間もなく、4月1日より2020年度新規H-1Bビザ申請の受付が始まります。4月1日は多数の申請書が移民局に到着することが予想され、移民局内部での多少の混乱もありえます。当事務所が加入する移民法弁護士協会では、4月1日到着を避け、2日あるいは3日に到着するようにすれば、その混乱をすこし避けられるのではないかと分析しています。
あと申請書の送付については、到着確認をできる方法で送るのを勧めています。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
==== 今回は、契約書に関する基本中の基本について皆さんと考えてみたいと思います。契約はいくつかの要素から成り立っています。たとえば、売買契約の場合、契約の当事者が何を、どの程度の価格で何時までに引き渡し、その代金をいつまでに払うといった要素があります。 このように契約を構成する要素はいくつもあるのですが、その中でも基本中の基本が「誰と誰が契約をするのか」、つまり契約の当事者は誰かという要素です。たとえば、太郎さんが持っている消しゴムを花子さんが買う、という契約の場合には、明らかに太郎さんと花子さんが契約の当事者といえると思いますし、皆さんにも違和感がないと思います。 では、花子さんはマクドナルドでアルバイトをしていて、太郎さんはそのマクドナルドで、バリューミール(日本では「お勧めセット」と呼ばれているかも)を買った場合、太郎さんと花子さんははたして契約の当事者と言えるのでしょうか。皆さんどう思われますか? 太郎さんは自分でバリューミールを買っているのですから、当事者と言えることは間違いなさそうです。 では、花子さんはどうでしょうか? 確かに店でスマイルしながらバリューミールを太郎さんに出しているのは、花子さんでしょうし、会計をしているのも花子さんかもしれません。しかし、花子さんはマクドナルドのその店でバイトをしているだけですから、花子さんは契約の当事者ではなく、マクドナルドと太郎さんが契約の当事者ということになるのです。 なんだ、ちょっと考えればわかるじゃないか、と思われる方もいらっしゃいますが、結構契約を作成したりすると、こんがらがってしまうこともあるんですよ。 特に、契約書に何人も当事者がでてきる場合や、当事者が個人ではなく、会社や団体である場合にはややこしくなるのです。 マクドナルドで注文するのも売買契約ですが、生活の中には様々な契約が溢れています。 働いて収入を得るのも契約、交通機関を使っても契約です。ただ、皆さんが「契約書」なるものを作成しないだけで、口頭の契約によって、当事者の信頼関係をもとに、社会が動いていくのです。しかし、ある程度の規模の取引になると、契約は書面によって行われることになります。特に会社間の契約は書面によることがほとんどです。その場合、株式会社Aと株式会社Bで締結されますね。しかし、サインをするのは、その会社の実務を担う、代表取締役などの管理者です。ここまでは一般的な実務ですが、訴訟があって、会社内でたくさんの個人が訴えられたり、管理責任を問われたり、はたまた会社自体にも損害賠償の責任などが生じると、和解契約書などを作るときに相当注意しないと弁護士でもミスがでる場合があります。 契約書のレビューの仕事をしていると、日本語の契約書では「甲」「乙」「丙」「丁」などの古い日本語を今でも使用していますが、時々当事者が文章中でこんがらがって、権利関係が不明確になっているものも見かけます。また、アメリカでは雛形などが出回っていますが、そのまま使ってしまうと、She なのにHe になっていたり、会社がheとかsheになっていたり、といった、細かい部分で契約書が不明確になっていたりします。 まあ、細かい不整合性であれば、目をつむれますが、契約書で保証をする場合など、ちょっと間違うと保証の効力に関して命取りになる場合もあったりして、「細かい間違い」で済む問題ではなくなります。 弁護士でも非常に気をつけて、チェックをするところですから、皆さんも気軽にサインをする前に少なくとも当事者の名前は契約内容に合致しているか、確認されると良いと思います。 まあ、すごく基本的なポイントかもしれませんが、契約に触れる方々には、注意しておいていただきたい一点です。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第9回目です。 ===================== 第9章 相手方弁護人(Opposing Counsel) 事務所に帰ると、千穂さんが再度カニングハム弁護士から電話が入ったことを私に告げました。 「しつこい弁護士だね。こっちは刑事事件であたふたなんだから、なんなんだい。」 「わかりません。事務所に帰って来たら電話をくれっていう用件でした。」 「はいはい。あ、千穂さん、悪いんだけどコロナーズオフィスに行って、遺留品をもらってくれないかな。あとデス・サーティフィケート(死亡診断書)も。」 「福本さんの事件ですか。」 「そうなんだ。」 私はメッセージが書かれた小さな紙を5つほど自分の部屋に持っていきました。そのメッセージを読まずに、真治君に関する警察の調書をかばんから取り出して、再度読み始めました。ゆっくり頭の中で考えを巡らします。どうみても、この福本家に麻薬があると電話してきて匿名希望さんは真治君を落とし入れようとしています。また、そもそも、無理やり真治君を逮捕して起訴に持ちこませたFBIのやり方があまりにも強引な気がします。毎日学校に行っている真治君がとても、何百万ドルにもなる麻薬を扱っていたとは思えませんし、FBIだって感ずるところはあるはずです。現に、私が爆破の次の日に真治君の家に行ったとき、真治君が麻薬のことを知っていれば、麻薬をどうにでも処分できていたはずです。FBIにしたって、この調書を見る限り、真治君をPrincipal(首謀者)とは決めて書いていません。あくまでも、Accompliceと書いてあります。アカンプリスとは、麻薬事件の場合、ただ麻薬を運ぶだけだったり主要に関与していない者を指すのです。どんなに罪が重くてもミュル(ろば)と俗に呼ばれる運び屋なのです。そうすると、FBIは必ず他に目星をつけていて、現在麻薬のシンジケートの糸を手繰っている段階なのです。どのような捜査の方向性が持たれているのか、マックブライドに聞きたくて仕方ありませんが、どうせ捜査中ということで教えてはくれないですよね。FBIの調書も、真治君を弁護をする上では好都合ですが、事件を究明するための道具としてはあまりにもお粗末です。 あることを思いつき、私は不敵に笑いました。FBIが、もし麻薬組織について解明しようとして行き詰まっているなら、FBIの捜査の手助けをすれば、逆に真治君を助ける駆け引きに利用できるはずです。しかし、今の段階で他の麻薬関連者が捕まらなければ、真治君は捜査のつじつまを合わせるために人身御供にされかねません。FBIとの駆け引きが重要な要素になるところです。作戦を練り上げ、勝負することにしました。なんとかFBIとの駆け引きに勝たなくてはなりません。 FBIに対する対処法を私なりに考えているときに、私の机の電話が鳴り始めました。集中しているときに鳴ったのでちょっとドキッとしました。 「ジュンペイ・スピーキング。」 「ディス・イズ・カニングハム。」 「こんにちは、どのようなご用件で。」 「先日お話したディスカバリーに関することです。」 「ですから、この間お話した通り、証拠開示の請求をカリフォルニア民事訴訟法2030条以下で出していただければ回答します。」 私は非常にうんざりしたような声をだしました。ため息交じりです。 「事件を早急に進めたくてね。」 「理由は。」 「亡くなったロビンス氏のビジネスに関する書類が足りないため、ロビンス設計事務所がうまく機能していないんだ。」 「それは、ロングフル・デスに関係ないでしょう。」 「それが、大いに関係あるんだな。ミスター・フクモトが持っているんだ、ロビンスの書類を。」 「どこにある書類ですか、家の書類はみんなFBIが持っていっちゃいましたぜ。」 「小山弁護士、あなたの意向はわかりました。こちらも然るべき手を打ちます。」 「どうぞ。」 「近いうちに、お会いできるといいですね、事件を進める上で。」 「それは、別に構わないですよ。」 「今日はもう時間がないな、明日はいかがですか。」 「証拠の開示は法律に則りますから、明日というわけにはいきませんよ。」 「それはわかっています。」 「ぜひ、私に明日の昼食を用意させてください。私の事務所に11時半でどうですか。金曜日ですからリラックスして。」 「O.K.」 電話を切った私は、カニングハムがなぜそこまで私に会いたいのか不可解でした。彼は一体何をしたいのだろうと興味をそそられましたが、果報は寝てまてですよね。 刑事事件の申立てが一息ついたところで、今度は民事事件の方も考えなくてはいけないな、と考えを巡らせはじめました。腕まくりをして、コンピュータのオンラインサーチに目を向けます。ベーツ&マコーミックに関する情報をインターネットで引出します。アメリカでも巨大事務所のひとつに数えられる事務所ですから、多くの情報を手に入れることができました。世界規模で展開するベーツ&マコーミックは弁護士が総勢563人、事務所は海外拠点が13、アメリカでも32都市に事務所を持っています。サンフランシスコでも二番目に大きな事務所です。主に世界規模で展開する国際的な企業の顧問を務めています。業務の範囲もM&Aやアンチトラスト(反ダンピング)から、企業の日々の業務上の問題まで、様々な仕事をしているようです。ビクター・カニングハムはサンフランシスコのパートナーであり、20年以上の法廷弁護の経験があるとの記載があります。主な業務内容は民事訴訟、著書も多数あります。 ここで私は眉をしかめてしまいました。法廷弁護を多く手がけている弁護士はディスカバリー(証拠開示)についても相当な経験があるはずです。いや、ジュリートライアル(陪審裁判)やベンチトライアル(裁判官による裁判)よりも、ディスカバリーを多くこなしているはずです。アメリカの裁判では陪審員が使われていますから、裁判が法廷に持ち込まれて、よくテレビや映画になるようなシーンが毎日のように行われているように思われていますが、それは間違いです。訴訟の多くの部分はディスカバリーに割かれます。ディスカバリーがほとんどの事件でカギを握るのです。そのことを熟知しているはずのカニングハムが、なぜそこまでして福本氏側の証拠開示を不合理にも短期間で迫るのか。内容はともあれ、カニングハムの行動を惹起させている動機というものに心が引かれました。一体、亡くなったロビンスとどのような関係があったのか、福本氏とどのような関係があったのか。多分、巨大な法律事務所がらみなのでお金が絡んでいるであろうということは見当がつきますが、具体的な手がかりはありません。考えを巡らせているのは時間の無駄、というように電話が鳴りました。 「ジュンペイ・スピーキング」 「先生、たいへんです…。」 私のクライアントの日本人夫婦で、レストランを経営している夫が倒れて、切り盛りで忙しい奥さんからの電話でした。頭を真治君の事件だけには割いていられないのです。弁護士の仕事は常にマルチ・タスクです。 「どうしました?」 「主人が、もう助かりそうもありません。」 「今どこですか?」 「カリフォルニア・パシフィック病院です。」 「すぐに行きますね。それじゃ…。」 病院から戻ってきたときにはもう午後の3時を回っていました。まだお昼ご飯もたべていません。事務所に帰ってきてからは電話にも出ず、真治君の事件に関してのモーション(Motion:裁判上の申立て)作成に時間を費やしました。法廷弁護人の主な業務の中には、特にアメリカのように判例を重視する国において、法律や判例のリサーチをすることが多くなります。過去にあった事件と今のシチュエーションを比べたり、特別法がないか、裁判官のコメントがないか、入念に調べ上げます。ロースクールの地獄のような3年間はその訓練と勘を養うのです。モーションを書くについても丹念なリサーチが必要となり、相当な時間がなくては良いものができないのです。時間との勝負というのも弁護士の業務なのです。 夜になって、申立書が完成しました。モーション・ツー・ディスミス(起訴取下げの申立て)です。そして、FBIに対するスピーナ(証拠開示請求書)も作成しました。本格的な法廷戦の幕開けです。翌日、検察庁とFBIのサンフランシスコ支局それぞれに送達することを千穂さんに書き残して、事務所を出ました。モーションに対するヒアリング(審理)は法律で最低10日間の猶予を相手に与えなくてはいけないことになっています。今日作成して明日というわけにはいきません。明日から早くても10日後になってしまうのです。日時指定をぎりぎり早くに設定するメモを残すのも忘れませんでした。相手方に猶予の期間が不足しているという異議を申し立てられないように念をいれて再来週の水曜日に設定をしてもらうように書き留めました。申立ての期日は申立代理人が設定できるのです。 家にたどり着いたときにはもう11時になっていました。居間に入ると真治君がもう慣れてきた私のソファで本を広げて読んでいました。 「ただいま。勉強かい?」 「あ、おかえりなさい。昨日先生と話していたこの本、ギデオンのトランペット、すごく面白いですよ。」 「へー、感心だね。夜も遅いのに。テレビの方がよっぽど面白いと思ったけど。」 「ははは、そんなことないですよ。」 私は、私の首をしめようと必死になっているネクタイを解き、Tシャツ姿になりました。ビールを冷蔵庫から持ってきて真治君の近くに座りました。 「もう、読み終わりそうじゃない。」 「そうなんです。最後まで読まないと、眠れそうもないな。」 「おもしろいだろ。」 「法律ってすごいですね。こうやって人を助けることができるんだから。」 「そうだね。世の中には金儲けばかり考えていたり、金を多く持っている方に味方するという弁護士もたくさんいるけどね。やはり、社会やみんなのためを思っている弁護士もたくさんいるんだ。」 私の頭にカニングハムの事務所のことが浮かんできます。資本主義のもとでは、お金を得るためにはとにかく大きな組織にならなくてはいけないのです。大きなクライアントを得るためには、無料の法律相談を月に何百時間もしたり、あの手この手のセールス合戦を繰り広げなければならないのです。 「でも、法律って、勉強するの難しいんでしょ。」 「うーん、どうかな。難しいか難しくないかっていう観点よりも、世の中の仕組みを理解するための手段って感じかな。」 「こないだ弁護士になるのって大変って言ってたけど、どうして弁護士になろうと思ったんですか。」 「うーんそうだなー、アメリカっていう国は人種や考え方も様々だよね。もうめちゃくちゃ。わがままというか、自分のことしか考えていないっていうか。僕はこの国に住んでいて人の生きていく方向性を単一的には捉えられないことがよくわかったんだ。」 「そうですよね。」 「それでね、こんなにばらばらな国でも他の国と変わらず、貧しい人や困っている人っていうのはいるわけで、その人たちを守れるのは法律しかないんだな、って思ったんだ。法律というのはある一定のところで線を引くものだからね。なんとなく、ばらばらな人たちでも、生きていくため、そして生活を守るためにぎりぎりの線というものがあり、それを守ってあげられるのが弁護士しかいないんだね。それで、弁護士になって自分よりも困っている人、自分よりも悲しみを感じている人を助けてあげようと思ったんだ。」 「ふーん。」 真治君は何かを考えている様子でした。 「今まで、弁護士っていうか、法律に関わる人に会ったことがないからよくわからなかったけど、自分でこういう立場になって、やっと弁護士ってどういう職業なのかわかってきました。」 「そうなんだ。何事も経験だよね。ギデオンの場合、牢屋に入れられて、相当ひどい待遇に遭っていたんだね。たぶん暴力を振るわれたり、いやがらせをされたり。囚人と言う立場だから力関係では本当に弱者だよね。ギデオン自身教育もなかったから、基本的に何もすることができなかった。ギデオンは牢屋の中で起こっている暴力や嫌ががらせについて一所懸命メモを書いて最高裁判所に訴えたんだ。勇気があったんだね。それで、しばらくして最高裁判所がギデオンの事件を取り上げたんだ。そのことがきっかけとなって全米中の刑務所で囚人の待遇が改善された…。あ、あんまり話しを言っちゃうと本が面白くなくなるね。」 「大丈夫です。もう終わりの方ですから。」 「アメリカでは、弁護士が多い多いって言われているけど、世の中には人権を踏みにじられている人がたくさんいる。社会を改善していくために弁護士が必要だとすれば、まだまだ足りないくらいなんだ。日本では、弁護士の絶対数が少なくて特権階級のように思われているけど、そのような位置付けの人たちが本当に弱い人たちを助けていけるかと言うと力的に不足しているんだよね。これからは変わるだろうけど。」 「先生、ほかになんか読む本ないですかね。」 「法律関係でか。いやに熱心だね。」 「弁護士っていう仕事にすごく興味が沸いてきました。」 「ははは、それは頼もしいや。まあ、明日は金曜日だから、週末はゆっくりしよう。まだ、真治君とは二人でゆっくりしたことないもんな。」 「はい、それじゃ勉強しています。」 真治君は私の書斎、いや彼のベットルームに帰っていきました。 残飯処理係と化した私は、冷蔵庫で目に付く食べ物を口にしながら冷えたビールで喉を洗っていました。明日の昼ご飯はさぞおいしいものをカニングハムにごちそうしてもらえるでしょう。 金曜日の朝も相変わらずの晴れでした。真治君は早起きして学校に向かいました。私は早朝の出廷もなくちょっとのんびり気分で、ピーツ・コーヒーに向かいました。スーツは着ていません。アメリカでは金曜日をカジュアル・デーと冠して、スーツを着ずに私服で出勤することが当たり前になりつつあります。私もデニムパンツに洗いざらしの襟付きシャツをつけて車に乗りこみます。コーヒーと、奮発してチョコレート・クロワッサンを買い事務所に向かいます。ひっきりなしの電話の応対や書面の作成をしているとあっという間にカニングハムとのアポの時間が近づきました。 「千穂さん、昼ご飯は例のカニングハムとすることになったから行ってくるよ。」 「あ、あのしつこい電話の人ですか。」 ちょっと千穂さんは眉をしかめていました。 「そうですか。了解しました。お気をつけて。」 「はい。」 私はエレベータに乗りこみ、金曜日と言うこともあってリラックスした雰囲気のビルを出て、カニングハムのいるビルに徒歩で向かいました。高層ビルの間から青空がのぞいています。 サンフランシスコのダウンタウンは、他のアメリカの都市と変わらず道が桝目状にまっすぐ通っています。ですから、目的地に向かうのにどの道とどの道が交差しているのか聞くだけでおおよその位置が把握できます。カニングハムの事務所は私の事務所からそう遠くないところにあります。 道では、週末の予定を話し合うカップルや仕事の合間に立ち話をする人たちにたくさん出会います。道端のお花屋さんでは、グラマラスな花が太陽に顔を向けています。カニングハムの事務所は海のそばに4つの大きなドミノのように立っているエンバカデロビルのナンバー1にありました。エレベータに乗りこみ35階を示すボタンを押します。私の事務所があるおんぼろビルとはぜんぜん違います。すべてが現代的に金属で光り、エレベータの乗り心地もカプセルに入っているようです。35階にはあっという間に着きました。エレベータを降りると、目の前には大きく「ベーツ&マコーミック」と金色で彫られた文字が見えます。そのうしろにはレセプションのきれいなお姉さんが座っていて、そのまたうしろにはアルカトラズ島を含めてサンフランシスコ湾が一望できるガラス張りのコンフェレンス・ルームがあります。この景色に心を打たれてお金を落としていくクライアントも少なくないのでしょうね。 きょろきょろしてばかりいると警備員を呼ばれかねないので、そそくさとレセプションに近づき、自分の名前を名乗りカニングハムに会いたいことを告げました。 「ヒー・ウィル・ビー・ライト・ウィズ・ユー(すぐに彼は来ます)。」 雑誌から飛び出してきたような白い歯を見せて彼女はにっこりしました。 「ありがとう。」 私は、目にした革のソファに腰掛け、置いてあった雑誌に目を通しました。私は11時半ジャストに来たのですが、カニングハムは11分ほど私を待たせました。音もなく出てきたカニングハムは私の握手を求めました。 「ファイナリー・アイ・ゴット・ホールド・オブ・ユー(やっとあなたを捕まえることができました)。」といって私の肩をたたきました。 「ユー・ガット・ミー(捕まれられました)。」 私はカニングハムの目を見て笑いながら手を握り返しました。私よりもちょっと背が低い男で、目は真っ青です。頭はダークブロンドで、7・3に分けています。顔はどちらかと言うと四角い感じがしますが、鼻は高くちょっと赤くなっています。卒がないダークグレーのスーツを着て、光沢のあるえんじのネクタイを締めていました。スーツは非常に高価そうな生地です。どうせ私のスーツが10着分買えてしまうくらいの金額なのでしょうね。 耳まで届きそうな笑いを浮かべながらカニングハムは私を会議室に招きました。会議室は全部で10室ほどあるらしく、私が通された部屋は、更に海に近い角部屋でした。 カニングハムは私を海に向かって座らせ、自分は向かい側に腰をおろしました。一息つくと、カニングハムが切り出しました。 「小山弁護士、事件よりも何よりもびっくりしました。」 会議室にカニングハムの低い声が響く。 「は、なんでしょう。」 「あなたは三谷弁護士と働かれている。」 「聞きました。あなたも以前はPD(パブリック・ディフェンダー)だったって。」 「あの頃は、楽しかったです。がむしゃらでした。」 「PDの事務所は体力勝負ですからね。」 「三谷弁護士はおとなしいですけど、すごく頭が切れる人です。」 「…。学生時代からの友人だとか。」 「一緒に勉強会をしたものです。司法試験も一緒に勉強しました。」 「それにしても、こうも人生が違ってくるなんて…。」 わたしはきょろきょろ部屋を眺めました。テーブルから何から何まで高そうなことがわかります。壁には青い空によく映えるピンク色の大理石が施されています。私は、クライアントはこの会議室で会議をしていて、こういう壁やテーブルにお金を払っていることを知っているのかなと考え、もし知っているとすれば物好きだなと思ってしまいました。まあ、なんでもよいですが同じ法律の勉強をして、同じ試験を受けて、弁護士になってここまで違うのかと感心してしまいました。私の考えに気づいたのかどうか、カニングハムは仕事に話を向けました。 「ジャック・ロビンス氏の奥さんは非常に悲しんでおられる。」 「お察します。」 「これからの生活を考えなくてはならない。」 「そのためにこの裁判を提起されたのでしょ。」 「小山弁護士、あなたも私も納得できる和解に至るためには少なくとも、偽りのない情報開示が必要だ。」 「カリフォルニアの民事訴訟法でそう規定されていますよね。だから私は法律に則る証拠開示には同意しています。今から、そちらで証拠開示請求をすれば、20日後にはあなたのお手元に必要書類を届けますよ。」 「そうだな、まずその事務を済ませてしまおう。」 カニングハムはファイルの中から、書類の束を選び、私に投げるように渡しました。題目は「書類開示の請求(Request for Production of Documents)」。ぺらぺらと中を見ながら、ずるいやつだな、と思いました。私がカニングハムに言ったように、書類の開示請求は請求があった日から20日以内に書類を提出しなくてはなりません。これは法律で決まっています。ところが、郵便で請求を送ると20日間に加えて、法律上5日間猶予が相手方に与えられてしまいます。ですから、直接手渡せばこの5日間を節約できるのです。昼飯ごときで相手を呼び出しておいて手渡しするのはずるいですよね。私は顔色ひとつ変えずに、 「確かに受け取りました」と事務的に答えました。いくらでも防御策はあります。 「ところで、どのような書類や情報をお探しですか。」 私は切り出しました。 「電話でも言ったと思うが、ロビンス設計事務所はあまり今、機能していない。大事なデータが見つからないのだ。」 あっ、と思いました。コンピュータのデータのことを言っているのでしょうか。 「大事なデータが入ったコンピュータかなにかあるのですか?」 「それもあるが、手帳なども見当たらない。」 ということは、相手方はロビンス氏の持っていたコンピュータは回収しているのでしょうか。そのデータが見たい。私は押すように言いました。 「カニングハムさん、ロビンス氏が持っていたコンピュータというものがあるのでしょうか。」 「ははは、そのデータが見たいのですか、小山弁護士?」 一瞬、わきの下に汗を感じました。 「なにかの役に立つかもしれませんしね。」 私はなるたけ平然といいました。 「それはできません。あくまでもこちらの証拠開示請求と同時履行で行こうじゃありませんか。」 「もっともですな。」 カニングハムは身を乗り出して付け加えました。 「小山弁護士、私はロビンス、福本両氏がどのような行動をとっていたために、爆発に巻き込まれたのか、確かめたいのです。」 その答えはもっともです。 「具体的にはどのようなものをお考えですか?」 「…。それはあなたからの開示を待って考えていきたいと思います。」 確かに、この答えももっともです。私が何を開示するのかを見極めたいのでしょう。今からカニングハムがヒントをくれるわけないですからね。まあ、開示に関してはカニングハムとやりあうことになるでしょう。 「ところで、お腹空きましたね。カニングハム弁護士と昼食を一緒にできるということで楽しみにしていたんですよ。」 「これはこれは、それでは行きましょうか。」 先に立ったカニングハムは、私を促し、事務所の長い廊下を歩き始めました。さっきカニングハムから受け取った書類開示請求は、折ってデニムパンツのポケットに突っ込みました。それを見てかすかにカニングハムは顔をしかめたようです。私は気にせず、大理石やら桜の木の板でちゃらちゃらした事務所を早足で歩き、カニングハムとエレベータに乗りこみました。ビルを出たわれわれは、しばし無言で歩きました。 ちょっと歩いたところに、カニングハムが招待してくれたレストランがありました。建物の1階で、ちょっと落ちついた雰囲気の店です。彼は私を促して、店に入りました。ちょっと暗い照明にマホガニーの壁がしっくりきています。カニングハムを見とめた給仕は、笑いを顔いっぱいに浮かべ、外の景色が見えるブースにわれわれを座らせました。 「ここはコブ・サラダが有名なんだよ。」 「へー」と言いつつ店内を眺めてみます。午前中の仕事を終わらせた様々な団体が、声をあげながらフォークとナイフを動かしています。12時ちょっと前だったので、まだ満席ではありません。おや、と思ったのが、私の斜め前の席で昼食を待っている三人組の男なのですが、この暗い店内でサングラスを外していないんですね。カニングハムにそのことを言うと、そちらを見向きもせずに、うなずきながらメニューを上から下まで眺めていました。 「決まったかね。」 「コブ・サラダにしてみます。」 「そんなに大きな体で、それだけでいいのかね。」 「充分です、はは。」 料理を待っている間、カニングハムは三谷先生との思い出を語り始めました。それでも、あたりさわりのないことばかりを言っています。私は突っ込みました。 「どうして、PDを辞められて、ベーツ&マコーミックに移ったのですか。」 「うん、それはね、いろいろあったけど、大きな事務所での仕事もしてみたいと思ってね。」 「でも、大きな事務所では、PDの時のように、人助けとか人権問題とか、あまりできないのではないですか。」 「そうだね、それでも人権団体に寄付や援助はしているんだ。」 「寄付ですか…。」 「ベーツ&マコーミックは多額の寄付をすることで人々の役に立っている。」 「ご自身では、なにかプロ・ボノ(Pro Bono:無給弁護)をされないのですか?」 「私自身はなかなか時間が取れないが、私のアソシエートにはさせている。」 威厳を保とうと思ってか、カニングハムは胸を張って答えました。 サラダが運ばれてきました。アメリカのレストランでの一食は日本での二食、三食に匹敵するでしょうね。すごい量です。それをパクパク食べました。会話はあまり弾まず、料金は取り合いの末、カニングハムが払うこととなり、レストランを後にしました。「またお会いしましょう」とおざなりの挨拶を交わし、私はカニングハムと別れました。カニングハムとの食事はまぁまぁでしたが、歩きながら証拠開示請求をポケットから取り出し、詳細を読みはじめました。私は唇を噛みながら「汚い事するよな、カニングハムさん」とつぶやきました。 最近、移民局は2020年度新規H-1Bビザの受付を2019年4月1日より開始することを発表しました。特急審査は行われる予定ですが、日程の詳細は後日移民局より案内がある予定です。4月7日までに申請数が年度枠の65,000を超えた場合は抽選になります。
訳例:手数料及び費用
FeeもExpenseも、一般用語でよく使われる単語であり、幅広く生活に浸透している単語である。入場料などというのも、Feeを使うし、家計のことを話すときにもExpenseはよく出てくる。辞書にもかなりの翻訳の仕方が書いてあり、契約書の翻訳文を見ると様々な訳し方を目にする。 米国の契約書では、Attorneys Fees(弁護士報酬)がよく出てくるが、契約書によっては他のFeeもあり得る。専門家証人、会計士、税理専門家、建築家などの人たちが提供する無形のサービスに対する対価もFeeである。勝訴した場合に相手方から回収できるCostsをリストアップしているリフォルニア民事訴訟法1033.5をみると、出願手数料、申立手数料、陪審手数料など多くのものが「Fee」と表現されている。一方、「Expense」の用語は、デポジション(証言録取)への参加費用やトライアル(裁判)の準備のための調査費用に使われている。 このように、「Fee」と「Expense」の区別は必ずしもはっきりとしないが、2つまとめて「手数料及び費用」と訳しておけばよいだろう。契約を締結する際は、どのような「手数料及び費用」をどちらが負担するのかにつき、きちんと確認しておく必要がある。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
==== 今回は皆さんに馴染みがそんなにないであろうコンセプトを考えてみましょう。日本語で訳すと、「約因」英米法では、Considerationと呼ばれるものです。契約書を読んでいると、アメリカでは必ず「In condieration of...」とか、「For the value received」といった記述が契約書に書いてあります。時々、翻訳を見ていると、法律をわかって翻訳していないため、難解になっていることがあり、ぜひ、今回、この約因というコンセプトをわかっていただきたいと思っているのです。私も最初は日本の法律を勉強していたので、この「約因」というコンセプトが出てきたときには、よく悩まされました。 口約束でも書面による約束でも構いませんが、契約というのは、まず二人(会社などでもよい)以上の人がお互いに約束するところから始まります。この約束をする人達を「当事者」と呼んだりします。たとえば、一方の当事者が「この鉛筆を50円で売ろう」、そしてもう一方の当事者が「それなら、その鉛筆を50円で買おう」という約束をすることによって契約は成立します。「売ろう」、「買おう」という意思が合致したときに契約が成立したことなります。ということは、基本的に書面でなくても口約束でも立派な契約になるのですね。日本では、契約をしようと申し出ることを「申込」といい、その申込に対して、「了解しました」ということを「承諾」といいます。日本の民法では契約は、この申込と承諾があって、契約が成立します。一方の当事者が約束を破れば、法的に強制ができるのですね。ところが、アメリカを含め、英米法の下では、この申込と承諾の他に、約因というコンセプトがなければ、契約は成立しません。 約因(Consideration)というのは、歴史的なコンセプトの変遷があったものの、現在では契約の当事者がなんらかの「価値を交換する」ということです。つまり、申込と承諾があっただけではなく、何らかの価値をお互いに交換してはじめて契約となるのです。アメリカの法律を学ぶ学生も頭を悩ますところですが、簡単な例を使うと、「鉛筆を50円で売ろう」というのが、申込で、「その鉛筆を50円で買おう」というのが承諾だとすると、この契約では、「当事者同士で50円と鉛筆を交換すること」が、約因となります。英米法ではこの「約因」というのがあってはじめて契約が成立することになりますから、契約書を見ても、必ず、For the value receivedとか、In consideration thereofなどという、当事者同士で交換していることを明確にしている文章が記載されているのです。ですから、翻訳をするときには、必ず契約書を読み、どのようなものが交換の対象になっているのかを考えなくてはいけません。不動産を借りるときには、住む権利と家賃を支払う義務が交換されていますよね。弁護士に仕事を委任するときには弁護士が業務を行うことと、その報酬を支払うことが交換されることになります。 日本では、「贈与」というと契約の一形態と位置づけられています。一方の当事者が他方になにかあげることが贈与契約とされていますが、アメリカでは一方がもう一方の当事者にものをあげることは契約とはみなされていません。なぜかといえば、一方がもう一方にものをあげるだけでは、ものを交換していないですよね。交換がなければ対価性がないですから、約因もないとみなされ、契約としては成り立ちません。こういった贈与を契約としたいときによく使われるのが、1ドルを対価として、ものをあげるといった形にすることです。たとえ1ドルでも交換していれば、対価として成り立ちますので、約因とすることができるのです。契約を成り立たせるためによく使われていたテクニックなのです。 以上で約因というコンセプトがある程度おわかりになっていただけたでしょうか。最近の学説では、約因というコンセプト自体が必要ないものではないかという議論も活発に行われています。果たして、対価性が実際に必要なのか、学者にしても意見が分かれるところなのですね。ただ、一般的なレベルでは、現在でも「価値を交換すること」が契約では必要だと認識し、契約書を作るときには必ずこの対価性を反映させることを忘れないでくださいね。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第8回目です。 ===================== 第8章 刑事第1回公判 (Arraignment) このところ毎日、真治君の事件をやっていたので、他のクライアントに迷惑をかけることになっていました。千穂さんが対応してくれていましたが、やはり、私がいないとどうにもならないことが発生してきます。というわけで、水曜日はクライアント、相手方の保険会社や弁護士、それに裁判所に納得をしてもらうことで、1日使っていました。 日本から帰ってきてから、なかなか思うように執務がはかどりませんでしたが、三谷先生や千穂さんに助けられて、なんとか水面上に頭を出したまま、泳げています。今日の昼ご飯は三谷先生がおごってくれるそうです。 三谷先生と二人でサンフランシスの街を歩くのも久しぶりです。とりとめもない会話をして、中華街のいつも使っているレストランに歩いていきます。上着は事務所に置いて、腕まくりして歩いても風が気持ちよい日です。もう6月に入りました。春が夏に滑り込んでいきます。 「真治君、どうしてる。」 「おかげさまで、元気にしてます。最初に会ったときとは見違えるほどです。」 「なんか、民事事件にもなっているんだって?」 「そうなんですよ、ロングフル・デスの訴訟です。爆発のとき一緒に旅をしていた、ビジネス仲間の遺族なんですけどね。」 「時間的に見て、ちょっと手際がよすぎるね。相手の弁護士は誰だい?」 「ベーツ&マコーミックです。」 「あの、大きな事務所か。」 「ビクター・カニングハムという弁護士が担当です。」 「ビック…。」 「ええ、ビクター・カニングハムです。」 三谷先生はちょっと考えて、にこにこした顔の笑いを消しました。 「先生、カニングハムをご存知なんですか?」 「うん。僕と彼はロースクールを一緒に卒業した後、パブリック・ディフェンダー事務所(公選弁護士事務所)でも一緒に仕事をした。ものすごい切れ者だよ。僕と彼は、大きな事務所からの誘いを断固として断り、貧しい人のために、そうだな、月、当時の手取りで7万円くらいで仕事をしていた。」 「そうなんですか。」 「淳平だって、大きな事務所からの誘いを断って、私の事務所で仕事しているんだから、その弁護士としての情熱はわかってくれるよな。」 自分の熱い過去を思い出したかのように、三谷先生は私の目をみました。 「ええ、わかっています。」 「ところが4年ほどして、彼は突然パブリック・ディフェンダーの事務所を辞めた。」 「理由は?」 「わからないが、われわれの事務所にとっては大きな痛手だった。その後突然、ベーツ&マコーミックに移っていった。それからは話してないなぁ、奴とも。」 「そうだったんですか。」 「私も、10年ほどパブリックディフェンダーの事務所に勤めて、今の自分の事務所を開業したのさ。」 歩きながら、三谷先生は回想を続けていました。 いつもの中華料理屋で、いつもの店員に会って、いつもの昼ご飯を食べて、事務所に戻りました。食事中は、私が真治君の事件で手一杯になっている間、手助けしてもらっている事件のことなどを話し合いました。事務所に戻り、仕事に戻ると、タイミングよく千穂さんが電話を取り次いでくれました。受話器を持ち上げて、 「ジュンペイ・スピーキング」と言うと、 受話器の向こうから、初老のバリトンのような滑らかな声が聞こえました。 「カニングハムだ。」 あのロングフル・デスの相手方弁護士です。 「昨日、フォン・タッグ(電話が行き違いになること)をしてしまってもうしわけない。訴状はいただいています。」 「君がシンジ・フクモトの刑事弁護人だと聞いていたものでね、君に民事の方も請負ってもらおうと思い、そちらの住所に送達した。」 「ご用件は?」 「ディスカバリー(証拠開示手続き)を早急に進めたいと思ってね。」 「カリフォルニアの民事訴訟法に基づいてならいくらでも応じますよ。現時点では、インテロガトリーズ(Interrogatories:質問状)やリクエスト・オブ・プロダクション(Request for Production:書面開示請求)をいただいていませんが。受け取り次第、所定の時間内に証拠開示にお答えしますよ。」 「我々は早急に事件を進めたいと思っている。協力がいただけないなら、裁判所に申立てて証拠開示の進行を早めようと思っている。」 「そこまでして、開示を早める理由はわかりませんがねぇ。言ってみれば死者の訴訟でしょ。こっちも刑事事件で忙しいしね。」 「協力が得られないんだね。」 「民事事件については証拠開示を早めてこちらに特になる理由はないですからね。」 「バイ。」 用件が済むと、さっさと電話を切ってしまい、ちょっと嫌な印象がしました。それよりも、なぜ証拠開示を急ぐのか、首を傾げてしまいました。電話を切ると、コロナーズ・オフィスから、福本氏の遺体を引き取る許可が出た知らせが入りました。すぐに葬儀屋と打ち合わせをして、今週末に葬式をあげてもらうことにします。 明日は朝8時半から真治君の第1回の刑事公判です。予審で真治君が保釈がされたので気分的には楽ですが、私の興味は明日には出てくるFBIの調書です。日がとっぷり暮れて、帰宅途中にサンフランシスコ名物、サワードウのパンをベースにしたツナ・サンドイッチを買いました。今日は尾行はないようです。神経を周囲に払いながら家にたどりつきます。真治君は、自分に起こっていることを忘れるかのように、読書に没頭していました。 「帰ってきたぜい、お腹空いたろう。」 「空きました。」 「僕の大好物のツナサンドを買ってきたよ。」 「わ、おいしそう。」 「さ、食べよう、食べよう。」 今日、学校であったことを真治君に聞きながら、二人向き合ってウォークマンより大きなサンドイッチにかぶりついていました。平和に真治君の1日も過ぎたようなので、ほっとしました。 「このサンドイッチ、『たれ』がいいですね。タルタルソースみたいで。」 「だろ、秘伝なんだって。」 「…、明日は学校に休みの届けを出しておきました。」 「そうか。」 真治君は、あまり苦痛な表情は見せていません。 「刑事事件の1回目の裁判をアレインメントっていうんですよね。」 「え、よく知っているね。」 「学校の図書館でいろいろ本を見てたから。」 「なに、裁判の本を見てたの?」 「自分が巻き込まれているから、自分なりに理解しようと思って。」 確実に真治君は強くなってきました。いや、心の中でがんばっているのです。 「それで、図書室のスティーブおじさんがこの本を貸してくれました。」 差し出された本を見るとギデオンのトランペット(Gideon’s Trumpet)と書いてあります。ギデオンは一囚人でしたが、囚人たちに対するあまりにもひどい待遇に対して黙々と裁判所に請願書(Habeas Corpus)を書きつづけ、ついにはアメリカ最高裁にまで問題を提起して勝ったノンフィクションのお話の主人公です。 「これは、いい本だ。どんなことでも勇気を持てば、人の意見も変わる、そして法律も変わる、それを教えてくれるよ。」 「読み始めたばかりだけど、楽しい。」 「明日は早いから、寝なよね。」 「はい、そうします。」 「あ、そういえば、君のお父さんの遺体をもう引き取って、今週末には最後のお別れになるからね。つらいだろうけど、お葬式には出るんだよ。」 涙が込み上げてきている真治君は、ギデオンのトランペットを抱きしめて、おやすみをつぶやいていました。 次の朝は、6時に目が覚めました。真治君の法廷です。なぜかアメリカの法廷弁護士はダークスーツと決まっているので、私も髪がたけのこのようになっているにもかかわらず、ダーク・スーツを身に着けました。スーツはあまり好きではありません。首をしめられるというか。そもそも、アイロンが大変ですからね。たけのこのようになった髪の毛と書類を整えて、準備完了です。真治君も襟付きのシャツを着て、しゃきっとしています。ちょうど1週間前に私がはじめてあったときの華奢な体で震えていた真治君とは見違えるようです。 ポンコツのボルボに乗りこみ、いよいよ出発です。私はいつものところでコーヒーを買いましたが、真治君はいらないと断りました。連邦裁判所の建物は、巨大なさいころに窓が無数についているようなそっけないものです。1階は非常に大きな広場になっており、天井は様々なデコレーションが施されています。昼でも薄暗いため、シャンデリアが煌煌とついています。歩く音もよく響くように設計されているのでしょう。革靴で踏みしめる一歩一歩が所内に響きます。ネクタイを締め直し、守衛さんがいる入り口付近にあるカレンダー(法廷期日)を確認し、第14部に足を運びます。第14部は刑事未成年者に対してのみ審理を行います。 観音開きで、私の背の二倍はあろうかという高い木でできた扉を開けます。歴史を物語るアメリカの裁判所を感じさせます。少年に対する審理のみを扱う刑事法廷ですから傍聴席に人はあまりいません。シェリフ(廷吏)にラインナンバーを告げ、チェックインします。真治君には小声で簡単な打ち合わせをした後、傍聴席に座っているように合図しました。実際に審理されるのは3件のみのようです。事前に、法廷内の裁判官席に向かって右側に座っている検事に名刺を渡しました。バード検事は予審専門の検事ですから、今日はまた違うマラック検事という40代の黒人の男性検事です。裁判所では、予審と本裁判は違う検事や裁判官が担当するのが普通なのです。また令状を発行する裁判官も違うことがほとんどです。真治君の家の捜索令状もカー判事という今回の判事とは違う裁判官が発行してましたよね。 弁護人席に座っていると、シェリフが「オール・ライズ(全員起立)」と響く声を発しました。私も起立して、スーツのボタンをかけながら、裁判官が席に着くのを待ちます。裁判官が「ユー・メイ・ビー・シーテッド(You may be seated:着席ください)」と言い、審理が始まります。裁判官席のすぐ下に、速記官と書記官が座って忙しく動いています。 真治君の事件は3番目に呼ばれました。真治君を指で手招きすると、傍聴席と裁判官や弁護士がいる部分とを分けた柵を越え、真治君が私の横に立ちました。この柵をBARということから、司法試験に受かることがBARを越える(パスする)と呼ばれるようになりました。 裁判官は被告人である真治君に簡単な人定質問をし、私にプレア(罪状認否)を求めました。 「裁判長、ノット・ギルティー(無罪)を主張します。またタイムはウェーブ(迅速な裁判を受ける権利を放棄)しません。」 通常の刑事裁判は被告人側の時間を稼ぐために迅速な裁判を受ける権利を放棄しますが、私はFBIや検察にプレッシャーをかけるため、放棄しませんでした。放棄するなら、あとからいつでもできるのですから。 裁判長は迅速な裁判を受ける権利、つまりアメリカでは80日間ほどで陪審裁判まで持っていかなくてはならないので、その面倒くささからか少々いぶかしげな顔をしました。 「タイムはウェーブしないのですね。」 裁判官は確かめました。 「その通りです。」 身動きせずに手に持ったペンをいじりながら立っていた私は断定的に答えました。 マラック検事も私の顔をじっと見ています。検察側にとっても仕事が格段に多くなります。すべての証拠調べを80日程度で終わらせなくてはいけないのですから、一苦労です。FBIにもその旨が報告されるでしょうが、80日経った段階ではマックブライドも証言台で「まだ捜査続行中です」とは言えないでしょうから、これは私からの挑戦です。 「弁護人、わかりました。他に何か。」 「ファイルにある警察の調書をいただきたい。」 「アプローチ・ザ・ベンチ(裁判官席のほうに来てください)。」 一段高い裁判官席に近づき、約両面印刷で20ページの調書を受け取ります。 「弁護人、次回の期日は来週の水曜日でよろしいでしょうか。」 自分の手帳を見て肯定的に答えて、閉廷しました。何もしゃべっていない真治君は拍子抜けしていたようです。 法廷から出て、廊下にあった木の長いすに腰掛けて受け取ったばかりの調書をとにかく見ました。ぺらぺらめくっていると、私の興味と真治君の興味は違うようで、彼は今の法廷について質問をしてきました。 「案外、すぐ終わりましたね。」 「第1回目の公判というのはこんなものなんだよ。」 「一体どうなったんですか。」 「君の無罪を主張した。その後の実質的な事件の進行については来週の水曜日からになるね。」 「いつもこんな感じなんですか。」 「大抵そうだね。アメリカではほとんどの刑事事件を否認することからはじめるから。」 「来週の次回の公判はどのようになるのですか。」 「来週からは、実際に君が起訴されている事実について実質的に議論していくことになる。」 「それじゃ、また学校を休まないとならないんですか。」 「もう、君は出廷しなくてもよい。法廷内でやりあうというよりも、この間みたいに裁判官の控え室でインフォーマルに話し合うんだ。もし話し合いがつかなければ、裁判に突入だけどね。」 「そうですか…。」 「来週は僕が何とかできそうだから心配しないで。」 私は真治君の肩をたたき元気付けました。 調書を読むのを後回しにして、真治君を学校に送り届け、私は事務所に向かいました。事務所に行く途中、昼ご飯を食べながら調書にすべて目を通しました。調書を読んでわかったことは、麻薬の入ったかばんが爆発したこと、何らかのリモートコントロールにより爆破されたのではないかということ、その爆破したかばんは福本氏のかばんだったこと、アノニモス・コーラー(匿名者)が電話で福本宅に麻薬が隠してあることをFBIに告げたこと、福本宅で見つかった麻薬は特定できないが南米からのシンジケートからのものであることなどでした。真治君はアメリカに送られる麻薬のルートの一部を担っていたと記されています。真治君を有罪にできる直接的な証拠は何もありません。起訴状によれば、真治君は悪意(内容を知っていながら)でヘロインを自宅に隠し持ち、またその所持は売ることが目的であったと記載されています。これだけの事実記載なら検事と対等に渡り合えそうです。がぜんやる気が出てきました。 先日H-1Bビザ申請に関して特急審査 Premium Processing Service が再開されたことが移民局より発表されました。
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