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​MSLG ブログ

【小説シリーズ】陪審喚問の時(The Grand Jury)

4/15/2019

 
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第12回目です。

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第12章 第2回公判 (Pretrial Conference)
 
昨日は夜までマックブライドと駆け引きをしていたので、まだ疲れが完全には取れていない気がします。今日は真治君の事件でない事件で法廷が予定されており、午前中はサンフランシスコの上級裁判所で過ごすこととなりました。私は公選弁護を頼まれ、無報酬で賃借人を代理しているのです。賃貸借にからんだ立ち退きの事件においては、他の事件、つまりカニングハムが代理して起こしてきている民事事件などと違い、審理は早ければ訴状が提出されてから20日ほどで陪審裁判まで持ち込まれます。法廷弁護人としては、スピードが要求されるだけではなく、機転が利くことも非常に重要視されます。特に、若い弁護士は正義感に燃え、不当な立ち退き裁判には時間を費やしているようです。また、陪審裁判を経験する上でも非常によい機会だといえるでしょう。今回私が立っている法廷では、証拠調べも過去1週間ほどで終わり、相手方の弁護士と和解ができなかったため、陪審裁判がまもなく始まろうとしているのです。私の横に立っているのは、今年弁護士の試験を受ける法学生で、現在学生をしながら公選弁護人事務所で研修している弁護士のたまごです。私よりもちょっと背の低いイタリア人系の彼は、陪審裁判ははじめてということでカチカチに緊張していました。
法廷では50人以上の様々な洋服を着た人たちが傍聴席で少々不満そうな顔をして座っていました。いわゆる陪審員選びというやつです。まず、アトランダムに12人の陪審員と補欠の一人を裁判所の方で選ぶわけです。その計13人の陪審員に、原告・被告代理人がいろいろな質問をあびせ、事件に関係がないか、当事者に関係がないか、一定の偏見がないか、吟味していきます。私は、チューターとして弁護士のたまご君に助言をしつつ、相手方である大家側の弁護士と闘いながらもできるだけこちらに有利と思われる陪審員を選びました。何人か、問題のある陪審員を傍聴席に座っている陪審員候補の人たちと差し替えて1時休憩に入りました。残された候補者たちは裁判所から解放されて、意味もない3時間ほどの拘束に不満を隠せない表情を残しつつ去っていきました。この休憩が相手方である大家の弁護士との最後の和解交渉が持てるチャンスです。結果のわからない陪審裁判では弁護士であれば誰でも不安はあるものです。裁判官も和解を勧めますが、我々のクライアントは不法な立ち退き請求であるということを一歩も譲りませんでした。結果、立ち退く意思は全くなく、大家側の要求に真っ向から対立していました。和解は成り立ちませんでした。
休憩で一息ついて、法廷で証人喚問をはじめ、相手方の証人を反対尋問にさらしていきます。弁護士のたまご君は、だんだん法廷になじんできたようで、私が際どい質問で相手に突っ込んだり、タイムリーな異議申立てをするタイミングを飲みこんできました。この事件は、黒人で体の不自由な女性がこれまた体の不自由な子供を育てていたのですが、政府から送られてくる生活扶助の小切手の入金が遅れ、たった一度の入金の遅れにより、立ち退き裁判を提訴されたものでした。大家側は早く立ち退きをさせて、一刻も早く収入の良いビルに建て替えたいのです。アメリカは経済成長が非常に活発で、日本のバブル期のように、不当な立ち退き請求が後を絶ちません。ところが、不当な請求の被害者となるのは不幸にも私選弁護人を雇えない貧しい人たちなのです。
最後のクロージング・ステートメント(結審に際しての弁護士の最終陳述)は私が行い、感情も交え、片親でこのような苦労をして子供を育て上げている、勇気ある母親の姿を陪審員に印象付けました。弁護士のたまご君には席に座っていてもらって、私は熱をこめて最後にこう言いました。
「陪審員の皆さん、人が一人で生きていくことはたいへんなことです。まして自分に障害があるだけでなく、自分の子供にも障害がある…。原告はこのような困難を乗り越えて生きてきたのです。立ち退き請求を受けて、怖くなったり、どうしてよいかわからずに、そのまま立ち退いてしまう人々も沢山います。この事件で原告は、子供を守るため、そして自分の生活を守るため、この陪審裁判まで耐えてきたのです。皆さん、この勇気を見てください。そして、もし皆さんがこのような不幸な状況に陥った場合、勇気を持って闘えますか。」
 私は、陪審員一人一人の目を見ながら席に着きました。
「勇気…、」そうです、心に燃える勇気がなければ闘うことができないのです。私は自分に言い聞かせるように、そして一緒に弁護している新米弁護士君に諭すように、そして陪審員に語り掛けるように弁論したつもりです。短い裁判で、40分ほどで実質的審理は結審し、陪審員の評決に任されました。待っている合間を縫って明日の真治君の第2回公判の準備をします。陪審員がどのような結果にするのか悩んでいる間、私は更に昨日マックブライドに渡した写真の焼き増しを頼んでおきました。賊を恐れて車の灰皿に隠しておいたネガですが、今日はしっかり背広の内ポケットに入れておきました。
しばらくすると、シェリフが陪審員が評決に達したと呼びにき来ました。弁護人席に着くと、私について勉強していた弁護士のたまご君が私の最終弁論についてこと細かく整理していました。原告の黒人女性は私たち弁護人に話し掛ける余裕もなく、緊張して並んで座っていました。
弁護士のたまご君が私の顔を見てぽつりと言いました。
「小山弁護士、勇気ですか。」
「そうなんだ、勇気がなくちゃね。僕も、今、若い男の子からその勇気を習っているところなんだ。」
「小山弁護士が習ってるって?」
「あははは、これからいろいろな事件で色々な人に会うよ。」
「はぁ。」
「公選弁護人の仕事、がんばってね。」
「はぁ。」
ちょっとの間、法廷はざわざわしていましたが、裁判官の入廷とともに静寂が我々を包みます。裁判官を含めて全員が着席したところで、陪審員の長が評決を読み上げます。私のクライアントの全面勝訴でした。このまま、今のアパートに住みつづけることができるのです。
私は目に涙を浮かべている黒人の女性と弁護士のたまご君と抱擁しました。相手方の弁護士が私にあわてて駆け寄ってきて妥協案を提示しますが、
「いまさら何いってるんだ!」
一喝しました。相手の弁護士とその依頼人である大家は、私の言葉を受けて立ちすくんでいました。
「ふざけるな、金の亡者どもが…。」
私はつぶやきました。とにかく一件落着です。
 
午前中の事件がうまく解決して事務所に帰ると、千穂さんが待ち受けていました。
「おはよう、どうしたんだい険しい顔をして。」
「カニングハム弁護士がオーダー・ショートニング・タイム(Order Shortening Time:証拠の提出期限を繰り上げるための命令書)を取ろうとしているみたいです。」と言いながら、裁判所に提出するために作られたと見うけられる紙の束を私に渡してくれました。
「あ、本当だ、20日の書類提出命令の期限じゃ長すぎるんだな、彼には。今週中に書類を提出させるっていう命令書を発行してもらいたいみたいだね。一体どうなってるんだ、やつは。大きな事務所がこんなに動きがいいのをみたことがないよ、本当に。バトルになるねこりゃ。忙しくさせてくれて、ほんとうにもう。審理は明日か…。」
オーダーショートニング・タイムという申立ては法律で定められている文書提出期間である20日間を短くさせるための手続きで、通常、生命や身体に危害が加わるなどの特殊な場合にのみ適用されます。
時間がないので、わき目もふらずにリプライ・ブリーフ(Reply Brief:申立てに対する反論のための書面)を作成しました。午後予定されていた数件のクライアントミーティングは三谷先生に任せたり、後日に変えてもらったりしました。私は、まず正当な請求理由がないこと、緊急を要する事件ではないことを軸に反対申立書の文章を作り上げました。集中すればこの程度の文書であれば1時間半程度で書き上げることができます。それでもカニングハムの事務所なんかでは、何時間分もチャージされ、1000ドル、2000ドルなんてあたりまえなんでしょうね。出来上がるとすぐに千穂さんに渡して裁判所に届けてもらいました。その後、午後のミーティングをキャンセルしてしまったので時間に余裕が出ました。現像された写真を取りに行きました。昨日マックブライドに渡したのと同じ顔がばっちりプリントされていました。じっと見つめてみますが心当たりはまったくありません。ただ、みすみすチャーハンを食べ損ねたあの夜の暴漢の目と同じような気がします。
いつまでもかわいくもない顔を見つめていても仕方がないので、今度は明日の刑事公判の準備に取りかかりました。少々思考モードに入っていましたが、裁判官を説得する理由の一番大きなものとして、やはり真治君はまったく事件には関係ないことを主張するべきだと考えました。その上で、警察の調書にも記載されていたものの実体のはっきりしない、発見された麻薬の背後に存在する南米の麻薬密売組織、その全体を明らかにすることが、FBIと検察の役目であることを強調することにしました。また、この組織を解明することが真治君の無罪を明らかにするカギであると謳いました。考えをメモに練り上げ、判例をひいて準備は整いました。もうひとつ念頭に置いておかなくてはならないのは、FBIや検察側の主張の中にはまったく背後組織についての具体的な記述がされていないことです。これはいろんな意味に解釈されますね。特に昨日はお宝写真をマックブライドに渡したのですから。明日の段階で、背後組織について全くわからないというのでは、FBIはまじめに捜査をしていないか、または弁護側にオープンにできないなんらかの状況があるのかでしょう。どちらにしても、FBIは何らかの目的をもって明日の公判にのぞんでくるでしょうから、こちら側としてはとにかく、背後組織についての情報の開示を強く求めるという作戦しかありません。明日の午前中は真治君の刑事公判、午後には民事事件のカニングハムからの申立てを受けて立たなくてはならないので、今日は千穂さんもたくさんのコピーを取ったり、ファイルをまとめたりたいへんそうです。残業になってしまい、もう7時を過ぎてしまいました。いい加減お腹がすいたので、前にもご紹介したダウンタウンから近い、ノースビーチ(イタリア人街)にあるノースービーチ・ピザという店から、ピザを取りました。これがまたうまい。アメリカのチーズには顔をしかめる日本人が多いですが、ここのチーズは本当においしいです。アンチョビとにんにくを載せてお試しあれ。千穂さんはにんにくはちょっと、といいながらも結構食べていました。アメリカ人はイタリア人が創作したと思っていて、イタリア人はアメリカ人が作ったと思っているピザにはダイエット・コークが合います。少なくともアメリカで食べている限りは。脂っこいピザを食べながら、ダイエット・コークというのもちょっと矛盾ですがね。静まり返ったオフィスで手早く食事を済ますと、残った書面を書き上げていきます。窓の外は隣のビルのオフィスがいくつも見えますが、ほとんどの部屋は人影がなく少々寂しいですが、なぜか電気はつけっぱなしのところが多いのです。私は机に向き直り、ピザのボックスをどけて、山積みされて雪崩がおきそうな書面や本をいったん整理しました。体を動かして眠気を覚ますと、ラストスパートです。
真治君の刑事事件に関する起訴取下げの申立ての審理は来週に設定されているので、今回の第2回目の公判は検事と弁護側で腹の探り合いとなることでしょう。どのカードを出して、どれを温存しておくか、これは弁護士の「勘」に頼るしかありません。だらだらやっているといくら時間があっても足りません。適当にきりあげることにしました。
後片付けをしながら、もう一度、明日の予習を頭の中でしていました。刑事公判はともかく、午後に設定されている文書提出命令の期限を短くしようとしているカニングハムの動機がさっぱりつかめません。先日昼ご飯を食べているときには紳士面していましたが、なにか考えるところがあるのでしょうね。とにかく考えられる理由をすべて考えて全力であたるしかないな、などと考えていました。夜も遅くなって、千穂さんもあくびが多くなってきました。明日私が法廷へ行くために不在になっている間の事件の処理などについて千穂さんに指示をして、二人で街に出ました。
「先生、真治君はどうなっちゃうんでしょうかね。まだあんなに若いのにいろいろな目に遭って、ちょっとかわいそうです。」
千穂さんが歩きながら言いました。
「そうだね、でも僕が事件に噛みだした頃に比べて、あの子はすごく強くなってきたよ。試練をくぐり抜けるということが彼にとってプラスになっているような気がするね。」
「そういうものですかね。」
「そういうものだよ。」
「でも、先生みたいな野生人とは違って、おぼっちゃまだから心配なんです。」
「野生人!? ってなんだい。」
「あの、ユナイテッドのスチュワーデスさんがそう言っていました。先生は野生人だって…。」
「あ、そうですか。」
ちょっと不機嫌になりますね。こういう発言は。
「真治君のお父さんは有名な建築家だからニュースになっちゃうのですよね。」
「親が何であろうと、真治君とは別の人間さ。真治君は個人として起訴されて、個人で闘っているのさ。」
「そうですよね、刑事事件じゃ親が何であろうと関係ないですもんね。」
二人は駐車場に着いて、私の車に乗り込みました。千穂さんの家はダウンタウンからそんなに遠くないので、遅くなると私が家まで車で送るのが習慣となっているのです。車は夜の街に滑り出しました。
「ご主人は元気?」
「もちろんです。私は面倒見の良い妻ですから。」
「遅くなっちゃって申し訳ないね。」
「電話で言ってありますから大丈夫ですよ。それより、あのフライトアテンダントの人、なんて言いましたっけ…。」
「真理子さん?」
「そうそう。先生に今日も電話ありましたよ。先生も、もういい加減、独身貴族を卒業したら?」
「あははは、あんなにきれいな女性が振り向いてくれるといいんだけどな。こんな仕事をしていたら、くどく時間もないわさ。」
「でも、あの方はきれいですよ。」
「そうだよな。きれいだよな。というよりかっこいい。」
そんなこんなうちに、千穂さんが旦那さんと住んでいるアパートに着きました。千穂さんにお休みなさいを言って、遅くまでありがとうとお礼を言い、自宅に向かいます。明日の朝は刑事事件、午後は民事事件の申立て、まるで「福本の日」とでも命名したくなりますね。
私が家に戻ると真治君はもう就寝していました。明日は早起きなので、私もビールを2、3本飲みながら雑誌や新聞に目を通します。未だに新聞も一面の見出しでサンフランシスコ空港での爆破の真犯人の追跡を長々と書いています。まあ、日本の昼間からやっているゴシップ・ショーよりはプライバシーの意味をわかっているようで、憶測や明らかに興味本位の記事というわけではありませんでした。軽く目を通して、事件に影響するような事柄は見うけられないので、早々に熱いシャワーを浴びて床に就きます。なんとなく、スチュワーデスの真理子さんのことを思い出してしまいました。身を固めるのも悪くないかしらん。体は疲れているようで、ビールの酔いに包まれてすぐに寝てしまいました。
 
真治君にとって大事な水曜日の、私の寝起きは爽快でした。寝室を出ると真治君も起きていました。
「おはようさん。」
「あ、おはようございます。昨日は遅かったんですね。」
「今日の福本デーに備えるためにね。」
私は笑ってみせました。
「え、福本デー?」
「今日1日は真治君のために働きますっ。」
「先生お願いします。あ、もう行かなくちゃですね。」
真治君は壁にかかっている時計に目をやります。
「用意は整っているのかい。」
「ぼくは大丈夫です。先生、パンでも食べなきゃ。」
「了解了解。」
軽くパンと牛乳で朝ご飯を済ませながら真治君と打ち合わせをしました。昨日作った、裁判所に提出する書面の内容を噛み砕いて、真治君に説明します。
「真治君、民事事件でも君のお父さんの行動が焦点になってきている。刑事事件で君を無実にするというバランスも考えなくちゃいけないし、同時に民事事件でも君のお父さんの行動がまったく爆発に関係ないことを証明しなくてはいけない。」
「それはわかります。」
「でも、ぼくが感じるのは刑事事件も民事事件も背後で同じ組織が君や君のお父さんを落とし入れようとしているということだ。」
「麻薬がらみの…。」
「そうだね。FBIも君を逮捕してその後手詰まりなように、まったく姿が明らかにされていないんだな、背後にいる人物か団体の。」
「一体なぜ、私の父だったのでしょう。」
「それを明らかにしていくのが僕たちの役目さ。今日はね、プリ・トライアル・コンフェレンス(Pre Trial Conference)といって法廷内で話し合いは行われないんだ。」
「でも、第2回公判なんですよね。」
「そうなんだけど、判事のチャンバー(Chanber:判事の控え室)という法廷の裏にある控え室…そういえば、真治君も一回来たことがあるだろ…最初に逮捕されたときに。」
「あ、あの会議室みたいなところですね。」
「そうそう、あそこで検事と判事、それに弁護士で話し合うんだ。被告人である君は入れない。」
「それじゃ、僕が行ってどうなるんですか。」
「じっと座って、待っていることくらいかな。」
「どういう結果になるかすぐにはわからないんですね。」
「行ってからのお楽しみだな。学校には休むって言ってあるの?」
「あ、そうだ。一応保護者から電話しておかないといけないんです。」
「え、じゃあ、僕が電話かけるのね。」
「そういうことです。」
「奥さんもいないのに保護者か、あははは。」
私はちっと苦笑いをしました。
寝巻きから、ダークブルーのスーツに着替えました。気が引き締まります。真治君に言われた電話をかけて、それから二人で家を出ました。肌寒い感じがします。真治君は緊張している様子ですが、怖さから来る緊張とはちょっと違うように見えます。
真治君と私は、車中、口を殆どききませんでした。私は私なりの事件の方向性を頭で思い浮かべていました。法廷に立つ時には、一手先のことを考えることが、大事なのです。ところが、真治君の事件に関しては五里霧中です。ため息ばかりをついてしまいますが、真治君の前ではできるだけネガティブな態度は避けます。
20分ほどで車は市庁舎(City Hall)やオペラ・ハウス(Opera House)など大きな建物が密集するエリアに到着しました。芝生が広がる広場の地下にある駐車場にトランスミッションがソプラノの音を出している愛車を突っ込み、ネクタイを直し、真治君と法廷に向かいます。ちょうど連邦地裁があるあたりは、古くから建っている市庁舎や新しくできた図書館、それに郡の裁判所などが堂々と建っているのです。また、建物に囲まれるように大きな芝生の映える公園があり、ホームレスもいますが、人々の憩いの場所となっています。 地下駐車場からでてくると芝生が目を捉え心を和ませてくれます。朝っぱらから、日本人の観光客がバスで乗りつけ、市庁舎をバックに写真を撮っています。平和でいいな。芝生を横切り法廷に向かいます。真治君は無言のままです。
 裁判所のガランとした入り口の脇で例のようにカレンダーをチェックして、今日は第39号法廷に向かいます。3階までエレベータで登り、第39号を探します。重厚な木の二枚扉の右側を押し開き法廷に入ります。まだ、審理が始まっておらず、様々な人種の人たちが不安そうな顔をしながら、入り乱れています。ちょっと熱気で暑く感じます。日本の刑事法廷では被告人が一人づつ法廷に呼ばれるのですが、アメリカでは、保釈されている被告人も勾留されている被告人も十羽一絡げに法廷にひきずりだされます。私もチェックインを廷吏と済ませ、真治君を傍聴席に座らせ、自分は弁護人が座る席に腰を下ろします。座りながら、今一度まとめてあった事件の内容、それに主張のポイントに目を通します。窓も無く、照明はあまり明るくないので顔をしかめます。しばらくすると検事が重そうな書類の束を抱えて入廷してきました。あの電話で話したマラック検事です。アメリカでは「担当検事」というものは存在せず、事件を一貫して担当する検事はまずいません。まず、アレインメント(Arraignment)、つまり第1回公判を担当する検事、プリトライアル(Pre Trial)を担当する検事、それに陪審裁判を担当検事などに分担されています。今回真治君の公判に当たったのは前回と同じマラック検事でした。たまにはこういうこともあるのです。
私は席を立って私が出廷していることをマラック検事に告げに行きました。笑顔なしの握手を交わし、前回電話で話した弁護士の小山であると述べました。わかっているよという感じで、少々私にうんざりしている様子でした。あまり目を合わせてきません。
私は、それでもマラックの気を引くように少々大声で
「あれから、考えていただきましたか、私のクライアントの起訴取下げ処分…。」
とゆっくりと手を検事席のテーブルの上にに載せながら話しかけます。
マラックは関心がないというそぶりをしながら、
「えっと、フクモト事件でしたよね。」
と答えます。
傍聴席は、シェリフが私語を慎むようにという一喝で静まりかえっています。私は少々トーンを落とし、 
「そうです。」
とマラックに笑いかけます。
「この間あなたとお話した夜に、マックブライド捜査官と話しました。」
書類も見ずに即答するのですから、マラックにしてもこの事件に気を払っているのですね。
「私、その横にいましたからよく知っています。」
 「あ、あの時いらっしゃったのですね。」
「そうです。いらっしゃったもなにも、あのマックブライドさんがわざわざ私の家まで来てくれたんですよ。」
「えっと、あの事件では…確か。」
マラックはフクモト事件のファイルを探そうと懸命になっています。ちょとわざとらしい。私は突っ込みます。
「起訴事実が変更されているはずですよね。」
私は声を押し殺して、マラックの顔を見つめました。マラックは私の視線を回避しながらたくさんあるファイルの中から真治君のファイルを見つけました。マラック検事は独り言を言いながらファイルを見ていました。次に私の目を見ると
「そうですね、確かに変更されています。麻薬の単純な所持になっていますね。今日は司法取引されるのですか。悪い話じゃないと思います。罰金とコミュニティーサービス(一定の奉仕活動)で終わらせられますからね。」
マラックは私の目を再度見るなり、もう終わりにしましょうという表情をしています。
「いや、判事とあなたともう少し話を続けたいと思っています。」
私は傍聴席の方に目を向けました。真治君が心配そうに私を見ています。そのとき、真治君から離れたところにマックブライドが無表情で座っているのが目に入りました。わざわざ傍聴に来ているのかな、他の事件かなと思いましたが、正直言って第一線の捜査官が法廷に出ていることに驚きました。
「それでは後ほど。」
私は軽くお礼を言うと、マックブライドが座っているところに行きました。マラックは鼻をならしています。静まり返った傍聴席に私は歩を進めます。マックブライドの座っている列で立ち止まりマックブライドと目を合わせます。
「これはこれは捜査官、今日は一体どのような風の吹き回しで法廷に?」
「フクモト事件の成り行きが気になったものですからね。小山弁護士にも会いたかったし。」
「それは光栄です。外で話をしましょうか。」
真治君にはそのまま待っているようにと目で合図をし、まだ開廷までは時間があったので、マックブライドと法廷の外に出ました。第39号法廷の重い扉をマックブライドが両手で開けて、私は彼についていきます。廊下には大きな窓がいくつもあり、朝の日差しを楽しめました。無機質なリノリウムの敷き詰められた廊下を人がいない方へマックブライドは歩いていきます。
マックブライドは立ち止まり、手すりに両手をおきながら外の景色を目を細めながら見ていました。先ほど私が車を停めた地下駐車場の上にある公園の芝生が浮き上がるような緑をしています。私もマックブライドと同じ景色に心を奪われました。公園で小さな子供が遊んでいます。
私の顔を見ずにマックブライドがつぶやきました。
「弁護士さん、私は法廷が苦手でね。なんか息苦しくなっちゃうんです。」
私も公園で遊んでいる子供を目で追いながら、
「わたしも駆け出しの頃は同じ思いをしましたが、刑事さんの場合だとまた違う心持になるのでしょうね。」
と返しました。
「私は、FBIに勤めだしてからもう20年にもなります。その間にいろいろな事件にかかわってきました。」
マックブライドの静かな声が廊下に響きます。
「そうでしょうね。」
「サンフランシスコでもゾディアック連続殺人事件…未だ解決していませんが…一線で捜査にあたっていました。」
「そうでしたか。」
「サンフランシスコに常駐するようになって…、弁護士さん…、私はこの街がすごく好きになりました。」
「きれいな街ですよね。私もいろいろなところに行きましたが、サンフランシスコは落ち着けます。」
「私は出身がイースト(東海岸)でね。」
「サンフランシスコは雪がないですね。」
「そう…、雪がない。」
「そして、サンフランシスコには紅葉がないですね…捜査官。」
「ボストンの秋が私は好きだ。」
「きれいでしょうね。」
「小山弁護士は東海岸に行ったことがありますか。」
「残念ながら…秋は…ありません。」
「秋がいいんですよ。」
「ちょうど博士号を取ろうとロースクールに申し込んだとき、ボストンの大学院にアクセプト(受け入れ)されまして、行ったのは夏でした。」
「そうですか。」
「ところがちょうど、奨学金をもらえて…やっぱりサンフランシスコにいて、この街に腰を据えようかと思って。」
「正解かもしれないですね。私はこの街を見るとほっとするんです。」
「同感です…捜査官…。」
マックブライドは私の顔を見ながら語りかけます。
「でもね、弁護士さん最近の麻薬の蔓延はこの街も他のアメリカの大都市と変わりなく進行している。ドラッグはどのように捜査を進めていっても、どんなに捜査官が優秀でも食い止めることができないのですよ。」
私はしばし沈黙しました。
私が手がけた事件でも、本当に若い子供達が、麻薬に体を任せているのです。コンサート会場で13歳の女の子が売人となりロケットと呼ばれる麻薬を売買している事例、中学校や高校で蔓延しているマッシュルームと呼ばれている幻覚剤…。このようなきれいな街でも麻薬に快楽を求める人たちが後を断ちません。私は手すりをなぞりながらつぶやきました。
「社会問題ですよね、アメリカの…。」
「アメリカは裕福な国です。外国人がこのマーケットを狙ってどんどん麻薬を輸入してくるのです。どんな手を使ってもね。」
「…。」
マックブライドは振り向きながら私の顔をまじまじと見ました。
「弁護士さん、コロンビア・シンジケートをご存知ですか。」
「もちろん知っています。確か、2、3年前にシンジケートのボスはコロンビアで逮捕されましたよね。もちろんアメリカがすべての後押しをしたけれども。」
「麻薬組織はトカゲよりもたちが悪い。トカゲは尻尾を切ってもまた生えてきますが、頭をきれば息絶えます。ところが、麻薬組織は末端の売人や運び屋を捕まえてもなんの事はありませんが、頭を捕まえてもまた新しい頭が現れ組織が生き延びていくのです。」
「わかります。」
「小山弁護士はコロンビア・シンジケートのコロンビーニ一家をご存知ですか。」
「知っています。コロンビアのシンジケートの中でも一番勢力が強いといわれている組織ですよね。何年か前にアメリカがスティング・オペレーション(集中捜査)を敢行し…さっき私が言ったボスを逮捕したことにより…壊滅したといわれていますが、いまだに活動をしているはずですよね。私も以前、刑事弁護をしていてかかわったことがあります。」
「アメリカのスティング・オペレーションが成功したかのように見えても組織が実際に活動が続けられたのは組織の幹部が世界中に広がっていることと、組織を守るためにはどのような手段も選ばないことがあったためだと考えられています。」
「まさか…コロンビーニがかかわっているとか…この真治君の事件で…。」
「そのようです。」
私は驚きを隠すことで精一杯でした。コロンビーニ一家は南米で育てたケシをアメリカまであらゆる手段を使い密輸していたことで悪名高い組織です。そもそも南米のヘロインと言えば、色が褐色を帯びていることからわかるように、アジアのタイ・チェンマイ奥地にあるゴールデン・トライアングルから運ばれている純白の品よりも質が低いとされてきました。取引価格も安い。アメリカ国内でも、一段低く見られていました。ところがコロンビーニ一家は南米の麻薬の定義を書き換えました。精製技術を向上させ、密輸ルートを確立し、アメリカ国内に流通するヘロインやコカインの大部分を仕切るようになりました。もっとも、そのルート確立にはアジアから流入するルートを持つマフィアとの抗争で、当初考えられていたより長い時間を費やしました。費やした時間は無駄ではありませんでした。主従関係や取引関係が血の海を越えて確立したのです。ただ、尊敬などという高尚なレヴェルでの関係ではありませんでした。服従もしくは死、秘密漏洩イコール死という関係だったのです。アメリカのDEA(Drug Enforcement Agency)やFBI、それにCIA(Central Interigence Agency)はコロンビーニ一家の撲滅に市民の血税をよどみなくつぎ込みました。各アメリカ政府組織はアメリカの際限無い国境を監視するだけではなく、積極的にコロンビアに進出し、ステルスなどの最新技術を投入し、撲滅に成功したと自負していたのです。元CIA長官だった共和党のブッシュ大統領の持っていた念願が時遅くしてかなった形になりました。コロンビーニは撲滅したとクリントン大統領が赤い顔を上気させ演説していたのはほんの3年前のことです…。
考えを巡らせていた私は言葉を選べずに、おざなりな生返事しかできませんでした。
「ま、まさか。」
「証拠を残さないことで有名な組織ですが、あなたを尾行したときに写真を撮られてしまった。」
「わたし、撮っちゃいましたね。」
苦笑いすること以外思いつきませんでした。
「まだ、はっきりコロンビーニの仕事だとはわかっていませんが、あの男、リック・ギャリソンといってコロンビア組織の麻薬売買の運び屋だったことがあるのです。現在、定職にはついていませんから、どうやってターボのついているポルシェに乗ったり、玄関から母屋が見えないような家に住んだりできるのか、非常に興味があるところです。」
「ギャリソンの取調べはされたのですか。」
マックブライドは自分の靴を見ながら、
「我々が自宅に踏み込んだときにはもうすべて処分して、いませんでした。面が割れたからでしょうね。」
と苦々しそうに言葉を吐き出しました。
「となると、誰かが後で糸を引いている…。」
マックブライドはまた窓から外の景色に目を移しました。
「弁護士さん、このことは黙っていてください。そして、なにかあればご協力をお願いいたします。」
「真治君の起訴を取りやめる方向で動いてくれれば考えますがね。」
「…。」
「あなたはなんでそんなに全力で弁護を…?」
時計を見るともう開廷です。私はマックブライトの最後の問いには答えず踵を返して法廷に戻ります。法廷内は開廷前の緊張がみなぎっていました。
「オール・ライズ(全員起立)」と法廷内いっぱいに響く廷吏の掛け声とともに、傍聴席に座っている人たちや弁護士が起立しました。裁判官専用の入り口から大きなひげを生やした裁判官が法服をまとって入廷しました。きこりのような風体で、相当太っていました。それでも、その目は鋭いです。
「プリ・トライアルのために出廷した弁護人は控え室に入るように。」 ものすごく重低音のバスの声で裁判官は告げました。4人ばかり弁護士が起立して法廷の裏口に入っていきます。私もその群れについていきました。
「その他の出廷者は待つように。」 
まだ、弁護士がついていない被告人や審理の進行を良く把握していない出廷者はため息を漏らしていました。刑事法廷ではまず弁護士がついている事件について裁判官が審理します。早くから来ている被告人や関係者は、どんなに早くチェックインしても待たされることになるのです。そのことを知らないで時間通りに来ると拍子抜けしてしまうようです。
私が裁判官のチャンバー(控え室)に入るとまさに真治君の保釈請求と同じような会議室で司法取引がはじめられました。裁判官はそれぞれにプリトライアルのスタイルがあります。検事と裁判官が座っている部屋にひとりひとり弁護人を呼ぶ裁判官もいますし、すべての弁護人をひとつの部屋に入れて検事と裁判官と会議するスタイルもあります。この白髪混じりのウィットニー裁判官は後者のスタイルを使っているようです。すべての弁護人が会議室にそれぞれの席を見つけて着席しました。無駄話をしあっている弁護士もいます。このスタイルでプリ・トライアルをする場合、非常に弁護人にとって有利になります。司法取引をする際に、他の弁護士がいるわけですから、検事も裁判官もあまりむちゃくちゃなことは言ってきません。他の事件の様子も見ることができるのです。
ウィットニー裁判官はケースのリストの順番に事件を審理していきます。
白熱した議論が展開されました。他の弁護士が仕事をしているのを見るのも勉強になりますし、またいろいろなヒントを得ることもできます。また裁判官や検事の癖も窺い知ることができます。なんとなくわかったのは、この裁判官は刑事弁護士出身の判事だということです。検察出身の判事は時にはきつい条件を出してきたりしますが、弁護士出身の判事は一般に弁護士にあまいのです。
私の番になったようです。
判事は私の顔を見ました。
「弁護士の小山です。フクモト事件を担当しています。」 
「小山弁護士には以前お会いしたことがありますね。」
「え…、」
私は狐につままれたようになりました。判事は続けます。
「君が学生だった頃、私が模擬裁判の判事をやっていたのだよ。それで覚えている。」
そういえば、学生時代の弁論大会のときの教官と同じ名前です。
「あ、ひげですね。あのときにはひげがなかったですよね。それにあの時はすごく緊張していたし…ごめんなさい。」
「いいんだよ、やっぱり法廷弁護活動をしていたんだね。君はとにかくガッツがあった、それで印象に残っていたよ。」
マラック検事が口を挟み、
「判事、続けましょう。」
と事務的に言います。
「うむ、それでは検察官事件の概要を…。」
「起訴事実が昨日変更されました。麻薬所持の罪で現在起訴されています。被告人は自宅に麻薬を隠してFBIに見つかった。FBIの報告ではシンジケートにつながっている危険性もあり厳重な処罰をすることが望ましいと考えられます。」
ウィットニー裁判官は、警察の調書や検察局の調書をじっくり読みながら聞いています。しばしの沈黙が生まれました。
「弁護人の意見は。」 
ウィットニー裁判官が髭づらの顔の中から鳶色の瞳で私の顔に合図を送ります。
「被告人の福本真治はまったく麻薬に関係がありません。そもそもこの事件がこのように起訴されたことが間違いです。FBIが証拠を集め、検事局がこの事件を起訴したのは理由があります。それも、残念ながらあまり感心する理由ではありません。」
マラック検事が鼻を鳴らして私をじっと見ています。私は検事に目を向けて続けました。
「検察では、真治がどこでどうやってあの大量の麻薬を手に入れたかまったく捜査が進んでいません。弁護側から司法取引の一環として提出した写真をもとにシンジケートの存在が浮かび上がってきたのです。現に、麻薬の運搬については起訴を取りやめています。FBIも真治が麻薬を使用してたという事実や売っていたという事実はまったく触れていません。麻薬を所持していたといっても公判を維持するのが難しいでしょうね。」
マラック検事が待っていたかのように発言をします。
「裁判官、検事局としては福本真治、それに死んだ父親が事件に絡んでもいないのに大量の麻薬を自宅に持っていたとは考えられないのです。現に、死亡した福本氏のスーツケースから麻薬が検出されています。シンジケートがどうであろうと麻薬の所持は法律的には立証できます。」
私は、不敵に笑いました。
「結果論ですよ、あなたの推理は。誰かが仕組んだシナリオです。検察側の立証が砂の城だということは、7日後に設定されている起訴取下げの申立ての審理の経過ではっきりすると思います。」
ウィットニー裁判官が、またファイルに目を落としました。証拠のページを丹念にめくりながら言いました。
「起訴取下げの申立てが出されていますから、今日は司法取引が成立しない限り、その申立てで事実関係は法律的に判断されますね。」
私は、うなずきながらマラック検事に迫るように言いました。
「即刻、起訴を取下げてください。その代わりに全力でFBIの捜査に協力します。今の状態では真治君も非常に不安定です。」
「もう少し、組織を明示できる証拠を出してくれない限り取引は難しいでしょう。私がうんといっても、FBIや上司が納得しないと思います。」
「一体、どう言う証拠を求めているんですか。」
「たとえば、組織のボスが誰であったとか…。」
「そんなことわかるわけないじゃないですか。今は、真治や福本氏が麻薬をやっていないということしか言えないですね。麻薬にかかわっているという形跡は今回の事件までまったくありませんし、第一、麻薬でお金を稼がないといけないほど貧しくはないですよ、被告人の一家は。」
「ははは、そんなもの間接証拠にしか過ぎない。」
「それでは、現在検察側としてはどのような取引内容をお考えですか。」
「昨日すでに起訴事実を変更して麻薬所持のみに罪状を落としてあります。」
「そのことは今回の法廷では関係ない。」
マラック検事は私を無視して続けます。
「3ヶ月のコミュニティーサービス、3年間の保護観察処分、それに麻薬に関連した家や車などの没収ですね。」
「受けられません。」
ウィットニー裁判官が口を開く。
「現時点では検察側と弁護側の主張が対立していますし、証拠も充分ではない。起訴取下げの申立ての審理を待ってから議論しても遅くないですね。被告人は釈放されているのですから時間的には問題ないか…それでは2週間後に再度プリ・トライアルを設定します。それがだめなら…タイムもウェーブされていないし…陪審裁判ですね。」
結局審理は平行線で終わってしまいました。マラック検事も私と同様に汗をかいています。私は言葉少なに席から立ちあがり、またお会いしましょうと裁判官と握手をして、控え室を出ました。法廷に戻ると、傍聴席に座っているたくさんの人達が目に入りました。そのなかで真治君が心配そうに見ているのに気がつきます。
「先生、どうでしたか。」
「法廷の外で話そう。」
真治君を促して法廷の外に出ました。マックブライドはどこかに行ってしまった様です。
「どうなりましたか。」
「検察側も引かない状況だよ。今の感じでいくと、家や車が没収されかねない。懲役刑は免れそうだけど。また2週間後にプリ・トライアルが設定されたから、その時までに司法取引に使えそうな情報、つまり君を無罪にする事実か、君を陥れた事実を見つけない限り陪審裁判に突入しそうだ。無論、7日後には起訴取下げの申立ての審理が予定されているけどね。」
「…。」
「なんとかがんばろう。君が無実だって信じているから。」
真治くんと私は言葉少なに裁判所を後にしました。真治君を学校に送り届けてから、事務所に向かいました。もう太陽がだいぶ高くなっています。事務所のドアを開けると千穂さんが、午後の法廷用の書類を渡してくれました。昨日私が用意した申立てに反対する書面に対して、再度反対する書面がカニングハムの事務所からすでに届けられていました。
「よくやるなぁ。あと1時間くらいでまた法廷に行かなくちゃならないから、ちょっと部屋にこもって勉強しておくわ。」
「電話はメッセージだけ取っておけばいいですよね。」
「お願い。」
部屋のドアを閉めて一人きりになった私は、書類を読み始めました。時計の針の音がうるさく聞こえます。しばらく目を閉じて気持ちを午後の法廷に集中させて書面を読み始めます。
まず、分厚いカニングハムのオーダー・ショートニング・タイムの申立書に目を通していきます。カニングハムの主張は麻薬に関連している事件でもあり、緊急な証拠の保存が必要であるというポジションが軸になっています。犯罪に絡んでいるため、証拠の隠滅が考えられると主張。一刻も早く証拠の開示が必要であると請求しています。一理ないわけではありません。
それに対して、私は通常の民事事件と性質上何ら変わりはないし、犯罪に絡んでいるとはいえ、現在真治君が証拠を隠滅するということは考えられないと主張。また真治君や福本氏が犯罪に絡んでいるとはなんら結論付けられていないと請求の棄却を求めました。
私の申立てに反対する書面に対して、今日カニングハムは私の事務所に再反論書を書いて持ってきました。この書面でカニングハムがいうには、福本氏とロビンス氏の関係を解明し、どのように福本氏がロビンス氏をこの事件のに巻き込んだかを明らかにする必要があり、そのための証拠保全が緊急に必要であると述べています。もともとの申立書とあまり変わり映えしません。まあ、カニングハムはとにかく証拠を出せと迫っているのです。
「証拠ねぇ」と独り言を言いながら考えを巡らせます。出せるようなものならすべてFBIが持って行ってしまいました。ですから、捜査に差し支えなければカニングハムも証拠は見れるはずです。もちろん現在、マックブライドを筆頭にFBIの捜査が先行していますから、刑事弁護人である私にもどのような証拠があるのか開示されていない状況ですよね。ということはカニングハムもどのような証拠があるのか情報にアクセスできないはずです。もちろん紳士的に振舞っていることを前提としていますが。それなのにカニングハムは真治君か私が何らかの証拠を持っていると仮定してこの申立てに打って出てきたのです。カニングハムは絶対に何か私の知らないことを知っています。それさえわかれば、何を求めているかもわかるはずです。もちろん相手の弁護士に「教えてください」と頼んだところで教えてくれるわけないですからね。
(カニングハムは何を知っているんだろう…。)
考えはまとまりません。ただ、私やFBIも知らないことを知っているのかも知れませんね。注意しなければ。
何か特定のものを探しているとすれば私の心当たりはパームしかありません。パームに気づいているのでしょうか。しかし、どう考えてもパームのことをカニングハムが知っているとは思えないのです。私はFBIさえ出し抜いたのですからね。もしパームを求めているとすれば、かなりの確率でお宝情報がパームの中にあることになります。まあ、カニングハムが「パームを提出しなさい」と言ってこない限り、パームのことについては黙っていることにしました。
何度となく事件の書類を読み返しているうちに、カニングハムがある仮定をしていることに気づきました。書面の字と字の隙間を読み取るのも弁護士の仕事です。カニングハムは福本氏がロビンス氏を巻き込んだと仮定しています。確かにスーツケースは福本氏のものだということでしたが、もし持ち主が他にいるとすれば…。福本氏は本当に知っていながら麻薬を運んだのだろうか…。私は何度も何度も書面を読み返しました。カニングハムの執拗な請求…、そしてロビンス氏の事件へのかかわり…。
私が相当難しい顔をしていたのでしょう。私の部屋に入ってきた千穂さんもちょっと声がかけづらかったようです。
「先生、そんなに怖い顔をしないで。お電話です。」
「え、誰から?」
「あの例のスチュワーデスさん。先生にもやっと幸運が…。」
「ったく、とにかく取り次いでくれますか。」
「はいはい。先生、鼻の下ちょっと長いですよ。」
私はそう言われて鼻の下を押さえてしまいました。転送された書面で埋もれた机の上の私の専用回線が鳴ります。
「こんにちは、小山先生。」
「お久しぶりです。」
「ランチはまだでしょ?」
「ええ、まだです。」
「ご一緒しましょうか。」
やりました、昼間からデートです。でも声を殺しながら
「ぜひ。」
ということで我々は、近くにある日本料理屋で会うことにしました。
「行ってらっしゃい。先生、がんばってね。」
明るい笑顔を千穂さんは見せてくれます。私はちょっと照れちゃいます。
「いってきます。食事の後、そのまま法廷に行ってきます。」
「はい、わかりました。」
事務所を出て、約束の日本料理屋に足を運びます。
事務所の前にある新聞売りのおじさんから、新聞を一部買います。買うといっても、無造作に一部取り、クォーター(25セント硬貨)をカウンターの上に置くだけです。
ページを広げているとサンフランシスコ・トレードセンターの工事に係わる大きな事件でカニングハムの写真がでていました。なんでも業者とサンフランシスコ市の請負契約にかかわる訴訟のようです。何億円、何十億円というお金が訴訟の対象になっているのです。こういう大きな事件を扱わなければお金は儲からないのですね。アメリカの弁護士は大きく分けて3つの料金体系で仕事をします。ひとつはアワリー・ビリング(Hourly Billing)と呼ばれる請求の仕方で1時間いくらで仕事をするのです。高い弁護士では1時間500ドルも請求する人もいます。一般庶民が事件に巻き込まれたらそんなに高い金額は払えません。次に成功報酬制という請求の方法です。主に、事故における保険金請求などに用いられる方法です。これは事件が解決するまでは弁護士が一銭ももらわず、事件が解決したときに解決金のなかから一定のパーセンテージをもらう方法です。それから、フラット・レートといい報酬額をはじめから決めて請求する場合があります。たとえば契約や遺言の作成ですね。カニングハムのように大きな法律事務所でパートナーをやっていると経費だけでも膨大なものになります。ですから、高額なビリング・レートを要求できる大会社のクライアントが必要になってくるのです。特に事情を知らない日本人企業は格好の的です…。カニングハムの写真をじっと見ていましたが、どうしても彼のような弁護士になりたいとは思いません。ですから私はお金が儲からないのですね。私は新聞をまるめて、歩き出しました。
 
 約束の日本料理屋に入るなり、
「先生、こっちこっち。」
明るいピンクのドレスを着た真理子さんが手招きしてくれました。レストランは昼ご飯を食べる人々でごったがえしていました。人ごみを抜けて、真理子さんの手前に腰を下ろします。
「どうしたの、元気ないみたいじゃない。」
真理子さんが心配そうにぼくを見ます。
「うん、あの真治君の事件、大変なんだ。」
「ちょっとご機嫌伺いを、と思っていたんだけど、そんなんじゃ心配しちゃうわ。」
ちょっとうれしくなりました。真理子さんが心配してくれるなんて、うふふ。
ウェートレスが注文に来たので私はうどん、真理子さんはそばを注文しました。この日本食レストランは丼ものについては見たこともないようなものが出てきますが、そばやうどんはまあまあです。
「事件はどうなってるの?」
細い眉をちょっと寄せながら両肘をついた真理子さんが聞いてくれます。
「うん、今日もこれから民事事件でサンフランシスコ地裁だよ。真治君絡みでね。」
「たいへんなんだ。」
「うん、そういえば相手方の弁護士はすごい大きな弁護士事務所の奴なんだけど…えっと、この新聞に載っていたな。」
私は丸めていた新聞を広げてカニングハムの写真を真理子さんに見せました。
「あれ、このひと見たことがある。あれ、どこで会ったっけな。」
ちょっと、美しい眉をさっきより寄せて考えています。私は黙っていました。ウェートレスが注文の品を運んできました。
「あ、そうだいつか、福本さんと旅行していた白人の男性がいるっていったでしょ。その男性とやっぱりメキシコ便で、メキシコ・シティーに飛んでたわ。あの時はがらがらだったんだけど、あの二人がファーストクラスに乗って、お酒に酔っ払って大声出していて他のお客サンから苦情が出まくっていたから覚えているわ。」
「間違いない?」
「間違いないわ。他のクルー(乗組員)が相当気を使っていたから。覚えているもの。」
「ロビンスとカニングハムか…。」
「あ、あの人ロビンスっていうんだ。」
「うん、ジャック・ロビンス。」
話をさえぎるようにウェイトレスが無造作に我々のテーブルに注文の品を置いていきます。二人でいただきますをして、それぞれの麺を処理し始めます。食べることに一所懸命になり、ちょっとの間二人は無言になりました。ある考えで私の手が止まりました。 
「ちょっと待てよ。」
「ん、何々。」
「ジャック・ロビンスとビクター・カニングハム…。」
「だからなんなのよ。」
ちょっと真理子さんはいらいらしているようです。
「あ、ごめんね。ちょっと事件にかかわることを思いついた。」
「ふ~ん。」
また、麺をすする真理子さんを見ながら、ひらめきました。ジャックのJそしてビクターのV。JgodとVgodがこの2人なら一緒にメキシコに旅をするのも納得できます。せっかく美人の真理子さんと二人での食事なので、そのことは一応置いておいて、いろいろ別な話で盛り上がりました。
食事を終えて真理子さんと別れると今度は民事のサンフランシスコ郡裁判所に向かいます。真理子さんとは今度はディナーの約束をしました。ラッキーですね。午後は気温も上がり、上着が邪魔になってきました。私は上着を脱ぎ、シャツを腕まくりして、重い皮かばんをぶら下げて歩き出します。さあ、カニングハムとのはじめての法廷での対決です。
裁判所には車で向かいました。運転中に、JgodとVgodというEメールのユーザー名について考えていました。Jがジャック・ロビンスでVがビクター・カニングハムだとすればgodというのはどう言う意味か…。Godといえばそもそもは神様の意味ですが、頂点に立つ人を比喩してGodと呼ぶこともあります。あまり素敵ではありませんが。カニングハムがVgodというEメール名を使い、JgodというEメール名を使っているロビンスと組んで麻薬組織を牛耳っていたとすれば…。私の仮定が正しければ、カニングハムはあのパームを探しているに違いありません。 たぶんパームの中に他言できない情報が入っているのではないでしょうか。そうだとすればあのパーム・パイロットが公になるとカニングハムにとって致命的です。実際、あれだけ真治君の刑事事件について無理やり引っ張っているのですから、FBIもある程度は証拠を掴んでいるのかもしれません。ただ大物弁護士であるカニングハムにはなかなか手が出せないのかもしれませんね。FBIにしてもなんとか背後組織の尻尾を掴みたいのでしょう。Eメールのユーザー名にGod(神様)という名前を冠したメール名をつけているのですから、麻薬組織につながっていればよほどの大物かもしれません。とにかくJgodとVgodというEメールのユーザー名が福本家のコンピュータにあったのですから、重要な事件を解くカギになるでしょうね。私は昨日、賃貸借の事件の舞台となったサンフランシスコ地裁に向けて車を走らせます。うどんを食べたので胃がほてっています。

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