着けた消防隊員が、ジムを担架に乗せて運んでいったのは20分ほどたってからだったでしょうか。ジムはある程度気を取り直していて、私に話しかけてくれました。私はジムが運ばれる病院の名前を頭に刻み、後で会いに行く約束をしてから、まだしぶとく商売を続けているタクシーに乗り込み、興奮してアクセントの強い英語でしゃべっている運転手に私の事務所の住所を告げました。タクシーは空港を滑り出し、水色のペンキをこぼしたような空のもとサンフランシスコ市内に入っていきます。 私はパステルカラーの家並みを見ながら車の後部座席の窓を開け、サンフランシスコの空気を楽しんでいました。運転手にラジオをつけてもらい、先ほどの爆発についてのニュースを耳で追っていましたが、株価や政治の話が途切れませんでした。運転手も自分の体験談を口早に話してくれますが、アクセントがきついのでいまいちわかりません。私は適当にうなずいていました。ピラミッド型のビルがそびえるダウンタウンに近づいてきたころ、やっとさっきの爆発についてのニュースが割り込んできました。死傷者は50人を数え、まだ確かな人数は不明であること、原因は何らかの爆発物によることが淡々と報じられていましたが、詳細は不明。耳のほうは徐々にすっきりしてきましたが、事件はすっきりしない様子です。爆発の現場で、私とほぼ同時にFBIが瞬く間に集合していた不思議がふと頭をかすめました。通常、FBIは連邦に関係する事件の捜査に時間を割きますから、地域的な問題に首を突っ込んでいるのにはなにかわけがあるのでしょう。ブレーキでタクシーが止まり、私はチップを加算した料金を払うと、事務所が入っているビルに足を運びました。 三谷法律事務所はダウンタウンの中心街にある古いビルの7階にあります。古いといってもビルは立派なものです。入り口には大理石がちりばめられ、重厚な歴史を見ることができます。見知った入り口の守衛さんと簡単な挨拶を交わします。エレベータの中で髪の毛を整えて事務所に入ると、明らかに心配顔をしていた事務員の千穂さんが安堵の表情になって出迎えてくれました。 私の事務所は入り口から入って左右に大きな本棚があり、カリフォルニア州の判例や条文がびっしり並んでいます。奥行きはあまりありませんが、来客用の会議室、それに三谷先生の部屋と私の部屋、それから千穂さんのいる部屋にわかれています。部屋はアメリカ憲法修正第14条の平等原則にのっとって、ひとつひとつ皆同じ大きさです。三谷先生はきれい好きなので、本棚や机の上も整頓されています。対照的にO型の私の部屋の机の上には本が積み上げられられたり、郵便物や書類がちょうど屋根の瓦のように重なり合って置かれています。私は自分の部屋にたどりつく前に千穂さんにブロックされるかたちになりました。 「空港での爆発騒ぎを聞きました。電話でも一本くれればよかったのに。心配したんですよ。」 「ごめん、ごめん。携帯電話のバッテリーが切れていたしね。早く現場を後にしたかったんだ。三谷先生は?」 「奥にいらっしゃいますよ。」 日本とアメリカにまたがる相続事件で日本に行き4日間ほど留守をしていた私は、留守中の事件の流れを聞きたくて三谷先生の部屋のドアをノックしながら同時に開けました。私が無事だったことがうれしかったらしく、めがねの奥の眼が笑っていました。非常に温厚な学者タイプの先生で、日本語もある程度話せますが、私と話すときにはいつも英語です。仕事の話をするはずが、結局空港での爆発の話になってしまいました。ちょっとするとノックとともに千穂さんが入って来ました。私宛てのたまった郵便物を持ってきてくれたのですが、関心は爆発のことにあったようです。すらっとした彼女は私の話を熱心に聞いてくれました。彼女もジムを知っていたので、びっくりしてから大事がなかったことを聞いてほっとしていました。 自分の部屋に戻り、書類や郵便物、それに伝言メッセージの海をかいくぐり一息ついたところで、ジムの奥さんのリサから電話が入りました。彼女とはまだ話したことがありません。 落ちついた低い中部訛りでした。 「今、病院に駆けつけたところなの。ジムは大丈夫。本当に助けてくれてありがとう。すぐ退院できそうだから。」 病院のロビーの公衆電話か何かからかけているらしく、バックの声や機械の音がうるさいです。 「あまり大したことにならなくてほっとしてるよ。ショックだったろうからそばにいてあげてね。」 「ところで、この病院のER(緊急病棟)にも空港からたくさん被害者が運ばれてきているんだけど、警察が聞き込みをしているみたい。」 「え、もう動いているのかぁ。原因がわかっていないんだね。」 「そうみたい。FBIの捜査官がジムとも話したいって。あんまり気持ちいいものじゃないわね。」 やっぱり、FBIが動いている様子です。なにか重大な事件とかかわりあっているのでしょうね。でも、これはあくまでも私の勘ですからリサには伝えず、 「ジムもあんまり話すことはないだろうね。お客を迎えに来てただけなんだから。何かあったら電話して。」 と言って電話を切りました。ジムに大した問題がなかったことにほっとするとともに、FBIの話が妙に気になりました。FBI、つまり連邦捜査局とはアメリカの中央政府直属の司法省(Department of Justice)に属する行政機関です。ローカルな犯罪の調査は各州や郡それに市の警察が行いますが、2つ以上の州にまたがる犯罪や連邦で制定された法律にかかわる犯罪の調査などはFBIが手がけます。通常、重大な犯罪が多いものです。少しの間、いろいろな可能性を考えていたのですが、そんなことも言っていられません。クライアントとの電話のやり取りが午後のほとんどを占領し、合間を縫って書面を作っていたので、ジムのことも夜になるまで忘れていました。 時差のせいで、眠くなったりかえって目がさえたりしながら夜遅くまで出張で事務所を不在にしていたつけを払っていました。夜になると電話が鳴り止み集中して文献を読んだり文面を練ったりできるのですが、その日は疲れていたので、時計が夜9時を指したことを確認して帰途につこうとダッフルバッグを肩にかけました。電気を消そうとスイッチに手をかけると同時に電話が鳴り始めました。私はうんざりしながらも受話器を取りました。 「三谷法律事務所です。」 「この声はジュンペイだな、ジムだ。」 「大丈夫なんだな。6パック(ビールの6本パック)でも持って会いに行こうか。俺たち二人で6本じゃ足りないかな。」 ジムは笑わずに 「ビールはいいけど、ちょっとどこかで会えないかな。できれば今夜、今から。ちょっとおまえに相談があるんだ。」 「いいよ。どこがいい?」 「病院はまずい。ゲーリー通りにメルズ・レストランがあるだろ、24時間営業だからそこで会えるかな。」 「30分後はどうだい。今、ちょうど事務所を出るところだったんだ。」 「O.K.」 かみ殺したような声で話すジムを深くは詮索せず、とにかく会うことにしました。駐車場で4日間置きっぱなしにしてあった車のバッテリーが正常なのを確かめて、夜の街に出ました。サンフランシスコのダウンタウンの歩道は金属片がまぶしてあるらしく、夜に街灯の光できらきら光ってきれいなのですが、考えながらの運転だったために見過ごしていました。 メルズには20分ほどで着きました。ダウンタウンからはちょっと離れているので、路上駐車は比較的容易です。夜遅いのに、若い男女などでごった返していました。タイルや照明がまぶしい指定の店に、ジムはまだ来ていないようです。60年代の映画を真似たミニ・スカートのウェートレスが席に案内してくれました。4人がけの席も60年代のキャデラックに張ってあるような、すべすべした濃い赤のビニールを使ったおしゃれなお店です。まずコーヒーを注文し、渡されたメニューを勉強していたところ、ジムが声をかけてきました。 「早かったな。」 「もう、コーヒーは頼んじゃったよ。ジムも何か注文しなよ。」 「まあ、それはそうと、まずこの子を紹介させてくれ。」 そう言われて初めて、私はジムに隠れるように立っていた線の細い少年に気がつきました。日本人のようでした。背は低くはないけれども、非常に線が細い男の子でした。ジムは少年の代わりに説明をはじめ、 「この子は今日、俺が空港まで迎えに行ったミスター・フクモトの子供さんだ。シンジだったよな。」 と言いつつ彼の顔を見ました。少年はぺこっと頭を下げたのみで、あまり話したい様子ではありませんでした。 「まあ、席に座れよ。注文してから話そうよ。」 「そうだな。」 ジムはちょっと神経質気味にシンジ君を先に座らせ、その横に収まりました。ちょうど私と向き合ったシンジ君に、私は簡単に自己紹介をしてから飲み物を勧めました。短いスカートのウェートレスの注文取りが一段落したところで、私は話しはじめました。 「ジム、どうしたんだい。もう、入院はしなくてもいいのかい。」 「うん、何も異常はないし、仕事に戻らなくちゃいけないからね。もう出してもらった。ところがさ…。」 「ところが?」 「俺が迎えに行ったミスター・フクモトなんだけど、亡くなったんだ。」 「あの爆発でか?」 「そうだ。ここにいるシンジはなかなか帰ってこないお父さんを心配して、うちのハイヤー会社に電話してきたんだ。」 「それは、シンジ君もたいへんだね。」 私はそう話しかけてみましたが、彼はうつむいたままでした。ちょっとの間を置いて、ジムはかまわずまた話しはじめました。 「今日、病院にいたとき、FBIが事故現場にいた人たちに事情を聞きまわっていたんだよ。」 「君の奥さんから電話で聞いた。」 「そうだったな。それで俺も質問された。その質問された内容でびっくりしたんだが、どうも麻薬関係の話らしいんだな。」 「麻薬関係?」 「うん、ヘロインのことについていろいろ聞き込まれた。」 「おまえは関係ないんだろうな。」 「神に誓ってそれはない。」 「ところが、FBIはこのシンジの父親について、何か疑っているらしいんだ。」 そう言いながら、ジムはシンジ君に目を移しました。シンジ君はまだうつむいています。 「FBIは、運転手をするはずだった俺にいろいろ聞きたい様子だった。」 「おいおい、ここに来ていて大丈夫なのか。」 私は反射的にあたりを見まわしてしまいました。 「うん、うまく運転してきたから、尾行はなかったと思う。それにもう帰宅していいって言われてたからな。ただ、このシンジが心配なんだよ。奴ら、家族関係から何からみんな聞いていったから。もちろん俺は大して知らないけど、シンジも親父がいなかったら一人ぼっちだし、これから先、麻薬関係の聞き込みなんかがあったら弁護士が要るだろ。だから連れてきたんだ。」 「ひとりぼっちって…、お母さんは?」 この質問に対してはシンジ君がはじめて反応しました。つぶやくような日本語で彼は、 「母は死んだんです。二年前に病気で。」 「君は今いくつなの?」 「16歳です。」 シンジ君の声はか細く、弱い。どちらかというと色白の腕がテーブルの上のライトに照らされ、頼りなく見えます。服装を見ると高級そうなものを着ていますし、ちょっと神経質なところがある感じが育ちの良さ、お金のある家庭に育ったという印象を与えます。ぎゅっと結んだ唇をかたどる生気のない顔を見る限り、疲れているようです。それでも、やっと口を開いてくれた彼に、私はチャンスを逃すまいと質問を続けました。 「今はどこに住んでいるの?」 「父と二人でシークリフ(サンフランシスコの高級住宅地)に住んでいます…いました。」 ちょっとした間があいたところでジムが私を見て、 「ジュンペイ、FBIの感じだとシンジもちょっと深刻な問題に巻き込まれるかもしれない。なんとか、これからこの子を守ってやってくれないか。俺も大してこの子には関係ないけれど、一人ぼっちじゃかわいそうだしな。この子はまだあまり英語も話せないみたいだし。」 「うん。ただ、今現在は何も打つ手はないよな。別にシンジ君のお父さんが犯罪に巻き込まれていたという内容の捜査が行われているわけじゃないし。」 私はちょっと考えていましたが、シンジ君に、 「何かできることがあれば相談にのるから、いつでも不安になったら電話をしてね。」 そういって名刺を渡しました。シンジ君も自分の住所と名前、それに電話番号を教えてくれました。福本真治と書くそうです。メモを渡す手が震えていました。 「真治君、とにかく警察から電話があっても何も話したらだめだよ。FBIが絡んでいるからね。重要な犯罪を捜査しているはず。だから、警察が連絡してきたり、直接家にやって来たりしたら、必ず僕に電話するんだよ。」 「はい。でも…、あの、お金とかどうすれば…。」 「お金って、弁護士の費用かい?」 「そうです…。」 「別にまだ実際の事件になったわけじゃないから心配しなくていいよ。今はお父さんに不幸があって大変なんだから、がんばるんだよ。お金のことは後で話せばいいよ。」 ウェートレスがジムと真治君に飲み物を持ってきました。ジムは安心したのか、アイスティーを一気に飲み干しました。対照的に真治君は自分のコーラにはまったく口をつけません。しばらく私たちと話をしているうちにちょっとはほっとした表情になった真治君は、ジムと一緒に帰って行きました。私もちょっと冷めたコーヒーを飲み干すと、帰宅しました。夜のサンフランシスコは冷えますが空気が東京と違ってすがすがしいです。私は窓を全開にして肌を刺す空気を楽しんでいました。コーヒーを飲んだのでちょっと目がさえてしまいました。 |
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