最近移民局は Form I-539 を一部訂正すると発表しました。I-539の項目がいくつか追加になり、さらにI-539AというI-539への補足書類も新たに加わります。これは2019年3月11日提出分より開始します。なおI-539ですが、非移民ビザ滞在資格の延長や資格変更の際に用いられます。
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
==== 今回は一般的ですが、契約をすでにしている当事者間でその契約の内容を変更する場合の注意点について考えてみたいと思います。具体的な例を使って考えてみましょう。たとえば、身近なところでは、家を借りるといった賃貸借契約でしょうか。1年間といった継続した期間、お金を月々支払い、その対価として、家やアパートなどを使えるという契約です。ところが、長年にわたり賃貸借契約のように当事者間を縛る契約では、時間の流れや事情の変更で、契約内容が変更されることがあります。賃貸借契約などでは、たとえば、車を買ったから車庫を借りる項目を追加するとか、家賃が値上げになるといった場合です。 こういった変更を口頭で両当事者とも納得して、従う分は構いませんが、当事者間で問題になったときや、また契約をしていない第三者が契約当事者の地位を受け継ぐといった場合に問題となる可能性が生じます。簡単に言うと、契約の内容が変更されても、その変更された内容がちゃんと書面になっていないと、第三者が見たときに、そのような変更を客観的に知り得ないことになってしまいます。そうすると、契約内容が曖昧になってきて不利益を被ってしまうかもしれませんね。ですから、契約内容を変更する場合、たとえば上記で例として使った賃貸借契約ですが、書面でどのような変更があったのか、たとえば車庫を追加で利用する場合には、その旨を記載した書面をつくっておくことが大事になります。驚かれるかもしれませんが、契約書で訴訟になるという場合には、この変更点を書面にしてあるかどうかというポイントが争われることが少なくありません。 ところが、アメリカは契約社会ですから、簡単な追加書類では事足りない場合があります。まず、皆さんが確認しないといけないのは、元となる契約書です。たとえば、売買契約やリース契約、それに賃貸借契約などでも、必ず契約の内容を変更したり、追加条項を加えたりする場合の制約が書かれています。もし、家を借りている、何かものをリースしているといった場合には、そもそも当事者が締結した契約書を確認する必要がでてくるのです。 契約書で定型的に使われるのは、契約上の双方が書面によって合意した場合でなければ、契約内容の変更や加除は認められないということが書かれています。ですから、口頭で契約が変更されても有効では無い場合があるのです。上記の例を使って考えると、車庫を追加で借りるといった場合、元の賃貸借契約書に書面によらなければ契約の変更ができないと書いてあると、口頭で車庫を借りる契約をしていたとしても、有効に元の賃貸借契約に組み込むことができなくなります。もし、友達に自分が住んでいるところを引き継いでもらおうなどと考えている場合には、後から「車庫は使えないよ」と言われてしまう可能性があり、そういわれた場合、反論が難しくなる場合があるのです。ですから、特に継続的に契約をしている(賃貸借契約など)場合には、元の契約内容に変更点があったときには必ず元の契約書に沿った書類をつくっておいた方がよいことになります。 もちろん、元の契約書に沿った内容の文言をつくらなくては効果が無い場合がありますが、以下簡単にどのような内容を盛り込むことが必要か考えておきましょう。 まず、基本となる契約書の内容を修正するという内容をはっきり盛り込む必要があります。いつつくられた契約書をどの当事者で修正(Amendment)するのかを最初に書きましょう。 次に、基本となる元の契約書のどの部分を修正するのか、また新たに追加するのかはっきり記載しておく必要があります。条項を修正するのであれば、その元となる条項、それに新しく修正される、削除される、または追加される内容をはっきり記載しておく必要があるでしょう。 その他、いつ実際に修正条項が有効となるのか、また元の契約書の条項は修正された以外はすべて有効に存続するなどの項目などをいれる必要がでてきます。 個人の契約などに関しての修正では当事者同士が話し合いをすればさほど問題は発生しないと思いますが、何十万ドルにもおよぶ不動産リースなどをしている会社は契約の内容を変更したいと思うときには必ず法律的なアドバイスを受けることをお勧めします。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第5回目です。 ===================== 第5章 予審(Preliminary Hearing) 真治君が18歳以下の未成年ということで、予審は成年被告人とは別にイン・カメラで行われることになりました。未成年者の場合、通常公開の法廷ではなく法廷の裏で審理されるのです。8時半ごろ出廷した私は、法廷内で、シェリフ(廷吏)に真治君のラインナンバー、つまり順番の番号を述べ代理人であることを告げました。その後法廷の裏にある裁判官の控え室に行きました。担当検事はキャサリン・バードという紺のスーツにブロンドの髪が映える女性検事、裁判官は予審判事の一人ブレナン判事でした。60歳ほどの銀髪のユダヤ人です。お互いに挨拶をして、検事とは名刺を交換し、真治君の代理人であることをラインナンバーで告げました。他の事件に先立って審理をしてくれるということになり、裁判官の指示でシェリフは控え室に待機していた真治君を呼びにいきました。ブレナン判事、バード検事それに私が、裁判官控え室の脇にある部屋に移動しました。 地裁レヴェルでの判事の控え室は異動が多いため、煩雑で部屋も質素なことが多いのですが、連邦レヴェルの判事はアメリカ大統領による任命によるため、異動が少なく、家具や調度も高価なもので揃えられています。別室も例外ではありません。 革の椅子に腰掛けてしばらく待っていると、オレンジの収監服を着た真治君が手錠をはめられたまま別室に入って、入り口付近の木の椅子に座らされました。太鼓腹のひげ面シェリフも無言のまま、真治君の横に座っています。 判事は大きな机を挟んでちょうど真治君の正面に座っており、裁判官から見て左が検事、右に私が座りました。厳密なルールは決まっていません。ただ、検事の横に弁護人が座るということはまずないといってよいでしょう。座りたくないです。 ブレナン判事は「さて、ラインナンバー8番にあるシンジ・フクモトの予審をはじめます。」といって手元にあるリーガルサイズのフォルダを開きました。 バード検事が、ゆっくり起訴事実を読み上げます。私も、予審直前に手渡された起訴状に目を落とします。 「起訴事実の要約としてはシンジ・フクモトは自己が居住する住所地において、ヘロインを約30パウンド所持してため、起訴を認めるに相当な嫌疑がある。」 とバード検事は無表情で読み上げました。ブレナン判事はうなずくと 「弁護人は何か。」 と私を見ました。実際のところ、プレリムで無罪を受けて釈放してもらえるという事例はほとんどないでしょう。実際のところ99パーセントの事例では、保釈の請求をしてなんとか保釈金を逃れるか減額させるかを判事に印象づける舞台です。とにかく私も口を開きました。 「判事、この事件においては私のクライアントはまったく関係ありません。事実、麻薬を所持していたという事例ではない。それに、ヘロインはクライアントの父親が使用していたアイスクーラーから発見されたのであり、ここに座っている彼がコントロールしている範囲でのできごとではありません。実際の麻薬の売買や所持にかかわりのある証拠が少しでもない限り、検察の主張を維持することは難しいでしょうね。判事、この麻薬に関しては何らか別の組織が絡んでいて、私のクライアントの関知しないところで、物事が動いています。私のクライアントもその組織の被害者です。」 私は少々の賭けをしてみました。別の麻薬組織が動いているという証拠はまったくないのですが、それらしき匂いはしますよね。判事はすかさず、 「別の組織が動いているという証拠でもあるのですか。」 「私が、クライアントの家に入り内部を検分していると、いきなり覆面を被った男に頭と肩をバットで殴られました。これが診断書です。」 私は昨日もらってきたばかりの診断書を判事の目の前に差し出しました。真治君は、私が襲われたことまでは知らなかったので、驚きの表情を見せていました。 「その二人組は、私のクライアントの家に無断で立ち入り、彼の部屋に置いてあったコンピュータを盗み逃走しました。FBIが捜索した現場からさらに何かを持ち出すなんてことは、通常、犯罪にかかわっている人間しかやらないでしょう。ですから、私は別の組織が動いていると主張しているのです。」 私のドラフトした書面と診断書に判事も検事も目を通していました。間髪を入れず、私はORを請求しました。ORとはOwn Recognizanceの略で、保釈金を一切積まずに保釈してくれという命令です。検事は立ちあがって猛烈に反対しました。インテリ風の彼女もいざとなると法律論で攻めてきます。反対の理由は証拠隠滅の恐れと、逃亡の恐れがあることと主張しました。検事は更に少なくとも10万ドルの保釈金を課すべきだと主張しました。そのような金額では一遍に用意するのは難しいですし、ベイルボンズ(いわゆる保釈請負業)に頼んだとしても10パーセント、つまり1万ドルを手数料で取られてしまいます。 ブレナン判事は無表情で少し考えると、私に、 「このミスター・フクモトには身を寄せる場所がないんですよね。両親とも他界しているとか。」 「間違いありません。」 「それでは、家に帰すことはできませんね。」 私が、すかさず、 「それでは私がクライアントの身柄を引き取ります。私と一緒に暮らしていれば問題ないでしょう。ひとりで家に帰すとまた暴漢に襲われる恐れがありますし。」 バード検事は薄笑いして、 「正気なのですか、前代未聞です。刑事被告人の身柄を受ける弁護人なんて。許されるべきものじゃないでしょう。」 うるさいなピーチクパーチク、と思いながらも、私は判事に向かい冷静に言いました。 「許されるかどうかは、判事、あなたが決めてください。彼も学校へ行くという仕事があるのです。」 しばし沈黙が続いた後、判事は私に軍配をあげました。真治君の顔を見ると、彼は私の目をずっと見つめていました。バード検事は肩をすくめると、法廷にさっさと帰って行きました。 判事と握手した後、シェリフがいくつかの書類を持って来ました。私が保護者となってしまったようなものですから、複雑な気持ちでいろいろ署名をしました。本日で真治君を釈放する、ただし次回から出廷しなかった場合、即座に逮捕令状が発行されるという命令書に、判事は事務的に署名をしました。判事も、これから昼まで続く予審のために、「グッドラック」と一言私に言い残し法廷に向かいました。 真治君はその場では釈放されません。CJ-9に帰って、釈放の手続きを済ませてから出られるのです。私は簡単にそのことを説明し、真治君と別れました。まずは、うまくいったことに満足でした。 法廷を出ると、私は風もなくのんびりした空気を吸い込み、CJ-9に向かいました。1時間ほどして、真治君は釈放されました。逮捕のときと同じ服を着ていました。ちょっとやつれているものの、だいぶ平常心に戻ったように感じられます。 「先生、本当にありがとうございました。それにしても、頭大丈夫ですか?」 「なんだよ、『頭大丈夫』なんて聞かれると、自分が変わり者かどうか考えちゃうじゃないか。」 やっと真治君は笑顔を見せてくれました。 「もうお昼だから、何か食べようか。」 日本食が食べたいと言う真治君の希望をかなえ、ダウンタウンにあふれるようにたっている日本食屋をひとつ選び、二人とも満足したところで、事務所に立ち寄りました。 千穂さんは真治君の学校にもう連絡を取ってくれていたようでしたが、私と真治君を見ると非常に喜んでくれました。 「よかったですね、出られたんですね。」 「そうなんだ、本当によかった。でも、これから裁判が終わるまで僕が真治君の身柄の引受人になっちゃったんだ。」 「えっ、大丈夫ですか。」 「君は無実だよな、真治君?」 と言って真治君の顔を見ると、真治君はまじめな顔をして、 「絶対に無実です。信じてください。」 と私の目を見ました。千穂さんは、ちょっと大丈夫かしらんいう顔をしていました。三谷先生の部屋にも報告に行きました。話を聞いていた三谷先生は、真治君をドアの外で待たせておいて、私に言いました。 「刑事事件のクライアントはうそをついていることが少なくない。君はまだ若い弁護士だから、わからないかもしれないが。そんなにクライアントを信用していちゃ、この仕事体が持たないよ。」 「わかっています。でも先生、彼、今では孤児なんです。誰かが全面的に信用してあげないと、彼、どうなっちゃうかわからないんです。」 「うん、君がそこまで言うなら、弁護士は自己責任だからかまわない。でも、くれぐれも気をつけるんだよ。」 「はい、ありがとうございます。」 真治君を少し待たせておいて、一通りの急ぎの仕事を終わらせて、一緒に外に出ました。私は事務所の前で信号待ちをしながら、ぐっと息を吸い込みました。そして真治君の顔を見て言いました。 「本当の闘いはこれからだぞ。」 永住権申請において、最後のステップであるI-485申請(資格変更手続)の際、申請者は移民局の指定医で健康診断を行い、その診断書を移民局に提出する必要があります。
診断書の有効期限は医者がサインした日から1年間でしたが、2018年11月1日以降に提出する分についてはサインした日より2ヶ月間有効というように変わっています。ですので移民局の提出前の健康診断のタイミングを図る必要があります。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第4回目です。 ===================== 第4章 証拠探し (Informal Discovery) けたたましい電話の音で起こされました。時計をぱっと見るともう朝の10時。急いで受話器を取ると、千穂さんでした。 「先生、大丈夫ですか? 昨夜、さんざん電話したのに。」 携帯電話をチラッと見ると、電池切れです。 「あれ、携帯は電池切れみたい。」 「彼女でもできたんですか、 それならそこの連絡先も教えてもらわなくちゃ。」 「そうだったら良かったんだけどね。申し訳ない、一晩中、福本君の事件で走り回ってた。」 頭をぽりぽり掻くと、昨日頭から出た血が粉状になって手につきました。頭と右肩がまだ、ずきずきします。でも、腫れてはいないことから骨には異常がないな、と再確認しました。右腕を動かしてみます。 「福本さんの件なんですが、まだ、遺体はもらい受けられそうにありません。学校には留守電を残して置きましたが、まだ連絡はとれていません。土曜日ですから。」 「遺体はいつ頃もらえるって?」 「まだ、見当がつかない様子でした。監察医がいませんでしたから。」 「遺留品は?」 「それも渡せないって。」 「…。FBIが手を回しているな。学校には月曜日でいいからなんとか連絡しておいてね。」 「わかりました。でも、起こしちゃったみたいで申し訳ないですね。」 「いいんだ。起こしてくれてありがとう。あとね、月曜日には、真治君のプレ・リムが朝9時からだろうから、 カレンダー(出廷の日時を記録)しておいて。念のため検察に確認しておいてね。」 「でも、他の法廷が入っていたと思いますが。」 「悪いけど、三谷先生に頼んでおいてくれないかな。真治君を助けなきゃ。」 「わかりました。伝えておきますね。」 「ありがとう。」 受話器を置こうと思って、私は寝ていたソファから落ちてしまいました。ああ痛い。気を取り直して、シャワーを浴び、血をぬぐって、Tシャツにジーパンをあてがい、家を出ました。近所で、いつも飲んでいるピーツ・コーヒーと朝食代わりのクロワッサンを買いました。奥さんがいれば家で朝ご飯も食べますが、こんな仕事をしていると出会いがないのです。 行き先は真治君のお父さんが眠っているところです。サンフランシスコの郊外、そして爆発のあったサンフランシスコ空港のそばの検死局に車を飛ばします。まだ、少々からだの調子が良くないですし、時差ぼけで頭がボッとしています。気分を積極的にするために車の窓を全開にして、ラジオをつけます。ニュースではなくソフト・ロックです。コーヒーをすすりながら、目的地に向かいます。検死局は四角い巨大なさいころのような無味乾燥した外見をしていて、味気ない政府の建物という雰囲気をぷんぷんさせていました。遮断機にボブワイヤ(有刺鉄線)が入ったゲートで弁護士証を見せ入ります。雲がちょっとありますが晴天で、コーヒーだけでは唇が乾きます。 モルグ(死体置場)があるコロナーズオフィス(死体管理局)の建物の中はひんやりしていました。受付で所定の書類に記入しました。真治君はお父さんの相続人ですから、相続人の代理と記入しました。私の弁護士証で身分確認を済ませた後、土曜日なのに働いている黒人の女性係員は2秒ほど笑えるジョークを飛ばしながら、ファイルを検索してくれました。 「ミスター・フクモトね。死体は見れないわ。」 彼女は残念そうな顔をして私に告げました。 「ひどいのかい。」 「爆発に巻き込まれたみたいね。見るのはちょっと無理ね。」 「遺留品は?」 「それなら…、えっと、なんとかなるわね。着ていた洋服と、かばんとその中身の一部はあるわ。」 「とにかく見せてください。」 ちょっと受付で待たされた後、別室に通されました。窓がないので、湿っていてとにかく暗い。壁はコンクリートが剥き出しのまま冷ややかに見えます。リノリウムの廊下を歩く足音が響きます。かすかに点滅する長めの蛍光灯が煌煌と光る部屋に通されると、ビニールの検診台の上に遺留品が置かれています。 「誰か、ほかの人が検分に来ていた?」 「昨日の夕方、確か警察が来ていたようだったけど。」 「FBI?」 「そうね、確かマックブライドとかいう捜査官だったわ。」 私は口を歪めました。係官が差し出したチェックインリストにサインをし、遺留品リストにもサインをしました。遺留品リストからわかるようにまだ、何も持ち出されてはいません。 「終わったら、内線で105を押してね」と、壁にかかった電話を指差し、ウインクをした受付の係官は部屋を出て行きました。 感謝の言葉を述べましたが、FBIの後手に周っているのは気分がよくありません。 遺留品に目を向けると、血みどろになった洋服の一部がありました。所々焼け焦げ、洋服のちぎれ方も爆発のすごさを物語っています。 「探し物はあるかいな。」 私は独り言を言いつつ手荷物であろうと思われるかばんの中を見てみます。所々が焦げたかばんを探すと、ラップトップがでてきました。ところが、一部は原型をとどめていないほど高温で溶けているようです。私が落ち込んだのはハードドライブが破損しているのを見つけたときです。肝心のデータが入っているハードドライブが半分以上高温にさらされて溶けています。これでは、データの解析もままならないでしょう。次に手帳型のコンピュータを探して見ますが、陰も形もありません。洋服も焦げていますから、胸ポケットに入れておいて落としてしまったのかもしれません。次に鍵を良く見てみました。キーホルダーについた鍵は、私が真治君の家から借りているものとほぼ同じでした。いくつか見なれない鍵もついていましたが、その中に車の鍵があり、メルセデス・ベンツのマークがついていました。他にこれといった鍵は見当たりません。手詰まりだな、と感じてがっくりしていましたが、気を取り直して壁掛けの電話の内線を押して、建物を後にしました。 お腹が減っていたので、ハンバーガーを買うことにしました。昨日は晩ご飯もろくに食べられなかったですからね。ドライブスルーでジャンクフードを買い、そこの駐車場でダイエットコークをすすっていたとき、車のシガーソケットにつないで充電しておいた携帯電話がけたたましく鳴りました。出ると、三谷先生です。 「どうしたんですか、土曜日に。」 「今、ちょうど事務所にいるんだけど、君に電話が入った。とっても急用だとさ。」 「誰ですか、急用って言っているのは。」 「ミス柏木だって。」 三谷先生はアメリカ生まれなので、ちょっと訛った日本語で、私に電話をかけてきた日本人の名前を告げました。 「柏木ねぇ、知りませんね。とにかく電話番号をください。」 事務所に残された番号に電話を返すとワンコールで女性が応答しました。 「あの、私、弁護士の小山といいます。お電話もらいましたよね。」 「あ、小山さん。よかった、かけてきてくれて。」 「えっと、あの…。」 「おととい、フライトのときお会いしたじゃないですか。名刺をくださって。」 「あー、まりこさんですね。」 かっこよくてきれいなアテンダントの方ですね、という言葉は飲み込みました。 「そうです、そうです。」 「お疲れ様でした、どうしたんですか?」 「空港で爆発騒ぎがあったでしょ。それで福本さんの息子さんの弁護をされていると聞いて電話しているんです。」 「どこからそんなこと聞いたんですか。」 「ジムです、彼とは知り合いなんです。」 「はは、狭い世界ですね。どこでつながっているかわかりませんね。」 私は、まだ食べかけのハンバーガーが冷えるのを目でじっと見ていました。 「それで、福本さんがお亡くなりになる前、確か10日前だったけど、サンフランシスコからサンディエゴに行く飛行機に私が乗り組んでた時に、福本さんにお会いしたことがあるんです。」 そういえば、今回、福本氏が乗ってきたフライトは日本からではなくて、メキシコからだったということを思い出しました。 「国際線だけじゃなくて国内便も飛ばれるんですね。」 「私は、サンフランシスコ採用だから、どんなフライトにでもスタンバイしていなくちゃならないんですよ。アメリカの航空会社は人使い荒いから。」 「福本さんはサンディエゴからメキシコに入ったというわけか…。」 「そのフライトのときね、福本さんにお食事に誘われたの。何でも奥さんが亡くなって一人だとかで。」 なるほど、やはり食事のお誘いがカギなんですね。私ももうちょっと利口にならなくては。 「それでね、私も悪い気はしなかったから、現代建築にも興味あったし…、携帯電話の番号を教えたのね。」 そうですか、建築ですか。どうせ法律はつまらないですよん。 「そうしたら、自分の電子手帳がないって福本さんが騒ぎだしちゃったの。」 「騒いだって何を?」 「電子手帳がないって。それで、手荷物や席の周りを散々探したんだけどなかったのね。もう、探しているときは私の電話番号のことなんか忘れちゃっていたみたい。」 私は、電子手帳というのはパームパイロットのことだなと直感しました。どこかにやってしまったので、死体にはかけらも見られなかったのだなと。 「それでどうなっちゃったの?」 「結局、一緒にいた白人の男の人がなだめて一段落したけど、すごく落ち着かなかったみたい。」 「連れの人がいたんだ。」 「なんか仕事のパートナーだったみたい。それから福本さんはムスッとして一言も口を聞かなかったわ。なんか、無駄話になっちゃったかしら。ごめんなさい。福本という名前を聞いて、びっくりして電話かけちゃったの。」 「いや、ためになった。ありがとう。」 「もし、何かあったら連絡して…。」 と言い、まりこさんは私に彼女のサンフランシスコの自宅と携帯電話の番号をくれました。「何かあったら」っていうのはデートのお誘いも含むのでしょうか。それよりも、知らなかった事実がいくつかわかって、冷えたハンバーガーを噛みながら、私はまた考えだしました。 午後になって私が向かったのは真治君の家でした。わずかな望みを抱いてそしてLgodとJgodを求めて、パームパイロットを探しました。2時間ほど探しましたがでてきません。今回は私も警戒して、ゾーリンゲンのナイフを懐に収めていましたが、賊はしなければならない仕事を達成してしまったのでしょう、もう出ませんでした。あきらめて、真治君の家を出ました。 もう夕方です。車に乗り込み名刺を見ながらマックブライド捜査官に電話をしようとしましたが、やめました。警察の調書もまだ作成されてないでしょうし、何も教えてくれないだろうと思ったからです。代わりにジムに電話をかけました。かったるそうな声で電話に出たジムは私とわかると、声が変わってしゃきっとしました。 「ジム、体の調子はどうだい。今日、真理子さんから電話があったよ。」 「体は大丈夫さ、今のんびりバスケを見ながらビール飲んでるよ。マリコも俺も日本人を相手にしているからな。仕事でよく会うんだよ。」 「いいな、あんなべっぴんさんと仕事できるなんて。」 「あはは、俺にはワイフとキッズがぶら下がっているから、いいことなんかじゃないけどな。」 「ところで、ジムが福本さんを迎えに行ったとき、福本さんには連れがいたのかい?」 「おー、いたよ。残念ながら男だけどな。なんていう名前だったけな。今日の新聞に載ってたぞ名前は。えーっと、そうそう、ジャック・ロビンスだ。」 「今日の新聞にあの爆破のこと詳しく書いてあるかい?」 「死傷者の名前とか、麻薬関連だとかね。」 「サンキュー、ジム。ロビンスね。」 「ノープロブレム、バディー。ところでシンジはどうしてる? 連絡はあったかい。」 「今、麻薬の容疑に巻き込まれて収監されている。」 「え、やっぱり麻薬が絡んでいるのかい?」 「絡んでいるだろうけど、彼は絡んでいないだろうと信じている。」 「それは大変になってきたな。がんばれ。何かあったら俺に言ってくれ、力になるぜ。」 「ありがとう、リサによろしく。おやすみ。」 電話を切った私は、再び真治君の家に向かいました。その途中、真治君の家の近くにあるコーナーリカー・ショップ(酒屋)で新聞を買いました。一面です。爆破現場の写真や、亡くなった人たちの遺族のコメントが載っています。ジャック・ロビンスはすぐに見つかりました。建築家であること、サンフランシスコのトレードセンターの建築をするにあたり福本氏のもとでチーフデザイナーをする予定だったことが書いてあります。温厚そうな顔立ちの白人です。40歳くらいでしょうか。福本氏と一緒にメキシコに飛び、NAFTA(北米通商条約)で風通しのよくなったメキシコとサンフランシスコの橋渡しをするために会議に出席した帰りと書かれています。ロビンス氏の家族もさぞかしつらい思いをしているだろうと思いました。 福本家は相変わらず散らかっていて、がらんとしています。なんとかロビンス氏の家族に連絡をつけたいと思いましたが、FBIが住所録を真治君の家から持っていってしまった様子で、日本の福本建築事務所に連絡をとる道しか残っていませんでした。電話番号案内にも確認しましたが、ロビンス氏の家には連絡をすることができませんでした。私は月曜日のプレ・リムを考えて少々証拠がないことに焦りを覚えていましたが、もう日も暮れているので、その日は切り上げて家に帰りました。シャワーを浴びると、お酒を口にする元気もなくベットに倒れこみました。 朝起きると、頭痛はほとんどしなくなっていました。寝ることが一番ですね。でも早く病院に行かなくては、などとふと思います。朝までぐっすり寝ることができた私は、撥ねた髪を整え、真治君の接見に向かいました。日曜と言うのにダークスーツを着ている私を見て、近所のおばさんが不思議そうな顔をして私を見ていました。今日もピーツのコーヒーを買うのは忘れません。 拘留施設の入り口で刑務官と話し、明日のプレ・リムに真治君が出廷することを確認しました。サンフランシスコの連邦裁判所、朝9時です。真治君はやっと眠れた様子で、血色がよくなっていました。今日は、会う前に差入れ用のお金をやる気のないクラークに預けておきました。いくらかのお金を留置場に渡しておくと、中で歯ブラシやいろいろなものが買える仕組みになっているのです。 「真治君、明日は保釈してもらえるようにがんばるけど、いくつか質問があるんだな。」 「はい。」 「まず、前回会ったときにお父さんはラップトップを持っているという話をしたよね。お父さんは一台しかラップトップを持っていなかったよね。」 「メキシコに持って行った一台だけです。」 福本氏は私が検死局で見た一台しかもっていなかったのですね。ラップトップからEメールの情報を引き出すのは不可能のようです。 「そうか、あの一台しかないのか…。」 私はちょっと行き詰まった気分になって下を向いてしまいました。 「あ、そういえば、お父さんがメキシコにいるときに電話をかけてきて、コンピュータについて話しました。」 「え、何を?」 「えっと、ラップトップは問題ないけれど、パーム・パイロットをどこかでなくしてしまったと言っていました。」 「あ、そう。」 真理子さんの電話がよみがえります。 「家にないか確かめてくれと言うことで、ずいぶん探しましたが、出てきませんでした。」 「そうなんだ。」 「ですから、ラップトップは持っていたと思います。」 「パームはどこにあるのかなぁ。」 「さあ、わかりません。」 私は話題を変えました。 「ロビンスという人を知っているかい。」 「お父さんの仕事仲間ですね。何度か家にも来たことがあります。今度のトレードセンターの仕事も一緒にやれるって喜んでいました。10年以上付き合っているんじゃないかな。お父さんがサンフランシスコに家を買ったのもロビンスさんがここにいたからだと思います。」 「君は親しくないのかい?」 「僕は付き合いはなかったです。ロビンスさんには子供さんもいなかったし。」 「そうか、子供がいないんだ。お父さんとはそんなに年は離れていないだろ?」 「そうです、年が近かったのも仲良くしていた理由じゃないかな。」 「どこに住んでいるか知っている?」 「さあ、奥さんと二人で確かサンフランシスコ郊外のヒルズブローに住んでいるというのは聞いたことがありますけど。」 「そうか、うん、ありがとう。とにかく今日は明日の準備をするから、明日法廷で会おうね。」 「お願いします。父のためにも。」 真治君の目に強さが感じられてきました。眠ったこともあってようやく気持ちも落ち着いてきたのでしょうか。CJ-9を出た私は、日中の照り返す日差しの中、病院の緊急病棟に立ち寄りました。頭部の傷と、右肩の腫れについて診断書だけ書いてもらうと、そのコピーをもらい、またもや真治君の家に向かいました。アメリカの病院では症状が重くないと緊急病棟とはいえ、何時間も待たされるのには閉口します。車の中で診断書を見てみると頭部と右肩の打撲となっています。 静まり返った福本氏の大邸宅前に車を停め、中に入ると無機質な薄暗い室内が散らかっていて、なんとも寂しい感じがします。もう一度福本氏の書斎と寝室を検分しましたが、これといって何も出てきません。夕日が差し込むリビングに戻り大きな本棚に飾ってある写真を見まわしていました。福本氏が設計したビルの写真などがありましたが、中に福本氏と真治君が笑ってコンバーチブルのスポーツカー、シボレーのコルベットに座って写っている写真がありました。こんなふうに笑っている真治君に早く戻ってほしいなと願いました。写真立てを置いたところで、ふとあることを思いだしました。あの時、モルグで見た車の鍵は、ベンツのカギ。そして、大きな駐車場に一台とまっているのはコルベット。ベンツはどこにあるのだろう。家にある引出しという引出しを全部捜したところ、台所の引出しから、ベンツマークが入った鍵が見つかりました。2つのスペアキーともポケットに入れて、真治君の家を後にしました。 帰宅途中で、日本の福本設計事務所に電話をしたところ、事務所では福本死亡のニュースを聞いて大混乱が起きていました。今、私が真治君を弁護していることを伝え、今のところは正常にビジネスを続けて欲しいと頼みました。ロビンスの連絡先を聞くまでに相当な質問攻めに遭いました。ロビンスの電話番号を教えてもらった礼を言って電話を切り、今度はロビンス宅に電話をしてみましたが、留守電になるのみです。私の身分を伝え、折り返し電話が欲しい旨を残して電話を切りました。留守電は死んだロビンス氏の声のようで、非常に柔和そうな声で、ゆっくりしたメッセージが入っていました。 私は、家に戻って明日の朝の書面作りに励みました。12時を回って、目が疲れてきたので明日に備えて寝ました。また、忙しい1週間の始まりです。 最近、米国国務省は DUI(酒酔い運転)により逮捕されたときは、ビザスタンプが取り消しになることについて再確認したことを発表しました。
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November 2024
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