本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第1回目です。 ===================== 陸海軍管轄の事件を除き、大陪審の起訴審査または起訴決定を経ない限り、死刑が科されている犯罪もしくは重大な犯罪において罪に問われることはない… No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictment of a Grand Jury, except in cases arising in the land or naval forces… アメリカ合衆国憲法修正第5条 (Fifth Amendment to the United States Constitution) *** ―― この本は夢を持っている人、また夢を探し続けている人に捧げます。 夢には限界がない。 情熱がなければ夢は成り立たない。 どんな小さな夢でも、 心に勇気を持って。 負けないでください。 夢を持っている人、それを探しつづける人はいつも輝いているから。―― *** 第1章 依頼人面接 (Client Interview) ちょっと言わせてください。何で飛行機の座席では足が思いっきり伸ばせないのでしょうか。180センチ以上も身長がある私がいけないのですが、もう少しスペースが欲しいものです。私の座っているエコノミークラスのシートはユナイテッド航空810便のボーイング747型の機体のお尻のほうに付いています。通常でも8時間以上のこのフライトに閉口するので、あと1時間も定刻より遅れてサンフランシスコ空港につくというアナウンスがあってからはかなり憂鬱な気分です。まあ、もっと立派な弁護士になるか、ユナイテッド航空のマイル数がたまれば、ビジネスクラスや夢のファーストクラスに乗れるのになぁと思います。もっと大きな仕事にありつければ、税金も文句言わずに払いますし、生活も銀行の通帳とにらめっこしなくても済むなぁ、などといろいろ考えが発展していきます。 とにかく、この9時間にも及ぶ修行を乗り越えなくては、私の住むサンフランシスコに戻れないわけです。飛行機の嫌いな私がお金を払ってこのような拷問に遭うのですから、本当にサンフランシスコに帰らなくてはならない状況にあるのです。やらなくては行けない事件がどっさりたまっているのです。あ、もう一言言わせてもらえば、あの機内食はなんとかならないものでしょうかね。 さて、文句ばかりいうのもなんですから、自己紹介させてください。小山淳平です。25歳で弁護士になって、現在二年目の新米弁護士です。日本の高校を中退して、単身アメリカに来て、そのまま居着いてしまいました。現在はサンフランシスコの三谷法律事務所という事務所で働いています。事務所には日系アメリカ人の三谷ひろし先生、秘書の斎藤千穂さんそれにイソ弁である私の三人が勤めています。イソ弁とはつまりイソウロウ弁護士の略で、先生のクライアントを分けてもらって生活している弁護士です。イソギンチャク弁護士の略だとも言われています。アメリカではイソ弁のことをカッコよくアソシエートと呼びますが、文案屋がコピーライターと呼ばれると何故かカッコよいのと同じようなものです。弁護士といっても現実はそんなに素敵なものではありません。小さな債権回収の話や、離婚、倒産など細かい仕事も少なくありません。働いても働いてもエコノミークラスにしか座れないのです。 それにしても今日の飛行機は揺れます。気流の悪いところがあるのでしょう。私の席の前に座っている若い日本人の女の子二人連れはキャーキャーワーワー、怖いと言いながらも結構楽しんでいる様子。その子達が席を思いっきり倒してくれているので、私は更に窮屈になり楽しくありません。810便は成田を夕方に出て、サンフランシスコには午前中に着きます。旅行者はその日一日遊べるのですから、ラッキーですよね。私は帰ったらすぐに仕事をはじめなくてはならないので、笑ってはいられないのです。 サンフランシスコで日本語と英語をきっちり話せる弁護士はほとんどいません。おかげさまで日本人や日系人の役にすごくたっているはずです。文句を言いながらも、クライアントの顔を思い出すと、またやる気が出てくるものです。 さっきまで怖い怖いといっていた私の前の二人組が静かになったと思ったら、今度は入国審査の書類と格闘しているようでした。アメリカの入国審査は厳しいことで有名ですから二人組も慎重に記入している様子でした。わからないところがあったらしく、二人組はフライトアテンダントを呼びました。ひっつめ髪にしたそばかすだらけの白人女性がのっしのっしとやってきましたが、会話が成立しないらしく、すぐに日本語を話せるという女性アテンダントがやってきました。ちらっと見た感じかっこよくて背の高い日本人女性のようでしたから、痛い腰をちょっと浮かして見てしまいました。かっこいい女性には弱いのです。聞き耳を立てていると、どうもビザの話です。暇なんです、飛行機の中は。目がきりっとしてその上に細い眉がのっているその女性アテンダントは、聞かれた質問に対してちょっと考えているようでした。暇つぶしのチャンスです。そうです、私は移民法も手がける弁護士なのです。二人組に私が簡単に答えてあげると、彼女たちは簡単に納得して簡単なお礼をいってくれました。女性アテンダントはやっと注意を私に払ってくれ、にこっとしてくれました。修行をしていても楽しい事があるのです。胸に日本語が話せますということを示す日本の国旗と「まりこ」という名をローマ字で彫られているバッジをつけた彼女は私の席の方に移動して、お礼を言ってくれました。やっぱりかっこいい人なんですね。反射神経が私の手を胸ポケットに持っていき、すかさず名刺を差し出していました。 「あ、弁護士さんなんですか。へー、サンフランシスコで。今度お世話になるかもしれませんね。」とのコメントに、私は 「何かあったらお電話くださいね」というのが精一杯でした。もっとがんばりなさい反射神経くん。挨拶をかわし、彼女は自分の持ち場へ帰っていきました。また私も退屈な修行に逆戻りです。 軽い朝食のトレイが回収されると、飛行機は下降をはじめました。5月の海がエメラルドを白濁させたような青緑色に見え、いくつもの小さな波に太陽の光があたっては消えていきます。旋回を続ける飛行機は、サンマテオ橋やダウンタウンにおなかを見せながら、ぐんぐんサンフランシスコ郊外に位置する空港に吸い寄せられていきます。サンフランシスコ名物の霧も朝早く引いたようです。小さく見えた人家がみるみる大きくなり、飛行機は海際の滑走路に滑り込みました。 こわばった体をほぐすために少し大股で歩きながら入国審査に進みました。手荷物のみなのでカルーセルで荷物を待つ必要がなく、さっさと人ごみを抜け、そしてジュラルミンの扉を抜け、早々に空港内に入ることができました。様々な人種で構成されている出迎えの人々、その人でごった返している到着ロビーの外にタクシー乗り場があります。窓のない空港から出てきて最初に肺に入れることのできる外の空気です。ドアへ向かって早歩きしながら肩掛けのダッフルバッグを持ち替えていると、ぽんと肩をたたかれました。 「ヘイ、ジュンペイ、出張だったのかい?」 振り向くと、ジムが立っていました。 「やぁ。ちょっとした相続事件でね、日本に行ってた。」 ジムは私よりも大きく190センチくらいある太鼓腹のアイリッシュで、ハイヤーの運転手をしています。海軍にいたころに日本で日本語を覚えたそうで、日本人がサンフランシスコに来るとハイヤー会社はジムを指名します。ハイヤーといってもアメリカではストレッチリムジンという、場合によってはプールまでついた巨大なソーセージみたいな車があり、私も以前ジムに仕事の関係で乗せてもらったことがあります。それで彼は私を知っているのです。 「疲れるね、飛行機は。ジムは忙しいかい。」 と聞くと、ジムは軽く何度も首を縦に振りながらも、入国審査を済ませてジュラルミンの扉から出てくる到着客をしっかり品定めしていました。ジムが両手で「Mr. Fukumoto」と手書きされたプレートを持っているところを見ると、お迎えに参上といったところなのでしょう。 「ぼちぼちだね。でも今日から忙しくなりそうなんだよ。なんでもミスター・フクモトというのはすごく有名な建築家らしくてね。世界中を飛び回っていて、何でも今回はメキシコからシスコ入りらしい。世界各国に拠点を持っていて、シスコにも家は持っているらしいけどスケジュールがぎっしりで自宅では寝れないような感じだな。俺も儲けさせてもらうかな、ははは。」 握手と挨拶でジムと別れた私は、空港の建物を後に陽のあたるタクシー乗り場に向かいました。青空が広がり雲一つないカリフォルニア晴れです。長く厳しい修行から開放された私はついつい口笛など吹いていたのですが、外に出たとたんものすごい重低音とそれに続く「キーン」と鼓膜に振動する音で、建物の中を振り返りました。地震のような揺れでしたが、見える範囲では何も異常は目に入りません。ただ、太陽の光がかろうじて間接照明になってはいるものの、建物の中は電気が切れて薄暗くなっていました。耳がまだセロハンで覆い被されているような状態でしたが、悲鳴や泣き叫ぶ声が徐々に従来の耳の機能を回復させていきます。何らかの人為的な危険物が爆発したのでしょう。テロなのかな、と思いつつジムを探しに建物に駆け込みました。 白い煙が徐々に空港建物に充満してきています。到着客を待つ人の中でも、外に逃げる人もいれば、呆然としている人もいて、中にはパニック状態に陥り、倒れている人を踏みつけながら、走っている人もいました。すかさず持っていたダッフルバッグを口に当て煙りを吸い込まないようにしながら、ジムを探しました。少し前にジムに出くわした到着ロビーの付近では20人ほどの人が倒れていましたが、ジムは呆然と壁に背中をもたれて放心状態になっていました。爆発は入国審査付近で起きたようで、到着ロビーはジュラルミンの扉のおかげで直接の被害はなかったようです。しかし、大量の煙で扉付近はまともに見えません。心臓の鼓動が、警報が鳴るのに合わせて早くなるのが感じられます。建物の造りのせいか、警報が悲鳴よりも響きます。私はたまらず、 「ジム、ジム、早くここを出よう。」 と叫びますが、ジムには聞こえていないようです。駆け寄った私は、ねとっとしたジムの手を引きました。その時、背中に大きくFBI(Federal Bureau of Investigation:連邦捜査局) とプリントしてあるビニールのジャケットを着た一団が、到着ロビーをすり抜けジュラルミンの扉が内側から開いたところを銃やライフルを手に外から入っていきました。一団が入っていった扉の隙間からちらっとみたところでは、荷物を受け取るカルーセルのあたりがひどく燃えていました。重たいジムを、言うことを聞かない子供を引っ張るように建物の外に連れ出しました。ジムは本当に重い。 長いように感じられても実際はほんの数分の出来事だったのでしょう。建物の外に出たとたん、警報とは違う、緊急車両のサイレンの音があちこちから聞こえてきました。牛のように重いジムはまだ放心状態で、私もゼーゼー喉を鳴らしていました。黄色い消防服を着けた消防隊員が、ジムを担架に乗せて運んでいったのは20分ほどたってからだったでしょうか。ジムはある程度気を取り直していて、私に話しかけてくれました。私はジムが運ばれる病院の名前を頭に刻み、後で会いに行く約束をしてから、まだしぶとく商売を続けているタクシーに乗り込み、興奮してアクセントの強い英語でしゃべっている運転手に私の事務所の住所を告げました。タクシーは空港を滑り出し、水色のペンキをこぼしたような空のもとサンフランシスコ市内に入っていきます。 私はパステルカラーの家並みを見ながら車の後部座席の窓を開け、サンフランシスコの空気を楽しんでいました。運転手にラジオをつけてもらい、先ほどの爆発についてのニュースを耳で追っていましたが、株価や政治の話が途切れませんでした。運転手も自分の体験談を口早に話してくれますが、アクセントがきついのでいまいちわかりません。私は適当にうなずいていました。ピラミッド型のビルがそびえるダウンタウンに近づいてきたころ、やっとさっきの爆発についてのニュースが割り込んできました。死傷者は50人を数え、まだ確かな人数は不明であること、原因は何らかの爆発物によることが淡々と報じられていましたが、詳細は不明。耳のほうは徐々にすっきりしてきましたが、事件はすっきりしない様子です。爆発の現場で、私とほぼ同時にFBIが瞬く間に集合していた不思議がふと頭をかすめました。通常、FBIは連邦に関係する事件の捜査に時間を割きますから、地域的な問題に首を突っ込んでいるのにはなにかわけがあるのでしょう。ブレーキでタクシーが止まり、私はチップを加算した料金を払うと、事務所が入っているビルに足を運びました。 三谷法律事務所はダウンタウンの中心街にある古いビルの7階にあります。古いといってもビルは立派なものです。入り口には大理石がちりばめられ、重厚な歴史を見ることができます。見知った入り口の守衛さんと簡単な挨拶を交わします。エレベータの中で髪の毛を整えて事務所に入ると、明らかに心配顔をしていた事務員の千穂さんが安堵の表情になって出迎えてくれました。 私の事務所は入り口から入って左右に大きな本棚があり、カリフォルニア州の判例や条文がびっしり並んでいます。奥行きはあまりありませんが、来客用の会議室、それに三谷先生の部屋と私の部屋、それから千穂さんのいる部屋にわかれています。部屋はアメリカ憲法修正第14条の平等原則にのっとって、ひとつひとつ皆同じ大きさです。三谷先生はきれい好きなので、本棚や机の上も整頓されています。対照的にO型の私の部屋の机の上には本が積み上げられられたり、郵便物や書類がちょうど屋根の瓦のように重なり合って置かれています。私は自分の部屋にたどりつく前に千穂さんにブロックされるかたちになりました。 「空港での爆発騒ぎを聞きました。電話でも一本くれればよかったのに。心配したんですよ。」 「ごめん、ごめん。携帯電話のバッテリーが切れていたしね。早く現場を後にしたかったんだ。三谷先生は?」 「奥にいらっしゃいますよ。」 日本とアメリカにまたがる相続事件で日本に行き4日間ほど留守をしていた私は、留守中の事件の流れを聞きたくて三谷先生の部屋のドアをノックしながら同時に開けました。私が無事だったことがうれしかったらしく、めがねの奥の眼が笑っていました。非常に温厚な学者タイプの先生で、日本語もある程度話せますが、私と話すときにはいつも英語です。仕事の話をするはずが、結局空港での爆発の話になってしまいました。ちょっとするとノックとともに千穂さんが入って来ました。私宛てのたまった郵便物を持ってきてくれたのですが、関心は爆発のことにあったようです。すらっとした彼女は私の話を熱心に聞いてくれました。彼女もジムを知っていたので、びっくりしてから大事がなかったことを聞いてほっとしていました。 自分の部屋に戻り、書類や郵便物、それに伝言メッセージの海をかいくぐり一息ついたところで、ジムの奥さんのリサから電話が入りました。彼女とはまだ話したことがありません。 落ちついた低い中部訛りでした。 「今、病院に駆けつけたところなの。ジムは大丈夫。本当に助けてくれてありがとう。すぐ退院できそうだから。」 病院のロビーの公衆電話か何かからかけているらしく、バックの声や機械の音がうるさいです。 「あまり大したことにならなくてほっとしてるよ。ショックだったろうからそばにいてあげてね。」 「ところで、この病院のER(緊急病棟)にも空港からたくさん被害者が運ばれてきているんだけど、警察が聞き込みをしているみたい。」 「え、もう動いているのかぁ。原因がわかっていないんだね。」 「そうみたい。FBIの捜査官がジムとも話したいって。あんまり気持ちいいものじゃないわね。」 やっぱり、FBIが動いている様子です。なにか重大な事件とかかわりあっているのでしょうね。でも、これはあくまでも私の勘ですからリサには伝えず、 「ジムもあんまり話すことはないだろうね。お客を迎えに来てただけなんだから。何かあったら電話して。」 と言って電話を切りました。ジムに大した問題がなかったことにほっとするとともに、FBIの話が妙に気になりました。FBI、つまり連邦捜査局とはアメリカの中央政府直属の司法省(Department of Justice)に属する行政機関です。ローカルな犯罪の調査は各州や郡それに市の警察が行いますが、2つ以上の州にまたがる犯罪や連邦で制定された法律にかかわる犯罪の調査などはFBIが手がけます。通常、重大な犯罪が多いものです。少しの間、いろいろな可能性を考えていたのですが、そんなことも言っていられません。クライアントとの電話のやり取りが午後のほとんどを占領し、合間を縫って書面を作っていたので、ジムのことも夜になるまで忘れていました。 時差のせいで、眠くなったりかえって目がさえたりしながら夜遅くまで出張で事務所を不在にしていたつけを払っていました。夜になると電話が鳴り止み集中して文献を読んだり文面を練ったりできるのですが、その日は疲れていたので、時計が夜9時を指したことを確認して帰途につこうとダッフルバッグを肩にかけました。電気を消そうとスイッチに手をかけると同時に電話が鳴り始めました。私はうんざりしながらも受話器を取りました。 「三谷法律事務所です。」 「この声はジュンペイだな、ジムだ。」 「大丈夫なんだな。6パック(ビールの6本パック)でも持って会いに行こうか。俺たち二人で6本じゃ足りないかな。」 ジムは笑わずに 「ビールはいいけど、ちょっとどこかで会えないかな。できれば今夜、今から。ちょっとおまえに相談があるんだ。」 「いいよ。どこがいい?」 「病院はまずい。ゲーリー通りにメルズ・レストランがあるだろ、24時間営業だからそこで会えるかな。」 「30分後はどうだい。今、ちょうど事務所を出るところだったんだ。」 「O.K.」 かみ殺したような声で話すジムを深くは詮索せず、とにかく会うことにしました。駐車場で4日間置きっぱなしにしてあった車のバッテリーが正常なのを確かめて、夜の街に出ました。サンフランシスコのダウンタウンの歩道は金属片がまぶしてあるらしく、夜に街灯の光できらきら光ってきれいなのですが、考えながらの運転だったために見過ごしていました。 メルズには20分ほどで着きました。ダウンタウンからはちょっと離れているので、路上駐車は比較的容易です。夜遅いのに、若い男女などでごった返していました。タイルや照明がまぶしい指定の店に、ジムはまだ来ていないようです。60年代の映画を真似たミニ・スカートのウェートレスが席に案内してくれました。4人がけの席も60年代のキャデラックに張ってあるような、すべすべした濃い赤のビニールを使ったおしゃれなお店です。まずコーヒーを注文し、渡されたメニューを勉強していたところ、ジムが声をかけてきました。 「早かったな。」 「もう、コーヒーは頼んじゃったよ。ジムも何か注文しなよ。」 「まあ、それはそうと、まずこの子を紹介させてくれ。」 そう言われて初めて、私はジムに隠れるように立っていた線の細い少年に気がつきました。日本人のようでした。背は低くはないけれども、非常に線が細い男の子でした。ジムは少年の代わりに説明をはじめ、 「この子は今日、俺が空港まで迎えに行ったミスター・フクモトの子供さんだ。シンジだったよな。」 と言いつつ彼の顔を見ました。少年はぺこっと頭を下げたのみで、あまり話したい様子ではありませんでした。 「まあ、席に座れよ。注文してから話そうよ。」 「そうだな。」 ジムはちょっと神経質気味にシンジ君を先に座らせ、その横に収まりました。ちょうど私と向き合ったシンジ君に、私は簡単に自己紹介をしてから飲み物を勧めました。短いスカートのウェートレスの注文取りが一段落したところで、私は話しはじめました。 「ジム、どうしたんだい。もう、入院はしなくてもいいのかい。」 「うん、何も異常はないし、仕事に戻らなくちゃいけないからね。もう出してもらった。ところがさ…。」 「ところが?」 「俺が迎えに行ったミスター・フクモトなんだけど、亡くなったんだ。」 「あの爆発でか?」 「そうだ。ここにいるシンジはなかなか帰ってこないお父さんを心配して、うちのハイヤー会社に電話してきたんだ。」 「それは、シンジ君もたいへんだね。」 私はそう話しかけてみましたが、彼はうつむいたままでした。ちょっとの間を置いて、ジムはかまわずまた話しはじめました。 「今日、病院にいたとき、FBIが事故現場にいた人たちに事情を聞きまわっていたんだよ。」 「君の奥さんから電話で聞いた。」 「そうだったな。それで俺も質問された。その質問された内容でびっくりしたんだが、どうも麻薬関係の話らしいんだな。」 「麻薬関係?」 「うん、ヘロインのことについていろいろ聞き込まれた。」 「おまえは関係ないんだろうな。」 「神に誓ってそれはない。」 「ところが、FBIはこのシンジの父親について、何か疑っているらしいんだ。」 そう言いながら、ジムはシンジ君に目を移しました。シンジ君はまだうつむいています。 「FBIは、運転手をするはずだった俺にいろいろ聞きたい様子だった。」 「おいおい、ここに来ていて大丈夫なのか。」 私は反射的にあたりを見まわしてしまいました。 「うん、うまく運転してきたから、尾行はなかったと思う。それにもう帰宅していいって言われてたからな。ただ、このシンジが心配なんだよ。奴ら、家族関係から何からみんな聞いていったから。もちろん俺は大して知らないけど、シンジも親父がいなかったら一人ぼっちだし、これから先、麻薬関係の聞き込みなんかがあったら弁護士が要るだろ。だから連れてきたんだ。」 「ひとりぼっちって…、お母さんは?」 この質問に対してはシンジ君がはじめて反応しました。つぶやくような日本語で彼は、 「母は死んだんです。二年前に病気で。」 「君は今いくつなの?」 「16歳です。」 シンジ君の声はか細く、弱い。どちらかというと色白の腕がテーブルの上のライトに照らされ、頼りなく見えます。服装を見ると高級そうなものを着ていますし、ちょっと神経質なところがある感じが育ちの良さ、お金のある家庭に育ったという印象を与えます。ぎゅっと結んだ唇をかたどる生気のない顔を見る限り、疲れているようです。それでも、やっと口を開いてくれた彼に、私はチャンスを逃すまいと質問を続けました。 「今はどこに住んでいるの?」 「父と二人でシークリフ(サンフランシスコの高級住宅地)に住んでいます…いました。」 ちょっとした間があいたところでジムが私を見て、 「ジュンペイ、FBIの感じだとシンジもちょっと深刻な問題に巻き込まれるかもしれない。なんとか、これからこの子を守ってやってくれないか。俺も大してこの子には関係ないけれど、一人ぼっちじゃかわいそうだしな。この子はまだあまり英語も話せないみたいだし。」 「うん。ただ、今現在は何も打つ手はないよな。別にシンジ君のお父さんが犯罪に巻き込まれていたという内容の捜査が行われているわけじゃないし。」 私はちょっと考えていましたが、シンジ君に、 「何かできることがあれば相談にのるから、いつでも不安になったら電話をしてね。」 そういって名刺を渡しました。シンジ君も自分の住所と名前、それに電話番号を教えてくれました。福本真治と書くそうです。メモを渡す手が震えていました。 「真治君、とにかく警察から電話があっても何も話したらだめだよ。FBIが絡んでいるからね。重要な犯罪を捜査しているはず。だから、警察が連絡してきたり、直接家にやって来たりしたら、必ず僕に電話するんだよ。」 「はい。でも…、あの、お金とかどうすれば…。」 「お金って、弁護士の費用かい?」 「そうです…。」 「別にまだ実際の事件になったわけじゃないから心配しなくていいよ。今はお父さんに不幸があって大変なんだから、がんばるんだよ。お金のことは後で話せばいいよ。」 ウェートレスがジムと真治君に飲み物を持ってきました。ジムは安心したのか、アイスティーを一気に飲み干しました。対照的に真治君は自分のコーラにはまったく口をつけません。しばらく私たちと話をしているうちにちょっとはほっとした表情になった真治君は、ジムと一緒に帰って行きました。私もちょっと冷めたコーヒーを飲み干すと、帰宅しました。夜のサンフランシスコは冷えますが空気が東京と違ってすがすがしいです。私は窓を全開にして肌を刺す空気を楽しんでいました。コーヒーを飲んだのでちょっと目がさえてしまいました。 Comments are closed.
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