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​MSLG 総合ブログ

過去記事「判例調査」

1/31/2019

 
  本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。

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今回は、アメリカでのインターネット上での法律リサーチについて少々考えてみたいと思います。主に弁護士向けになります。 また、各論まで限られたスペースで論じることはできませんので、主にアメリカ法リサーチのバックボーンを実務的な観点から考えていきましょう。
 
まず、日本法とアメリカ法で根本的に考え方を変えていかなくてはならないのは、アメリカには連邦法、それに各州法という二段階構造になっているという点です。実務では、具体的な法律論を論じる前に必ず、どの管轄の法律が適用されるのか、考えなくてはなりません。 次に、リサーチの内容です。アメリカでは日本で言う「六法全書」はありませんし、立法や判例が活発に変遷していきますので、今までのように判例集などに頼るということも不安が拭い切れません。日本では、新法の制定などは官報などに目を光らせていれば、ある程度は把握できますが、アメリカでは各団体、裁判所、省庁等、公布がばらばらですので、きっちりとしたリサーチには日本に比べ格段に時間がかかると考えて良いと思います。
 
これらのアメリカ法における日本法との違いを克服する上でインターネットはある意味法律業界に革命をもたらした一面があります。また、アメリカではインターネットにおける法律の情報収集に関しては群を抜いて便利ですし、重要な情報がごろごろ存在します。日本法を調査するときにアップデートが足りないなど不便を感じることがありますが、アメリカ法に関してはユーザーの観点を非常に考慮したものも少なくありません。
 
アメリカではインターネット上での法律の情報提供をビジネスにする例が少なくなく、伝統的な出版社が電子情報配信に積極的に乗り出し、経営の転換を図ることに成功したといっても良いでしょう。しかし、インターネットの普及と同じくして、情報を電子化してきた出版社は、情報提供および、情報のプリントアウト等に関して、非常に高額な使用料を要求してきました。当初は価値があったかもしれませんが、だんだんインターネットの不況が加速化してきましたので、私見では高額の支払いが実務上意味があるのか、疑問になってきたと思います。
 
詳細は業務上のノウハウもありますので、書くことを避けたいのですが、実際にアメリカの実務のスタンスで、どのようにリサーチをしているのか、述べておきたいと思います。まず、高額なリサーチエンジンを使用する場合、その帳尻はクライアントに回ってしまいます。そうすると、自己満足的なリサーチも増えたり、必要のないリサーチまで発生する可能性があります。やはり、実務家のスタンスとして、コスト面からでもクライアントのニーズに合わせるということは必要だと考えています。
 
では、どのような方法が現在のアメリカ法実務では最適なのでしょうか。まず、実務書、つまりアメリカではプラクティスガイドと呼ばれる、書式集や各エリア別の法律書がありますが、これは常時使用するものですし、簡潔に論点がまとまっている場合が多いので、電子化に頼らず、現在でも紙のものを使用しています。最初に、実務上の論点落としを避けるため、またどのような判例があるのか、傾向はどのようなものなのか、プラクティスガイドで確認します。 その後、連邦、州など限られた範囲で提供されている判例検索、条文検索エンジンで調査を深めていきます。この調査に関して、ある程度公に無料で公開されているリサーチエンジンがありますが、クリティカルな部分が不足しています。このため、有料の検索エンジンを使用しています。この不足の部分というのが、どの判例が否定され、現在どのスタンスの判例が指示されているのか確認できるという仕組みです。シェパダイジングなどと呼ばれますが、生きていない判例を除外するためには、必ずこの作業をしなくてはなりません。ただ、最近ではカリフォルニア法に限って言えば少なくとも10社程度が非常にリーズナブルな価格でこの機能を提供していますので、非常にアクセスし易くなっていますし、定額使用のエンジンが多いので、クライアントに迷惑をかけることもありませんし、徹底的に判例を調査することができます。
 
次に、実務家として落としてはいけないのは、最新の判例、立法のチェックです。毎日のように重要な判例がつくられている現状では、ほぼ毎日判例のチェックを欠かすことはできません。従来は、法曹用の新聞が発行されていて、その新聞に付属しているアドバンス・シートという、最新判例が原文のまま載っているものを使用していましたが、事務所にいない場合や、複数の人が同時に見たいという場合に不便でした。ところが、弁護過誤保険を提供する会社や、各弁護士会、それに任意の団体、たとえば、アメリカ法廷弁護士協会、移民法協会などが、毎日のように判例のアップデートを電子メールで送ってくれます。このアップデートを自分なりに整理をすれば、ちょっとした判例データベースをつくることができます。 立法に関しては、クライアントの興味および自分の興味がある、省庁のメーリングリストに参加すること、およびそれら団体、組織のウェブページの更新時に知らせてくれるシステムを作っておけば、忙しく変わっていく法律情報を短時間で確認し、データベース化していくことができます。 事件によっては、学者の意見や、二次的な参考書が必要になることがありますが、まずインターネットで一般的な検索を行い、それでも足りない場合には、一回毎の有料データベースを利用し、出費を最小限に抑える形を取っています。このように、固有の会社のデータベースに頼ってしまうのではなく、情報が多いのですから、実務家がイニシアチブを取って、マイ・データベースをつくっていくというのが、これからの実務の形のように思います。
 

特急審査 Premium Processing Service の再開

1/30/2019

 
移民局より発表があり2019年度新規H-1Bビザ申請について特急審査 Premium Processing Service を開始するということです。2019年度については2018年4月1日に受付が始まり4月7日に受付が終了しました。しかし特急審査については停止されており、この度開始することになりました。

過去記事「移民局の面接に弁護士を連れていくかどうか」

1/29/2019

 
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。

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今日は、非常に実務的な移民法のポイントを考えていきたいと思います。どのビザが取れるのかうんぬん、と言った話題はどこでも見かけますが、実際に様々な形で移民局に召喚を受け、面接に臨む場合のことについて考えてみましょう。
 
まず、どのような機会に移民局まで行かなくてはならないか、代表的な例を挙げておきます。まず、結婚ベースで永住権を申請する場合には、申請書を提出した後に必ず面接が設定されます。一緒に住んでいるという証拠、たとえば写真や公共料金の支払記録を携帯するように要求され、面接に参加するというパターンです。 それから、永住権保持者が外国に長期に滞在していて、アメリカに再入国しようとして、あまりにも海外滞在が長いので、後日移民局に説明にくるように要求されるというケースがあるでしょうか。もちろん、逮捕されたり、移民法上の違反があるような場合にも、面接がありますが、基本的には平和な面接ではなく、どちらかというと取り調べという感じになるパターンが多いと思います。
 
移民関連の申請書をアメリカの弁護士に頼むということは外国人にとっては日常茶飯事でしょう。しかし、非移民ビザの申請等に関してはほとんどの場合、面接を伴いませんので、多くの外国人にとっては、「移民局の面接」というのは未知数かもしれませんね。ですので、ここでどのようなものなのかを感覚として感じていただきたいのです。
 
さて、ほとんどの場合、移民局の面接は移民局からの通知によってはじまります。通知は一方的なので、通常面接期日の設定を変更するのは難しいものがあります。期日変更をする位だったら、自分の都合をできるだけ変更しましょう。
 
面接になると「弁護士に付いてきてほしい!」と思われる方がほとんどだと思いますし、逆について行ってもらうことで、結果が違ってくる場合がある訳ですが、どのような場合に必要で、どのような場合には必要ないのかある程度知っておくとメリハリがつくのではないでしょうか。
 
まず、ストレートに結婚をして永住権を申請して、面接をする、という場合には、過去に離婚歴が何度もあるとか、結婚に問題があるとか、移民局に何らのことを疑われる可能性があるとか、問題点がない限り、結婚されるお二人で行かれても、弁護士が付いていっても私の経験上あまり違いがありません。逆に「何で弁護士がついてくるのだろう」という目でみられるということもありました。ちゃんと結婚をしていれば、公共料金や銀行口座などを共有しているでしょうし、旅行もするでしょうから、いろいろな証拠は揃っているはずです。もちろん面接の前に、弁護士と打ち合わせをして、どのような書類を持っていくのか、またどのようなことを言うべきなのか、などを話すべきでしょうが、実際の面接日に移民局に弁護士が行く必要はあまりないかもしれません。というのも、移民局に行って、実際に質問を受けるのは、本人ですし、弁護士が変わって答えるということはあまりできないシチュエーションが多いからです。また、移民局の審査官はいじわるな人は特に、弁護士を無視する形で本人に質問をします。これは移民法上許されています。結婚によって永住権を取得する場合の配偶者の一方はアメリカ国籍、または永住権保持者なはずですから、申請者本人が英語ができなくても、それほど問題にならないケースが多いわけです。 質問を理解できなければ、もう一度聞けば良いですし、通常移民局の面接はインフォーマルなセッティングで行われることがほとんどですので、緊張を与える環境ではありません。しかし、辞書を持っていっても、質問の意図がわからない、などという状況では、不安も残るかもしれません。しかし、結婚による面接において弁護士の役目というのは、もし申請者がわからにことがあれば、助け船を出すという程度で、ほとんどの場合は、黙って座っているということになります。いわゆる一種の保険みたいなものでしょうか。
結婚の面接に対し、犯罪や移民法違反が絡んでいる場合には、弁護士を付けた方が良い場合がほとんどです。なぜかというと、自己に不利益な証言をしてしまうと、逆手に取られ刑事罰などにも発展する可能性があるからです。身柄を拘束されていないような事例だとしても、軽く見ないで弁護士に相談した方が良いかもしれません。 また、「面接」つまりインタビューという形で召喚をしますが、移民局は実質、取り調べをしているという例も少なくありません。場合によってはビデオに撮影するという許可を求められたりもします。
 
以上からわかるのは、結婚を通しての取得の面接に関しては弁護士の立ち会いは任意、犯罪が絡むような場合には、任意ですが、弁護士に相談した方がベターと覚えておいてください。それでは、次回新しいトピックを考えていきましょうね。また次回までさようなら。

【小説シリーズ】 陪審喚問の時  (The Grand Jury)

1/28/2019

 
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第1回目です。

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陸海軍管轄の事件を除き、大陪審の起訴審査または起訴決定を経ない限り、死刑が科されている犯罪もしくは重大な犯罪において罪に問われることはない…
 No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictment of a Grand Jury, except in cases arising in the land or naval forces…
アメリカ合衆国憲法修正第5条 
(Fifth Amendment to the United States Constitution)
***
 
――  この本は夢を持っている人、また夢を探し続けている人に捧げます。
夢には限界がない。
情熱がなければ夢は成り立たない。
どんな小さな夢でも、
心に勇気を持って。
負けないでください。
夢を持っている人、それを探しつづける人はいつも輝いているか­ら。――
***
 
第1章 依頼人面接 (Client Interview)
ちょっと言わせてください。何で飛行機の座席では足が思いっきり伸ばせないのでしょうか。180センチ以上も身長がある私がいけないのですが、もう少しスペースが欲しいものです。私の座っているエコノミークラスのシートはユナイテッド航空810便のボーイング747型の機体のお尻のほうに付いています。通常でも8時間以上のこのフライトに閉口するので、あと1時間も定刻より遅れてサンフランシスコ空港につくというアナウンスがあってからはかなり憂鬱な気分です。まあ、もっと立派な弁護士になるか、ユナイテッド航空のマイル数がたまれば、ビジネスクラスや夢のファーストクラスに乗れるのになぁと思います。もっと大きな仕事にありつければ、税金も文句言わずに払いますし、生活も銀行の通帳とにらめっこしなくても済むなぁ、などといろいろ考えが発展していきます。
とにかく、この9時間にも及ぶ修行を乗り越えなくては、私の住むサンフランシスコに戻れないわけです。飛行機の嫌いな私がお金を払ってこのような拷問に遭うのですから、本当にサンフランシスコに帰らなくてはならない状況にあるのです。やらなくては行けない事件がどっさりたまっているのです。あ、もう一言言わせてもらえば、あの機内食はなんとかならないものでしょうかね。
さて、文句ばかりいうのもなんですから、自己紹介させてください。小山淳平です。25歳で弁護士になって、現在二年目の新米弁護士です。日本の高校を中退して、単身アメリカに来て、そのまま居着いてしまいました。現在はサンフランシスコの三谷法律事務所という事務所で働いています。事務所には日系アメリカ人の三谷ひろし先生、秘書の斎藤千穂さんそれにイソ弁である私の三人が勤めています。イソ弁とはつまりイソウロウ弁護士の略で、先生のクライアントを分けてもらって生活している弁護士です。イソギンチャク弁護士の略だとも言われています。アメリカではイソ弁のことをカッコよくアソシエートと呼びますが、文案屋がコピーライターと呼ばれると何故かカッコよいのと同じようなものです。弁護士といっても現実はそんなに素敵なものではありません。小さな債権回収の話や、離婚、倒産など細かい仕事も少なくありません。働いても働いてもエコノミークラスにしか座れないのです。
それにしても今日の飛行機は揺れます。気流の悪いところがあるのでしょう。私の席の前に座っている若い日本人の女の子二人連れはキャーキャーワーワー、怖いと言いながらも結構楽しんでいる様子。その子達が席を思いっきり倒してくれているので、私は更に窮屈になり楽しくありません。810便は成田を夕方に出て、サンフランシスコには午前中に着きます。旅行者はその日一日遊べるのですから、ラッキーですよね。私は帰ったらすぐに仕事をはじめなくてはならないので、笑ってはいられないのです。
サンフランシスコで日本語と英語をきっちり話せる弁護士はほとんどいません。おかげさまで日本人や日系人の役にすごくたっているはずです。文句を言いながらも、クライアントの顔を思い出すと、またやる気が出てくるものです。
さっきまで怖い怖いといっていた私の前の二人組が静かになったと思ったら、今度は入国審査の書類と格闘しているようでした。アメリカの入国審査は厳しいことで有名ですから二人組も慎重に記入している様子でした。わからないところがあったらしく、二人組はフライトアテンダントを呼びました。ひっつめ髪にしたそばかすだらけの白人女性がのっしのっしとやってきましたが、会話が成立しないらしく、すぐに日本語を話せるという女性アテンダントがやってきました。ちらっと見た感じかっこよくて背の高い日本人女性のようでしたから、痛い腰をちょっと浮かして見てしまいました。かっこいい女性には弱いのです。聞き耳を立てていると、どうもビザの話です。暇なんです、飛行機の中は。目がきりっとしてその上に細い眉がのっているその女性アテンダントは、聞かれた質問に対してちょっと考えているようでした。暇つぶしのチャンスです。そうです、私は移民法も手がける弁護士なのです。二人組に私が簡単に答えてあげると、彼女たちは簡単に納得して簡単なお礼をいってくれました。女性アテンダントはやっと注意を私に払ってくれ、にこっとしてくれました。修行をしていても楽しい事があるのです。胸に日本語が話せますということを示す日本の国旗と「まりこ」という名をローマ字で彫られているバッジをつけた彼女は私の席の方に移動して、お礼を言ってくれました。やっぱりかっこいい人なんですね。反射神経が私の手を胸ポケットに持っていき、すかさず名刺を差し出していました。
「あ、弁護士さんなんですか。へー、サンフランシスコで。今度お世話になるかもしれませんね。」とのコメントに、私は
「何かあったらお電話くださいね」というのが精一杯でした。もっとがんばりなさい反射神経くん。挨拶をかわし、彼女は自分の持ち場へ帰っていきました。また私も退屈な修行に逆戻りです。
軽い朝食のトレイが回収されると、飛行機は下降をはじめました。5月の海がエメラルドを白濁させたような青緑色に見え、いくつもの小さな波に太陽の光があたっては消えていきます。旋回を続ける飛行機は、サンマテオ橋やダウンタウンにおなかを見せながら、ぐんぐんサンフランシスコ郊外に位置する空港に吸い寄せられていきます。サンフランシスコ名物の霧も朝早く引いたようです。小さく見えた人家がみるみる大きくなり、飛行機は海際の滑走路に滑り込みました。
こわばった体をほぐすために少し大股で歩きながら入国審査に進みました。手荷物のみなのでカルーセルで荷物を待つ必要がなく、さっさと人ごみを抜け、そしてジュラルミンの扉を抜け、早々に空港内に入ることができました。様々な人種で構成されている出迎えの人々、その人でごった返している到着ロビーの外にタクシー乗り場があります。窓のない空港から出てきて最初に肺に入れることのできる外の空気です。ドアへ向かって早歩きしながら肩掛けのダッフルバッグを持ち替えていると、ぽんと肩をたたかれました。
「ヘイ、ジュンペイ、出張だったのかい?」
振り向くと、ジムが立っていました。
「やぁ。ちょっとした相続事件でね、日本に行ってた。」
ジムは私よりも大きく190センチくらいある太鼓腹のアイリッシュで、ハイヤーの運転手をしています。海軍にいたころに日本で日本語を覚えたそうで、日本人がサンフランシスコに来るとハイヤー会社はジムを指名します。ハイヤーといってもアメリカではストレッチリムジンという、場合によってはプールまでついた巨大なソーセージみたいな車があり、私も以前ジムに仕事の関係で乗せてもらったことがあります。それで彼は私を知っているのです。
「疲れるね、飛行機は。ジムは忙しいかい。」
と聞くと、ジムは軽く何度も首を縦に振りながらも、入国審査を済ませてジュラルミンの扉から出てくる到着客をしっかり品定めしていました。ジムが両手で「Mr. Fukumoto」と手書きされたプレートを持っているところを見ると、お迎えに参上といったところなのでしょう。
「ぼちぼちだね。でも今日から忙しくなりそうなんだよ。なんでもミスター・フクモトというのはすごく有名な建築家らしくてね。世界中を飛び回っていて、何でも今回はメキシコからシスコ入りらしい。世界各国に拠点を持っていて、シスコにも家は持っているらしいけどスケジュールがぎっしりで自宅では寝れないような感じだな。俺も儲けさせてもらうかな、ははは。」 
握手と挨拶でジムと別れた私は、空港の建物を後に陽のあたるタクシー乗り場に向かいました。青空が広がり雲一つないカリフォルニア晴れです。長く厳しい修行から開放された私はついつい口笛など吹いていたのですが、外に出たとたんものすごい重低音とそれに続く「キーン」と鼓膜に振動する音で、建物の中を振り返りました。地震のような揺れでしたが、見える範囲では何も異常は目に入りません。ただ、太陽の光がかろうじて間接照明になってはいるものの、建物の中は電気が切れて薄暗くなっていました。耳がまだセロハンで覆い被されているような状態でしたが、悲鳴や泣き叫ぶ声が徐々に従来の耳の機能を回復させていきます。何らかの人為的な危険物が爆発したのでしょう。テロなのかな、と思いつつジムを探しに建物に駆け込みました。
白い煙が徐々に空港建物に充満してきています。到着客を待つ人の中でも、外に逃げる人もいれば、呆然としている人もいて、中にはパニック状態に陥り、倒れている人を踏みつけながら、走っている人もいました。すかさず持っていたダッフルバッグを口に当て煙りを吸い込まないようにしながら、ジムを探しました。少し前にジムに出くわした到着ロビーの付近では20人ほどの人が倒れていましたが、ジムは呆然と壁に背中をもたれて放心状態になっていました。爆発は入国審査付近で起きたようで、到着ロビーはジュラルミンの扉のおかげで直接の被害はなかったようです。しかし、大量の煙で扉付近はまともに見えません。心臓の鼓動が、警報が鳴るのに合わせて早くなるのが感じられます。建物の造りのせいか、警報が悲鳴よりも響きます。私はたまらず、
「ジム、ジム、早くここを出よう。」
と叫びますが、ジムには聞こえていないようです。駆け寄った私は、ねとっとしたジムの手を引きました。その時、背中に大きくFBI(Federal Bureau of Investigation:連邦捜査局) とプリントしてあるビニールのジャケットを着た一団が、到着ロビーをすり抜けジュラルミンの扉が内側から開いたところを銃やライフルを手に外から入っていきました。一団が入っていった扉の隙間からちらっとみたところでは、荷物を受け取るカルーセルのあたりがひどく燃えていました。重たいジムを、言うことを聞かない子供を引っ張るように建物の外に連れ出しました。ジムは本当に重い。
長いように感じられても実際はほんの数分の出来事だったのでしょう。建物の外に出たとたん、警報とは違う、緊急車両のサイレンの音があちこちから聞こえてきました。牛のように重いジムはまだ放心状態で、私もゼーゼー喉を鳴らしていました。黄色い消防服を着けた消防隊員が、ジムを担架に乗せて運んでいったのは20分ほどたってからだったでしょうか。ジムはある程度気を取り直していて、私に話しかけてくれました。私はジムが運ばれる病院の名前を頭に刻み、後で会いに行く約束をしてから、まだしぶとく商売を続けているタクシーに乗り込み、興奮してアクセントの強い英語でしゃべっている運転手に私の事務所の住所を告げました。タクシーは空港を滑り出し、水色のペンキをこぼしたような空のもとサンフランシスコ市内に入っていきます。
 
私はパステルカラーの家並みを見ながら車の後部座席の窓を開け、サンフランシスコの空気を楽しんでいました。運転手にラジオをつけてもらい、先ほどの爆発についてのニュースを耳で追っていましたが、株価や政治の話が途切れませんでした。運転手も自分の体験談を口早に話してくれますが、アクセントがきついのでいまいちわかりません。私は適当にうなずいていました。ピラミッド型のビルがそびえるダウンタウンに近づいてきたころ、やっとさっきの爆発についてのニュースが割り込んできました。死傷者は50人を数え、まだ確かな人数は不明であること、原因は何らかの爆発物によることが淡々と報じられていましたが、詳細は不明。耳のほうは徐々にすっきりしてきましたが、事件はすっきりしない様子です。爆発の現場で、私とほぼ同時にFBIが瞬く間に集合していた不思議がふと頭をかすめました。通常、FBIは連邦に関係する事件の捜査に時間を割きますから、地域的な問題に首を突っ込んでいるのにはなにかわけがあるのでしょう。ブレーキでタクシーが止まり、私はチップを加算した料金を払うと、事務所が入っているビルに足を運びました。
三谷法律事務所はダウンタウンの中心街にある古いビルの7階にあります。古いといってもビルは立派なものです。入り口には大理石がちりばめられ、重厚な歴史を見ることができます。見知った入り口の守衛さんと簡単な挨拶を交わします。エレベータの中で髪の毛を整えて事務所に入ると、明らかに心配顔をしていた事務員の千穂さんが安堵の表情になって出迎えてくれました。
私の事務所は入り口から入って左右に大きな本棚があり、カリフォルニア州の判例や条文がびっしり並んでいます。奥行きはあまりありませんが、来客用の会議室、それに三谷先生の部屋と私の部屋、それから千穂さんのいる部屋にわかれています。部屋はアメリカ憲法修正第14条の平等原則にのっとって、ひとつひとつ皆同じ大きさです。三谷先生はきれい好きなので、本棚や机の上も整頓されています。対照的にO型の私の部屋の机の上には本が積み上げられられたり、郵便物や書類がちょうど屋根の瓦のように重なり合って置かれています。私は自分の部屋にたどりつく前に千穂さんにブロックされるかたちになりました。
「空港での爆発騒ぎを聞きました。電話でも一本くれればよかったのに。心配したんですよ。」
「ごめん、ごめん。携帯電話のバッテリーが切れていたしね。早く現場を後にしたかったんだ。三谷先生は?」
「奥にいらっしゃいますよ。」
日本とアメリカにまたがる相続事件で日本に行き4日間ほど留守をしていた私は、留守中の事件の流れを聞きたくて三谷先生の部屋のドアをノックしながら同時に開けました。私が無事だったことがうれしかったらしく、めがねの奥の眼が笑っていました。非常に温厚な学者タイプの先生で、日本語もある程度話せますが、私と話すときにはいつも英語です。仕事の話をするはずが、結局空港での爆発の話になってしまいました。ちょっとするとノックとともに千穂さんが入って来ました。私宛てのたまった郵便物を持ってきてくれたのですが、関心は爆発のことにあったようです。すらっとした彼女は私の話を熱心に聞いてくれました。彼女もジムを知っていたので、びっくりしてから大事がなかったことを聞いてほっとしていました。
自分の部屋に戻り、書類や郵便物、それに伝言メッセージの海をかいくぐり一息ついたところで、ジムの奥さんのリサから電話が入りました。彼女とはまだ話したことがありません。
落ちついた低い中部訛りでした。
「今、病院に駆けつけたところなの。ジムは大丈夫。本当に助けてくれてありがとう。すぐ退院できそうだから。」
病院のロビーの公衆電話か何かからかけているらしく、バックの声や機械の音がうるさいです。
「あまり大したことにならなくてほっとしてるよ。ショックだったろうからそばにいてあげてね。」
「ところで、この病院のER(緊急病棟)にも空港からたくさん被害者が運ばれてきているんだけど、警察が聞き込みをしているみたい。」
「え、もう動いているのかぁ。原因がわかっていないんだね。」
「そうみたい。FBIの捜査官がジムとも話したいって。あんまり気持ちいいものじゃないわね。」
やっぱり、FBIが動いている様子です。なにか重大な事件とかかわりあっているのでしょうね。でも、これはあくまでも私の勘ですからリサには伝えず、
「ジムもあんまり話すことはないだろうね。お客を迎えに来てただけなんだから。何かあったら電話して。」
と言って電話を切りました。ジムに大した問題がなかったことにほっとするとともに、FBIの話が妙に気になりました。FBI、つまり連邦捜査局とはアメリカの中央政府直属の司法省(Department of Justice)に属する行政機関です。ローカルな犯罪の調査は各州や郡それに市の警察が行いますが、2つ以上の州にまたがる犯罪や連邦で制定された法律にかかわる犯罪の調査などはFBIが手がけます。通常、重大な犯罪が多いものです。少しの間、いろいろな可能性を考えていたのですが、そんなことも言っていられません。クライアントとの電話のやり取りが午後のほとんどを占領し、合間を縫って書面を作っていたので、ジムのことも夜になるまで忘れていました。
時差のせいで、眠くなったりかえって目がさえたりしながら夜遅くまで出張で事務所を不在にしていたつけを払っていました。夜になると電話が鳴り止み集中して文献を読んだり文面を練ったりできるのですが、その日は疲れていたので、時計が夜9時を指したことを確認して帰途につこうとダッフルバッグを肩にかけました。電気を消そうとスイッチに手をかけると同時に電話が鳴り始めました。私はうんざりしながらも受話器を取りました。
「三谷法律事務所です。」
「この声はジュンペイだな、ジムだ。」
「大丈夫なんだな。6パック(ビールの6本パック)でも持って会いに行こうか。俺たち二人で6本じゃ足りないかな。」
ジムは笑わずに
「ビールはいいけど、ちょっとどこかで会えないかな。できれば今夜、今から。ちょっとおまえに相談があるんだ。」
「いいよ。どこがいい?」
「病院はまずい。ゲーリー通りにメルズ・レストランがあるだろ、24時間営業だからそこで会えるかな。」
「30分後はどうだい。今、ちょうど事務所を出るところだったんだ。」
「O.K.」
かみ殺したような声で話すジムを深くは詮索せず、とにかく会うことにしました。駐車場で4日間置きっぱなしにしてあった車のバッテリーが正常なのを確かめて、夜の街に出ました。サンフランシスコのダウンタウンの歩道は金属片がまぶしてあるらしく、夜に街灯の光できらきら光ってきれいなのですが、考えながらの運転だったために見過ごしていました。
メルズには20分ほどで着きました。ダウンタウンからはちょっと離れているので、路上駐車は比較的容易です。夜遅いのに、若い男女などでごった返していました。タイルや照明がまぶしい指定の店に、ジムはまだ来ていないようです。60年代の映画を真似たミニ・スカートのウェートレスが席に案内してくれました。4人がけの席も60年代のキャデラックに張ってあるような、すべすべした濃い赤のビニールを使ったおしゃれなお店です。まずコーヒーを注文し、渡されたメニューを勉強していたところ、ジムが声をかけてきました。
「早かったな。」
「もう、コーヒーは頼んじゃったよ。ジムも何か注文しなよ。」
「まあ、それはそうと、まずこの子を紹介させてくれ。」
そう言われて初めて、私はジムに隠れるように立っていた線の細い少年に気がつきました。日本人のようでした。背は低くはないけれども、非常に線が細い男の子でした。ジムは少年の代わりに説明をはじめ、
「この子は今日、俺が空港まで迎えに行ったミスター・フクモトの子供さんだ。シンジだったよな。」
と言いつつ彼の顔を見ました。少年はぺこっと頭を下げたのみで、あまり話したい様子ではありませんでした。
「まあ、席に座れよ。注文してから話そうよ。」
「そうだな。」 
ジムはちょっと神経質気味にシンジ君を先に座らせ、その横に収まりました。ちょうど私と向き合ったシンジ君に、私は簡単に自己紹介をしてから飲み物を勧めました。短いスカートのウェートレスの注文取りが一段落したところで、私は話しはじめました。
「ジム、どうしたんだい。もう、入院はしなくてもいいのかい。」
「うん、何も異常はないし、仕事に戻らなくちゃいけないからね。もう出してもらった。ところがさ…。」
「ところが?」
「俺が迎えに行ったミスター・フクモトなんだけど、亡くなったんだ。」
「あの爆発でか?」
「そうだ。ここにいるシンジはなかなか帰ってこないお父さんを心配して、うちのハイヤー会社に電話してきたんだ。」
「それは、シンジ君もたいへんだね。」
私はそう話しかけてみましたが、彼はうつむいたままでした。ちょっとの間を置いて、ジムはかまわずまた話しはじめました。
「今日、病院にいたとき、FBIが事故現場にいた人たちに事情を聞きまわっていたんだよ。」
「君の奥さんから電話で聞いた。」
「そうだったな。それで俺も質問された。その質問された内容でびっくりしたんだが、どうも麻薬関係の話らしいんだな。」
「麻薬関係?」
「うん、ヘロインのことについていろいろ聞き込まれた。」
「おまえは関係ないんだろうな。」
「神に誓ってそれはない。」
「ところが、FBIはこのシンジの父親について、何か疑っているらしいんだ。」 
そう言いながら、ジムはシンジ君に目を移しました。シンジ君はまだうつむいています。
「FBIは、運転手をするはずだった俺にいろいろ聞きたい様子だった。」
「おいおい、ここに来ていて大丈夫なのか。」
私は反射的にあたりを見まわしてしまいました。
「うん、うまく運転してきたから、尾行はなかったと思う。それにもう帰宅していいって言われてたからな。ただ、このシンジが心配なんだよ。奴ら、家族関係から何からみんな聞いていったから。もちろん俺は大して知らないけど、シンジも親父がいなかったら一人ぼっちだし、これから先、麻薬関係の聞き込みなんかがあったら弁護士が要るだろ。だから連れてきたんだ。」
「ひとりぼっちって…、お母さんは?」 
この質問に対してはシンジ君がはじめて反応しました。つぶやくような日本語で彼は、
「母は死んだんです。二年前に病気で。」
「君は今いくつなの?」
「16歳です。」
シンジ君の声はか細く、弱い。どちらかというと色白の腕がテーブルの上のライトに照らされ、頼りなく見えます。服装を見ると高級そうなものを着ていますし、ちょっと神経質なところがある感じが育ちの良さ、お金のある家庭に育ったという印象を与えます。ぎゅっと結んだ唇をかたどる生気のない顔を見る限り、疲れているようです。それでも、やっと口を開いてくれた彼に、私はチャンスを逃すまいと質問を続けました。
「今はどこに住んでいるの?」
「父と二人でシークリフ(サンフランシスコの高級住宅地)に住んでいます…いました。」 
ちょっとした間があいたところでジムが私を見て、
「ジュンペイ、FBIの感じだとシンジもちょっと深刻な問題に巻き込まれるかもしれない。なんとか、これからこの子を守ってやってくれないか。俺も大してこの子には関係ないけれど、一人ぼっちじゃかわいそうだしな。この子はまだあまり英語も話せないみたいだし。」
「うん。ただ、今現在は何も打つ手はないよな。別にシンジ君のお父さんが犯罪に巻き込まれていたという内容の捜査が行われているわけじゃないし。」 
私はちょっと考えていましたが、シンジ君に、
「何かできることがあれば相談にのるから、いつでも不安になったら電話をしてね。」
そういって名刺を渡しました。シンジ君も自分の住所と名前、それに電話番号を教えてくれました。福本真治と書くそうです。メモを渡す手が震えていました。
「真治君、とにかく警察から電話があっても何も話したらだめだよ。FBIが絡んでいるからね。重要な犯罪を捜査しているはず。だから、警察が連絡してきたり、直接家にやって来たりしたら、必ず僕に電話するんだよ。」
「はい。でも…、あの、お金とかどうすれば…。」
「お金って、弁護士の費用かい?」
「そうです…。」
「別にまだ実際の事件になったわけじゃないから心配しなくていいよ。今はお父さんに不幸があって大変なんだから、がんばるんだよ。お金のことは後で話せばいいよ。」 
ウェートレスがジムと真治君に飲み物を持ってきました。ジムは安心したのか、アイスティーを一気に飲み干しました。対照的に真治君は自分のコーラにはまったく口をつけません。しばらく私たちと話をしているうちにちょっとはほっとした表情になった真治君は、ジムと一緒に帰って行きました。私もちょっと冷めたコーヒーを飲み干すと、帰宅しました。夜のサンフランシスコは冷えますが空気が東京と違ってすがすがしいです。私は窓を全開にして肌を刺す空気を楽しんでいました。コーヒーを飲んだのでちょっと目がさえてしまいました。


法律ノート 第1145回

1/27/2019

 
MSLG弁護士による法律ノート第1145回がメーリングリストにより配信されました。

米国政府の一部機関の閉鎖

1/23/2019

 
本日現在、米国政府の一部の機関は財源の関係で引き続き閉鎖されている状態です。移民関連の機関については、移民局は申請手数料で財源が維持されているので影響は殆どでていません。しかし、CBP(税関-国境取締局)や米国大使館についてはウェブサイトが更新されない等の影響がでています。

過去記事「司法取引」

1/22/2019

 
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。

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弁護人席を越え、裁判官席の横についている関係者専用のドアを開け、裁判官の専用室(チャンバー)に入っていく。目の前には裁判官が法服を脱ぎ、自分の椅子に座り、机を挟んで検察官が何件もの起訴状が入ったファイルを抱えて談笑している。入ってきた私に裁判官は笑顔で座るように指示し、司法取引がはじまる・・・。
 
という感じで、アメリカで刑事事件を受任すると司法取引がはじまります。日本では考えられない制度かもしれませんが、アメリカの連邦や州の刑事裁判では日常茶飯事に行われている刑事事件上の手続です。アメリカの刑事裁判は、ほとんどの場合、初回のArraignment(第一回公判)で無罪を被告人は主張します。無罪を主張すると、次の期日が設定され、裁判官、検事、弁護人を交えてどのように裁判を進行させるかを話し合います。この会議が実質的には司法取引と呼ばれています。どのような内容の刑罰で事件を終了させるか取引するのです。
 
司法取引ではいろいろな経験があります。ドメスティックバイオレンス事件の司法取引の場面、夫が妻に対して物を投げたり、首を絞めたりして、傷害罪・監禁罪・証人威迫罪などで起訴されている事件です。裁判官専用室に入ると、裁判官は検事あがりの女性、検事も女性、事件の調査をしている保護監察局の調査官も女性。軽い冗談を言っても、誰も笑わないし、皆さん口が「へ」の字になっています。私が一生懸命情状酌量に訴えようとしても、何も返事が返ってきません。ちょっとの間をおいて、裁判官が「この被告人は刑務所に入った方が良い矯正になると思う」と言い出す始末。私を除いて部屋の皆さん同意している感じです。「初犯だし、会社勤めもしているし、家族もいるのですから、実刑が適当というのはちょっと通常の事例から逸脱していると思います」と私が言っても、「通常の事例より逸脱しているじゃないですか」と怖い顔で返されてしまいます。「取引の内容としては、全部の罪を認めるなら考えてもよい」と検事が言い出す始末。 結局機転をきかせて、司法取引を続行することにして、次回はうまく男の検事があたる曜日を設定しました。結局、司法取引は成功しましたが、冷や汗をかきました。
 
ある遠方での刑事事件を受任したときは、一回は私の体調が悪く運転ができなく、もう一回は裁判所の期日指定ミスで司法取引に行けなかった時があります。二回とも裁判官に謝りの手紙を書いておきました。もっとも二回目は私の責任ではなかったのですけどね。三回目に裁判所にいくと、裁判官が私の事件を法廷で呼びました。二回も期日が合わなかったので、怒られるかな、と思いきや、このように謝りの手紙を出すということを他の弁護士も見習いなさいと、誉められた上に、私の文章まで読まれてしまいました。ちょっと恥ずかしかったですが、その後の司法取引は、私の考えていた最低の刑で司法取引が成立しました。というより、裁判官が検事を説得してくれたのですけど。
 
このように、司法取引といっても人間の関係から成り立っていますから、法理論だけでは解決できない部分があります。もちろん、個人的に裁判官や検事を知っている、友達であるというだけではだめで、誠意を持って事件に取り組んでいるかということがもろに出てしまう場面かと思います。
 
なぜ、司法取引なんかをするのか、と思われますが、弁護側からいうと、いくつもの罪で起訴されている被告人が陪審裁判に負けると、実刑もついてしまうという場合、最低の刑で有罪という取引を行い、罰金などの軽い刑で終わらせられるというメリットがあります。一方、検察側としても、陪審裁判となれば、事件数を多く抱えていますから、準備も大変だし、負ければ昇進にも響きます。この結果がわからない陪審裁判という不確定な要素が、司法取引という文化をつくりあげているのです。

1月21日(月曜日)の業務について

1/18/2019

 
1月21日(月曜日) は祝日(Martin Luther King, Jr. Day)のためお休みさせていただきます。
ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

当事務所はカリフォルニアのコートホリデーは休業日になります。
http://www.courts.ca.gov/holidays.htm

納豆の作り方

1/17/2019

 
本記事は、MSLGのメンバーによる納豆の作り方のご紹介です。アメリカに居ながらかなり美味しい納豆ができる方法です。

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第1 準備編
​
1 大豆を手に入れる。アマゾンで購入可能。Non-GMOのもの。写真の品は納豆も対象としているので、日本に輸出していると思われるので大きさ的にも最適か。(写真1)
2 納豆を一パック手に入れる(既成品、写真2は使用後)。この納豆を以下、「種納豆」とする。種納豆がなくても、前回からの継ぎ足し納豆があれば、その方が同じ大豆に馴染みやすいと思われる。(写真2)
3 ダイソー等日本のヒャッキンがある地域では、できれば、納豆かき混ぜ棒を手に入れる。なくても、支障はない。(写真3)
4 インスタントポットのヨーグルトモードのあるものを用意する。(写真4)
5 お湯を沸かしておく。 
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写真1 アマゾンで購入した大豆

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写真2
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写真3 これはサンフランシスコのダイソーで購入
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写真4 インスタントポット(Instrant pot) これは、アマゾンで購入。大きさはどれでも構わない。
第2 培養編
 
1 大豆を洗いゴミなどを除外する。皮も取れてくるが、結論として皮は別に浮いていようが、結果にはさほど影響しないし、栄養分もあるかもしれないので、神経質にならなくても良い。
2 洗った大豆をインスタポットに直接投入。
3 水を加える。水の量は投入した大豆の嵩の倍程度、アバウトで良い。
4 インスタントポットの蓋を閉めて、Pressureモードを押し、PressureがHighになっているかを確認。そのうえで、45分に設定し加熱する。プレッシャーの弁を閉めるのを忘れてはならない。
5 加熱が終わった時点で、ゆっくり噴き出さないように加圧弁を開け空気を抜く。微妙に弁を開けないと吹き出してとんでもないことになる。慎重に。慣れれば被害なし。ちょっとカタイかな、と感じる程度でも結局数日後美味しく仕上がる。
6 別途用意したザルを熱湯で洗う。※とにかく納豆菌以外の菌の混入を避けるために、すべて使用する器具を熱湯消毒するのが良いと思われる。
7 加熱後の大豆のお湯をザルで切る。
8 インスタポット自体はまだ熱く雑菌の心配が少ないので、大豆をそのままインスタポットに里帰りさせる。大豆を熱湯で洗っている間、できればインスタポット内にあるステンレス容器は、容器自体を冷ます目的で、外気に触れさせる状態にしておく。
9 納豆かき混ぜ棒、なければ箸などを熱湯消毒して、用意した種納豆をとにかく混ぜる。目的は納豆菌をマックスに引き出すことなので、種納豆が潰れようとも、マックスで混ぜる。混ぜるときに、泡立ちがあればあるほど有効であると思われる。種納豆の原型を留めないほど、鬼のように混ぜる。
10 混ぜた種納豆と同量程度の湯冷めした熱湯(たぶん40度がベスト=培養に適した温度。高すぎると、納豆菌が死ぬ可能性があるが、ある程度冷めていれば大丈夫のようだ。)をさらに混ぜる。このときも妥協せずにぬるま湯全体を納豆菌が支配するように混ぜるが、種納豆を混ぜるほどの鬼のようにまぜなくても混ざる。
11 上記10で混ぜた液体をステンレス容器に移動した大豆にまんべんなく混ぜていく。このときに、マゼマゼ棒、または箸等は、雑菌に触れないように配慮して継続して使う。
12 11の混ぜた状態の大豆が入ったステンレス容器をインスタントポットに戻す。(写真4)
13 蓋をかぶせたときに水滴が落ちてこないこと、空気を入れることで培養が加速するということで、ペーパータオルをかぶせる。(写真5)
14 軽く蓋を載せる。(写真6)
15 ヨーグルトモードにして、24時間培養開始する。※ときどき、様子をみるのは、空気をいれるのでオッケー。ただし水滴が落ちないようにする。インスタントポットは底から加熱しているので、蓋をあけてもポット内の温度が下がる影響は少ない。
16 出来上がる。
17 小分けにして、冷蔵庫に投入。さらに熟成がすすみ、美味しさが増す。
​
Picture
写真4
Picture
写真5
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写真6
第3 納豆のタレ−一例
1 酒を煮切る。
2 酒と同量の醤油を投入→沸騰しそうになったら弱火。
3 甘口が良ければ、みりんを多めに投入
4 ダシ風味がよければ、市販のダシを投入。
5 火を切って、昆布の切れ端を投入(昆布を煮込んでももちろん構わない)。
6 冷めたら出来上がり。

過去記事「ビジネス・ファイナンシングの基礎」

1/16/2019

 
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。

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今回はビジネスを立ち上げたり拡大していく上で、ベーシックですが非常に重要なポイントを皆さんと一緒に考えていきましょう。皆さんがもし経営者として会社または個人事業を経営するのであれば、雇用されて給与を受ける以上のことに気を払わなくてはいけません。たとえば、収入と支出をバランスさせることですね。ビジネスを大きくしたり、立ち上げたりする場合にはある程度の資本がなくてはいけません。いわゆる「元手」といわれるものです。物を売り買いする商売では、ものを買い、そしてその物を売り、利ざやを稼ぐ訳ですが、取引の対象となる物が多ければ多いほど、ある程度、利益が多く出ることになります。もちろん他にもたくさん要素がありますが、取引量の多さというのはビジネスにとって重要です。ところが、特に新規のビジネスだと、金融機関は融資を渋りますし、融資を受けられても金額としても大きくないかもしれません。アメリカでは銀行に融資を頼まず、株式を発行してお金を集めたり、他の会社や個人からお金を借りたりしてビジネスをはじめるというケースが一般的です。ドット・コムが全盛だったころ、株に出資された方も多かったかもしれませんが、このトレンドは別にドット・コムビジネスに限ったことではありません。今回は、ビジネスの資本を集めるための方法について考えてみたいと思います。
 
大きく分けて、ビジネスの資本を増大させるには、株や会社の持分を対価として、出資を募るファイナンシングの方法と、担保の有無にかかわらず、お金を借りるという方法があります。ここでは触れませんが、ある権利や商品、それにビジネス自体を証券化するという方法もあります。しかし証券化に関して論じると本が一冊ほど必要なので今回は割愛しますが、いつか機会があったら触れてみたいと思っています。
 
まず、株を発行することで株主となる投資者を募るパターンを考えます。たぶん、まったくの新規ビジネスでは担保のない状態で金融機関からお金を借りるということは難しい要素がありますので、その意味では株を対価として発行することはスタートアップ会社などにとっては比較的容易かもしれません。ドットコムもほとんどはこの方法で事業を立ち上げた歴史があります。
 
株を発行して投資者を募る場合、投資者は会社の所有者になります。つまり株主という地位を得るわけですね。株の発行には普通株や優先株など、株主の権利に多少差はありますが、株というのは投資であるという要素は一定しています。ということは、株というのは性質上、融資のように、一定の利息があるわけではないですし、会社が倒産すると、投資額を失ってしまう危険性があります。
 
株主は会社のオーナーですから、パーセンテージにもよりますが、会社の経営に対して口を挟めます。ビジネスに長けている株主がいる場合、会社は有用な意見や経営方針などを聴ける可能性もあります。ただ、第三者が経営に参加してくるということは有用な反面、経営の性質を変えてしまう可能性も非常に大きいという点を考えておかなくてはなりません。今までは一人や数人でビジネス上の決定をしていたとしても、第三者が加わると会社の方向性が変わってもやむを得なくなります。その意味では株の発行にも気をつけなくてはいけません。もっとも優先株という通常の株とは違って、多くの配当金を得る代わりに経営には口を出さないといった内容を設定してある株も一般的なので、株の発行については一言では言い表せないのです。
 
株の発行に対して、会社のキャッシュ・フローが許せば融資を受けることも考えられます。融資の場合、中小企業だと、だれか個人的な保証を要求されるのが一般的です。融資、すなわちローンは通常利息が付されますし、支払の期限やペナルティが厳しく定められています。言葉を返せば、余裕さえあれば、経営にはまったく影響がなく、資本の増加ができることになります。しかし、ローンが返せなくなった場合には、個人的に責任を追及されることがほとんどです。ですから、計画的に返済できる額が融資を受けられる限度ということになるでしょうか。もし会社の経営が行き詰まって、支払ができないなどという事態が発生すると、個人の財産までも返済のために充当しなくてはいけなくなり、影響が大きいのです。まあ、日本では株を発行しても、個人保証を取る例が多いので、この点あまり違いはないかもしれませんが。
以上が、簡単ですが、株の発行と融資の違いです。両者とも基本的な性質は違いますが、契約等で内容を大いに変更できますから、場合によって使い分けていきたいものです。その使い分けも経営者のセンスの問題だと思いますけど。紙面がなくなってしまいましたので、また次回新しいトピックを考えていきたいと思います。
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