本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第2回目です。 ===================== 第2章 捜索・押収そして逮捕 (Search and Seizure, Arrest Thereafter) まだ時差ぼけが残っているので、朝起きるのは本当につらいものです。アメリカから日本へ行くときには問題なく適応できるのですが、日本から太陽の進む方向に逆らってアメリカに帰ってくるとなかなか適応できません。快適な寝起きとはいい難い朝です。無機質で乾いたベルの音が私を起こします。目覚し時計に、ぶつぶつと睡眠妨害罪の有罪認定をしながら、用意をして事務所に出るともう9時近くなっていました。カリフォルニアの裁判所での出廷時間は朝8時半とか9時なので、法廷が入っていたらこの状態ではアウトでした。 金曜日ということもあり事務所は比較的平和で、破産の新件が入って来たり電話で訴訟の打ち合わせをしたり、午前中は無事に過ぎていきました。やっぱり昨日無理しても仕事をしておいて良かったと思いました。三谷先生は相変わらずのんびり、いえいえ、マイペースで仕事をされているようです。千穂さんは相変わらず忙しく動き回っています。 昨夜会った真治君から電話が入ったのは、午後2時ごろでした。直通電話番号を教えておいたのに、どうも名刺に印刷された代表番号にかけたらしく千穂さんが取り次いでくれました。 「 あの、昨日お会いした、あの福本です。えっと、警察の人が、その、今来ていて、どうすれば…。」 「あ、こんにちは。」 「先生、警察が来ているんです。」 「何も話す必要はないんだよ。はっきり言えばいいんだ。弁護士を通してくれって。」 「でも、その三人も来ていて、あの…。」 私は相当まどろっこしく感じたので、 「電話をかわってくれる?僕が話す。」 と言いました。彼はほっとした様子で、すぐに何か訪問者と話している声が聞こえてきます。張りつめた無機的な声が受話器を通して私の耳に入って来ました。 「オフィサー・マックブライド、スピーキング(マックブライド捜査官です)。」 「私は弁護士の小山といいます。はじめまして。私のクライアントとは、私の許可がない限り話してもらっては困ります。」 「弁護士さん、ご存知かもしれないが、彼の父親が昨日亡くなった。それで彼に聞きたいことがある。」 「亡くなったということは聞きました。で、捜査官が聞きたいことというのは?死亡したという事実の単なる確認ですか、それとももっと何かあるとか。」 「今捜査中なので詳しくは言えません。」 「お決まりですね。」 死亡している事実はわかっているのだから、まさに何かプラスの捜査事項があるのです。 「捜査の方向性がわからない限り、私のクライアントは連邦憲法修正5条(5th Amendment to the US Constitution)の権利を主張します。」 「黙秘ですか。」 「麻薬がらみだということを耳にしました。それに連邦捜査局が出てきているんだし。」 「…。」 ちょっとしたため息をつきながらマックブライド捜査官は、 「それではあなたが同席しているところでシンジに質問できますか。」 「それはやぶさかでない。」 「では、できれば早急に…。」 「早急にって、いつですか。」 「今すぐです。」 相手のペースが、私のスケジュールのことを念頭に置いてくれてないなと思いつつ、私は、千穂さんに合図してスケジュールをチェックしてもらいました。緊急の用事はないので今から真治君の家に向かうことを捜査官に告げ、事務所を飛び出ました。 もう、5月も終わりです。サンフランシスコには梅雨というコンセプトはないので、昨日に引き続きからっとした天気です。何も考え事がない時の青空はなんともいえずすがすがしいものですが、今日のように考え事をしている状態ではずっしり重たく感じます。私が愛用している、10年間風雨にさらされて白いペンキが光沢を失った四角いボルボは、のそのそ真治君の家に向かって加速していきます。 何気なく、いつも聞いているラジオの88.5FMのニュースに耳を傾けると、女性キャスターが、昨日の事故は間違いなく爆発物によるものだと淡々と言葉を並べていました。ヴォリュームのダイアルを右に回しキャスターの声を車いっぱいにすると、声は死者は12名、負傷者は60名以上にのぼることを述べ、さらに大量のヘロインが爆破現場で検出されたことを報じていました。結論はまだ出ていないが、どうも麻薬の密輸やマフィアに関係があるだろうと推測していました。死亡した人の名簿の中に福本氏がはいっていました。捜査は続行しているということでニュースは終わりました。ダイエット食品のコマーシャルにかわったので、私はラジオを切りながら、軽く舌打ちをしました。父親の死、それに麻薬の捜査。あのか細い真治君が正直言って心配になってきました。昨日会った彼は非常に無口で、一言で言ってしまえば「世間知らずのおぼっちゃま」という感じです。アメリカの刑事システムは、悪く言えば非常に雑なところがありますから、果たして彼はうまく乗りきれるのか…。依頼人を選択するのも弁護士にとっては非常に大切なことです。まあ、なるようになっていくでしょう。 方向音痴のわたしもサンフランシスコ市内であればそれほどガソリンを無駄遣いせずに目的地を検索できます。3時半には真治君の家を発見することができました。シークリフは、一般にいう「成功した人」や「えらい人」が住んでいる高級住宅地で、小さい家でも一億円では買えません。飛行機の席ごときでぶーぶー言っている私にはまったく縁のない地域です。福本家も緑に囲まれたスパニッシュ風の大きな家でした。白い壁に、レンガがふんだんに使われ、鉄柵には蔦なんぞが絡まっています。ガレージも車が3台入るスペースがあるようですが、今はガレージの前にFBIのものと思われる汚い黒塗りの大きなフォード・クラウン・ヴィクトリアが二台、無造作に停められてふさがっています。アメリカのフルサイズ・カーは本当に畳が走っているように大きい。私は自分の車を路上駐車して足早に入り口の大きな鉄柵のゲートに向かいます。入り口付近にロダンの考える人のようにあごに手をもっていきつつ腕を組んでいる白人が二人、玄関のドアが開いたところに扉が閉らないように靴で押さえているヒスパニック系のひげを生やした捜査官が一人、目に入りました。全員ダーク・スーツ姿ですが、腰のところが不自然に膨れているところをみると銃と手錠ですかね。私を認めた白人の捜査官のひとりは、マックブライドと名乗り、近づいてきました。私は紳士的に握手をして、真治君の居場所を尋ねました。その私より背の低い警官はあごと目線で家の中を指しました。まず、真治君と二人だけで話がしたいことを告げ、ヒスパニック系の捜査官を押しのけるように家の中に入りました。ドアは閉めました。アメリカの家は結構薄暗いことが多いのですが、この家も多分にもれませんでした。また非常に広く開放的なリヴィングがありますが、電気がついていないためか、大きな革のソファにすわっている真治君がえらく小さく見えました。震えています。相当に広い家で、貧乏性の私はちょっと落ち着きません。 「真治君、僕だよ。大丈夫かい。」 真治君は私を認めると、少しほっとした様子で、こっくりうなずきました。 「何か、聞かれたりしたかい。」 「名前を聞かれました…。それからほかに誰か住んでいるかどうかも聞かれました。それで怖くなって先生に電話したんです。」 怖くて唇が乾いているのか、スムーズに話せない様子です。 「それ以外のことは話してないね。」 「はい。」 「ちょっと、待っててね。」 私は、家の外に立っている捜査官に近寄り、名刺を渡しました。捜査官は名刺の代わりにバッジを提示しました。やはりFBIです。ちなみにFBIのバッジというのは、二つ折になっている革のケースの内側の一方に金属でできたバッジがついていて、もう一方には淡い青や緑で大きくFBIと書かれています。テレビに出てくる刑事コロンボのとはちょっと違いますね。 「彼に何を聞きたいんですか。どういう背景があるのですか。」 30代のヒスパニック系のトニーという捜査官が私に対して挑戦的に口を開こうとして、マックブライドが制しました。もうひとりのダグラス捜査官は、マックブライドの背後で鋭い目をして傍観しています。マックブライドが一歩前に出て 「弁護士さん、さっきも電話で言ったとおり、今は捜査段階です。詳しくは話せないんです。」 と言いました。 「真治君の父親に何か関係があるとか。あの爆発ですかね。」 ちらっと捜査官らの表情が曇りました。しかし、彼らもプロです。間髪を入れずに、 「なんらかの関係を否定しているわけではありませんが、シンジは重要な証人です。現在のところ。」 「まずは、私自身が真治君に知っている範囲の事情を教えてもらわねばなりません。麻薬関係のことですよね。」 「そうです。シンジの証言に非常に興味あるのです。」 「今、彼は気が動転していますから、また日時を改めましょう。」 私は断定的に言いました。 「今、というわけにはいきませんかね。」 捜査官のものの言い方が少々、威圧的になってきました。緊張がはしります。ほかの捜査員の目も厳しくなります。 「お断りします。その名刺にある私の電話番号に、明日にでもお電話ください。お互いに空いている時間を設定しましょう。」 また、トニーが乗り出して挑戦的に言います。 「われわれは今がいいと言っただろ、令状を取って…、」 それを制したマックブライド捜査官は、形式的な礼を述べ、あとの二人を従えて黙って車に戻っていきました。ガレージの前から遠ざかる車を確認して、私は暗い家の中に入り、重たいドアを閉めました。 無言のまま真治君の座っている大きなソファに近づき、真治君のそばに腰を下ろしました。しばしの沈黙。下を向いて震えていた真治君は、私の顔をすがるように見たかと思うと、 「これから僕はどうすればいいんでしょうか。本当にどうすれば…。」 私は彼の目をじっと見ながら、 「僕も今のところどうしていいかわからない。まずは君のことを教えてくれないかな。その前に何か飲もうか。」 「それじゃ、僕が何か…。」 「いいって。よいしょ、冷蔵庫はあっちだね。」 立ちあがった私は、大理石が敷き詰めてあるキッチンの奥にある巨大な冷蔵庫を開けました。そこにオレンジのサニーデライトの大瓶を発見したので、2つのグラスとともにソファに戻りました。二人で一気にごくごく飲んで、一息ついてから、私はまず真治君の父親のことを聞きました。 私の無知だったのですが、真治君のお父さんは世界的に有名な建築家であったこと、最近ではサンフランシスコ市のトレードセンターの設計を任されたこと、サンフランシスコが好きで二年前にこの家を購入したことなどを話してくれました。また、真治君のお母さんは二年前に病気で亡くなったこと、その死をきっかけに日本からサンフランシスコに移住してきたことがわかりました。 「あの、ダウンタウンのトレードセンターを手がけていたんだ、君のお父さんは。」 「そうです。」 「すごいね。もうすぐ完成するらしいけど、かっこいいデザインだよね。」 「父もすごく完成を楽しみにしていたんです。」 「残念だったね。」 私はちょっと真治君のお父さんに会えないことを自分で残念に思いました。日本人で世界的に活躍する建築家、きっと魅力的な人だったのでしょうね。トピックを変えました。 「それじゃ、君は今、学校に行っているんだ。」 「はい、市内のユニバーシティー高校にいっています。」 「あ、あの私立の。いい学校らいしいね。」 「でも、今日は休んでいます。」 「まあ、お父さんに不幸があったのだからしょうがないよ。昨日はどうしてたの?」 やっと、ジュースが胃に落ちついたようで、震えも止まった真治君は、うつむきながら言いました。 「学校から帰ってきたんですが、家にお父さんが荷物を置きに来た気配がなかったので、あちこちに電話をして聞いたんです。ハイヤー会社に電話して、やっと事情がわかって…。」 「それで、ジムと会ったんだね。」 「はい」と言いながら、真治君はぼろぼろ泣き出しました。唇を噛んでいます。 ため息をつきながら、私は真治君を勇気づけようとしましたが、まったくだめでした。見まわして、手元にあったティッシュを真治君に渡しました。 「お父さんがこんなことになっちゃって、僕、どうすればいいんでしょう。独りぼっちで。」 「…。」 このまま、二人で感情ジェットコースターに乗ってしまうのはまずいので、事件のことを聞くことにしました。本題です。 「真治君、さっき警官が話していたんだけど、何か麻薬のことを知っているかい?お父さんが何かに巻き込まれていたとか。」 「そんなことは絶対ありません。お父さんが、そんな麻薬に手を出すようなことは、ううう。」 相当取り乱した様子ですが、真治君は何も知らない様子です。もうちょっと事情を聞きたいと思っても、彼の感情が収まるまで待つしかありませんでした。再度沈黙。時計を見るともう7時ごろですが、まだ日は高く、広い庭がくっきり見えます。 「真治君、何もないんだったらそれでもいいんだ。だけど、僕の仕事は弁護士だからね。君がすべてを言ってくれない限り、ベストの弁護はできないからね。落ちついて、なんでもいいから思い出して教えてくれ。」 「はい、できるだけ思い出してみます。」 突然、静寂を破るようにけたたましい電話の音が大きな家中に響きました。真治君が動く様子もないので、私が音の発信源を見つけ、受話器を取りました。大きな家では電話を探すのも一苦労です。 「はい。」 「サンフランシスコ・クロニクル紙ですが福本さんのお宅ですね。ちょっとどなたか、空港の爆発に関することでコメント願えないですかね。」 「お断りします」と言いながら、私は受話器を置いてしまいました。間髪おかずにまた電話が鳴り、違う新聞社の記者らしき人が電話に出ましたが、言っている内容は同じです。うんざりしながら壊れたレコードのように「ノーコメント」を繰り返しながら、またもや受話器を電話本体に戻します。 真治君は内容がなんとなくわかるようで、あからさまに怯えていました。 「真治君、今のところ、本当にお父さんが何か麻薬にかかわっていたことは知らないね。」 「し、知りません。本当です。」 「わかった、とにかく僕がいないときには、誰にも何もしゃべっちゃいけないよ。」 「はい、でもどうなっちゃうんでしょう。」 「どうなるかはわからない。でも、弁護士は依頼人を信じるしかない。」 「先生、本当に信じてください。」 「わかった。真治君を信じるから、君も協力してくれよ。」 そう言っている間も電話は鳴りつづけていますが、その電話の音にシンクロするように玄関のブザーが鳴りました。私が玄関に近づいたとき、今度は玄関のドアをどんどん叩きながらの、 「FBIだ、ドアを開けろ。」 という声が聞こえ、私がドアノブをひねると同時に、10人以上の男が私を押しのけるように、家に入って来ました。私の前にはさっき握手したマックブライド捜査官が立っています。彼は 「これはこれは弁護士先生、まだいらっしゃったのですか。」 と慇懃に言います。 「どういうことですか、ワラント(令状)は持っているんですか。」 「もちろんです。サンフランシスコ連邦地裁のカー判事のサイン入りでね。」 マックブライドはそう言いながら、サーチ・ワラント(捜索令状)を胸ポケットから出し、片手で私の目の高さに持ち上げて見せました。引っ手繰る様にして目を通すと有効な令状に違いありません。1時間前に発行されたのですから、充分準備をしてから連邦地裁に行ったのでしょう。プロバブル・コーズ(Probable Cause被疑事実)の欄には麻薬取引関連とあり、目的欄には麻薬の押収と記載されています。 その場で、私はパニックするよりも、なぜあの冷静なカー判事を説得するだけの被疑事実が見つかったのかを考えました。令状が発行されるのは裁判官が必要と認めた場合に限られますから、令状が発行されている以上何らかの物的証拠か、証人の証言があったはずです。私の 「ブツが出たんですか。」 という問いに、 「爆発したのは、福本さんの荷物なんですよ。」 とマックブライドは事務的に言い放ちました。 「え、空港での爆発の原因は福本氏の荷物だったのですか?」 「残念ながらそのようですね。」 そのとき、真治君の悲鳴が私の背後で聞こえました。振り向くと、真治君は二人の捜査官に床に押さえつけられ、フリスク(身体検査)をされていました。 「乱暴するな」と駆け寄った私に、 「弁護士さん、捜索現場にいる人物はフリスクの対象になるのをご存知でしょ。」 とさっきもいたヒスパニック系の捜査官、トニーがつぶやくように言いました。 「危険性も認められないのに自由を奪うような形でのフリスクは許されていない。真治君を離せ。」 断定的に言った私に敏感に反応して、捜査官は手を緩めました。自由を取り戻した真治君はばねのように飛び起き、私の背後に隠れました。舌打ちをしたトニーはその場にいた自分の部下らしき二人の捜査官に他の命令を飛ばしました。その二人はトニーの命令に忠実に私の視界から消えていきました。 「それでは、紳士的にフリスクさせてください。」 とひとりになったトニーは私の背後に手を伸ばし、真治君にフリスクを始めました。真治君は権力の圧力を感じながら黙って耐えていました。 「あなたの態度は、捜査官としてちょっと問題がありますね。」 「捜査は捜査です。」 「弁護士の見ている前で、ああいうことをするとそちらに都合がいい証拠が見つかっても、裁判で違法収集証拠にされちゃいますよ。連邦憲法修正4条をご存知でしょ。警察学校で習っているはずだ。」 トニーはマックブライド捜査官にたしなめられたこともあって、早々にフリスクを終え、私の前から姿を消しました。結局、真治君からは何も違法なものは発見できませんでした。 捜査官としゃべってもこういう状況では意味がないので、捜索が終わるのを待ちました。真治君は不安を少しでも和らげるかのように私に寄り添っていました。私のそばに立っているマックブライド捜査官も無言です。どれほど時間が経ったでしょう、黙々と目的なく家中を散らかしていた捜査官のひとりが 「ガット・イット(あったぜ)」 と低くうなりました。他の捜査官も叫びました。 条件反射のように小走りにその声に近づくマックブライドの後を追って、私も真治君を連れてついていきました。ガレージに赤いシボレー・コルベットが停めてあります。その脇にある作業台の棚の回りを何人もの捜査官が屈み腰になって取り囲んでいます。 ほとんど捜査官の全員が満員電車のように福本家のガレージに集まっていました。ぱちぱち光っているカメラのフラッシュがまぶしい。キャンプ用の青いアイスクーラーの蓋があけられ、中には小麦粉をちょっと黄色くしたような粉末の入った透明なビニール袋が5つほど並んでいました。ポケットの中から簡易の化学調査薬を取り出したひとりの捜査官がビニール袋を開け、中の粉末を調査の液体と化合させると液体が赤くなりました。その液体を右手に持った捜査官は、左手の親指を上に突き出しました。 「間違いありません。」 FBIと黄色い文字で背中に入ったジャンパーを着たほかの捜査員が屈み腰で袋を検査していましたが、全員立ちあがりました。マックブライドと目を合わせうなずくと同時に、捜査員が私のうしろに立っていた、か細く痩せた真治君の手を後ろに回してミランダ・ワーニング(逮捕時に被疑者の権利を告知する文章)を唱え始めました。 「被疑者には黙秘権が与えられる。」 「その黙秘権を知りつつ発言した場合には法廷で使われることもある」 「弁護士に委任する権利があり、充分な弁護士費用がない場合には公選弁護人がつくことになる…。」 私はミランダ・ワーニングをじっくり聞いていましたが、さすがにFBI、ミスはありませんでした。私はミランダワーニングが終わるのを待って、 「ちょっと待ちなさい。現行犯逮捕ではないではないですか。彼には関係がない。」 と指揮権をふるっているマックブライドに言いました。 「現行犯逮捕でない?立派に麻薬を所持しているじゃないか。」 「少なくとも彼が所持していたとは立証されないだろ。」 「それは、裁判で争ってください。弁護士さん。れっきとした麻薬がでてきたんだから。」 もう、声も出ない真治君はぼろぼろ頬に涙の線をつくり、私の目を見ていました。私は 「未成年なんですから、後で私が連れて出頭させます。」 と言いましたが、 「それはだめだ。」 とマックブライドは断定的に決めました。 麻薬の証拠、それに空港での物的証拠、逮捕には充分過ぎる材料です。私は先のことを考えました。 「絶対、何もしゃべってはいけない。すぐに君に会いに行くから。」 「何も持たせてもらえないのですか…。学校もどうしよう。父親のことは…。」 「とにかく今は君の嫌疑を晴らすことが先決だよ。とにかくすぐに行くから。」 真治君と私の日本語での会話を訝っていたマックブライドは、会話が途切れたところで真治君を建物の外に停めてあった先ほどの黒塗りのフォードの後部座席に押し込みました。 他の捜査員も探していた麻薬がでてきたこと、それに望んでいた逮捕ができたことで捜査に一区切りをつけ、ぞろぞろと家の外に出て行きました。ただし、福本氏の寝室や書斎にあった大量の書類はしっかり押収していました。すべての捜査官が家の外に出たところで、私も外に出ました。車の後部座席に座らされた真治君がすごくやつれ、小さく小さくなっていくのが見えました。振り向いて私を見ています。サンフランシスコの夜はとっぷり暮れて、私が勝手に家の鍵を探し、見つかったところで施錠して外に出たころには、闇が街を包み込んでいました。野次馬はいませんでしたが、隣家の窓についたカーテンの隙間から、こちらを伺っている様子がよくわかりました。昼間から置きっぱなしだったボルボに乗り込みイグニッションをかけて、ハンドルに両手をおきながら、私はこれからのことを考えて深いため息をつきました。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
==== 今回は、アメリカでのインターネット上での法律リサーチについて少々考えてみたいと思います。主に弁護士向けになります。 また、各論まで限られたスペースで論じることはできませんので、主にアメリカ法リサーチのバックボーンを実務的な観点から考えていきましょう。 まず、日本法とアメリカ法で根本的に考え方を変えていかなくてはならないのは、アメリカには連邦法、それに各州法という二段階構造になっているという点です。実務では、具体的な法律論を論じる前に必ず、どの管轄の法律が適用されるのか、考えなくてはなりません。 次に、リサーチの内容です。アメリカでは日本で言う「六法全書」はありませんし、立法や判例が活発に変遷していきますので、今までのように判例集などに頼るということも不安が拭い切れません。日本では、新法の制定などは官報などに目を光らせていれば、ある程度は把握できますが、アメリカでは各団体、裁判所、省庁等、公布がばらばらですので、きっちりとしたリサーチには日本に比べ格段に時間がかかると考えて良いと思います。 これらのアメリカ法における日本法との違いを克服する上でインターネットはある意味法律業界に革命をもたらした一面があります。また、アメリカではインターネットにおける法律の情報収集に関しては群を抜いて便利ですし、重要な情報がごろごろ存在します。日本法を調査するときにアップデートが足りないなど不便を感じることがありますが、アメリカ法に関してはユーザーの観点を非常に考慮したものも少なくありません。 アメリカではインターネット上での法律の情報提供をビジネスにする例が少なくなく、伝統的な出版社が電子情報配信に積極的に乗り出し、経営の転換を図ることに成功したといっても良いでしょう。しかし、インターネットの普及と同じくして、情報を電子化してきた出版社は、情報提供および、情報のプリントアウト等に関して、非常に高額な使用料を要求してきました。当初は価値があったかもしれませんが、だんだんインターネットの不況が加速化してきましたので、私見では高額の支払いが実務上意味があるのか、疑問になってきたと思います。 詳細は業務上のノウハウもありますので、書くことを避けたいのですが、実際にアメリカの実務のスタンスで、どのようにリサーチをしているのか、述べておきたいと思います。まず、高額なリサーチエンジンを使用する場合、その帳尻はクライアントに回ってしまいます。そうすると、自己満足的なリサーチも増えたり、必要のないリサーチまで発生する可能性があります。やはり、実務家のスタンスとして、コスト面からでもクライアントのニーズに合わせるということは必要だと考えています。 では、どのような方法が現在のアメリカ法実務では最適なのでしょうか。まず、実務書、つまりアメリカではプラクティスガイドと呼ばれる、書式集や各エリア別の法律書がありますが、これは常時使用するものですし、簡潔に論点がまとまっている場合が多いので、電子化に頼らず、現在でも紙のものを使用しています。最初に、実務上の論点落としを避けるため、またどのような判例があるのか、傾向はどのようなものなのか、プラクティスガイドで確認します。 その後、連邦、州など限られた範囲で提供されている判例検索、条文検索エンジンで調査を深めていきます。この調査に関して、ある程度公に無料で公開されているリサーチエンジンがありますが、クリティカルな部分が不足しています。このため、有料の検索エンジンを使用しています。この不足の部分というのが、どの判例が否定され、現在どのスタンスの判例が指示されているのか確認できるという仕組みです。シェパダイジングなどと呼ばれますが、生きていない判例を除外するためには、必ずこの作業をしなくてはなりません。ただ、最近ではカリフォルニア法に限って言えば少なくとも10社程度が非常にリーズナブルな価格でこの機能を提供していますので、非常にアクセスし易くなっていますし、定額使用のエンジンが多いので、クライアントに迷惑をかけることもありませんし、徹底的に判例を調査することができます。 次に、実務家として落としてはいけないのは、最新の判例、立法のチェックです。毎日のように重要な判例がつくられている現状では、ほぼ毎日判例のチェックを欠かすことはできません。従来は、法曹用の新聞が発行されていて、その新聞に付属しているアドバンス・シートという、最新判例が原文のまま載っているものを使用していましたが、事務所にいない場合や、複数の人が同時に見たいという場合に不便でした。ところが、弁護過誤保険を提供する会社や、各弁護士会、それに任意の団体、たとえば、アメリカ法廷弁護士協会、移民法協会などが、毎日のように判例のアップデートを電子メールで送ってくれます。このアップデートを自分なりに整理をすれば、ちょっとした判例データベースをつくることができます。 立法に関しては、クライアントの興味および自分の興味がある、省庁のメーリングリストに参加すること、およびそれら団体、組織のウェブページの更新時に知らせてくれるシステムを作っておけば、忙しく変わっていく法律情報を短時間で確認し、データベース化していくことができます。 事件によっては、学者の意見や、二次的な参考書が必要になることがありますが、まずインターネットで一般的な検索を行い、それでも足りない場合には、一回毎の有料データベースを利用し、出費を最小限に抑える形を取っています。このように、固有の会社のデータベースに頼ってしまうのではなく、情報が多いのですから、実務家がイニシアチブを取って、マイ・データベースをつくっていくというのが、これからの実務の形のように思います。 移民局より発表があり2019年度新規H-1Bビザ申請について特急審査 Premium Processing Service を開始するということです。2019年度については2018年4月1日に受付が始まり4月7日に受付が終了しました。しかし特急審査については停止されており、この度開始することになりました。
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==== 今日は、非常に実務的な移民法のポイントを考えていきたいと思います。どのビザが取れるのかうんぬん、と言った話題はどこでも見かけますが、実際に様々な形で移民局に召喚を受け、面接に臨む場合のことについて考えてみましょう。 まず、どのような機会に移民局まで行かなくてはならないか、代表的な例を挙げておきます。まず、結婚ベースで永住権を申請する場合には、申請書を提出した後に必ず面接が設定されます。一緒に住んでいるという証拠、たとえば写真や公共料金の支払記録を携帯するように要求され、面接に参加するというパターンです。 それから、永住権保持者が外国に長期に滞在していて、アメリカに再入国しようとして、あまりにも海外滞在が長いので、後日移民局に説明にくるように要求されるというケースがあるでしょうか。もちろん、逮捕されたり、移民法上の違反があるような場合にも、面接がありますが、基本的には平和な面接ではなく、どちらかというと取り調べという感じになるパターンが多いと思います。 移民関連の申請書をアメリカの弁護士に頼むということは外国人にとっては日常茶飯事でしょう。しかし、非移民ビザの申請等に関してはほとんどの場合、面接を伴いませんので、多くの外国人にとっては、「移民局の面接」というのは未知数かもしれませんね。ですので、ここでどのようなものなのかを感覚として感じていただきたいのです。 さて、ほとんどの場合、移民局の面接は移民局からの通知によってはじまります。通知は一方的なので、通常面接期日の設定を変更するのは難しいものがあります。期日変更をする位だったら、自分の都合をできるだけ変更しましょう。 面接になると「弁護士に付いてきてほしい!」と思われる方がほとんどだと思いますし、逆について行ってもらうことで、結果が違ってくる場合がある訳ですが、どのような場合に必要で、どのような場合には必要ないのかある程度知っておくとメリハリがつくのではないでしょうか。 まず、ストレートに結婚をして永住権を申請して、面接をする、という場合には、過去に離婚歴が何度もあるとか、結婚に問題があるとか、移民局に何らのことを疑われる可能性があるとか、問題点がない限り、結婚されるお二人で行かれても、弁護士が付いていっても私の経験上あまり違いがありません。逆に「何で弁護士がついてくるのだろう」という目でみられるということもありました。ちゃんと結婚をしていれば、公共料金や銀行口座などを共有しているでしょうし、旅行もするでしょうから、いろいろな証拠は揃っているはずです。もちろん面接の前に、弁護士と打ち合わせをして、どのような書類を持っていくのか、またどのようなことを言うべきなのか、などを話すべきでしょうが、実際の面接日に移民局に弁護士が行く必要はあまりないかもしれません。というのも、移民局に行って、実際に質問を受けるのは、本人ですし、弁護士が変わって答えるということはあまりできないシチュエーションが多いからです。また、移民局の審査官はいじわるな人は特に、弁護士を無視する形で本人に質問をします。これは移民法上許されています。結婚によって永住権を取得する場合の配偶者の一方はアメリカ国籍、または永住権保持者なはずですから、申請者本人が英語ができなくても、それほど問題にならないケースが多いわけです。 質問を理解できなければ、もう一度聞けば良いですし、通常移民局の面接はインフォーマルなセッティングで行われることがほとんどですので、緊張を与える環境ではありません。しかし、辞書を持っていっても、質問の意図がわからない、などという状況では、不安も残るかもしれません。しかし、結婚による面接において弁護士の役目というのは、もし申請者がわからにことがあれば、助け船を出すという程度で、ほとんどの場合は、黙って座っているということになります。いわゆる一種の保険みたいなものでしょうか。 結婚の面接に対し、犯罪や移民法違反が絡んでいる場合には、弁護士を付けた方が良い場合がほとんどです。なぜかというと、自己に不利益な証言をしてしまうと、逆手に取られ刑事罰などにも発展する可能性があるからです。身柄を拘束されていないような事例だとしても、軽く見ないで弁護士に相談した方が良いかもしれません。 また、「面接」つまりインタビューという形で召喚をしますが、移民局は実質、取り調べをしているという例も少なくありません。場合によってはビデオに撮影するという許可を求められたりもします。 以上からわかるのは、結婚を通しての取得の面接に関しては弁護士の立ち会いは任意、犯罪が絡むような場合には、任意ですが、弁護士に相談した方がベターと覚えておいてください。それでは、次回新しいトピックを考えていきましょうね。また次回までさようなら。 本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆した小説です。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
毎週概ね月曜日に、20回に分けて配信します。今回は第1回目です。 ===================== 陸海軍管轄の事件を除き、大陪審の起訴審査または起訴決定を経ない限り、死刑が科されている犯罪もしくは重大な犯罪において罪に問われることはない… No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictment of a Grand Jury, except in cases arising in the land or naval forces… アメリカ合衆国憲法修正第5条 (Fifth Amendment to the United States Constitution) *** ―― この本は夢を持っている人、また夢を探し続けている人に捧げます。 夢には限界がない。 情熱がなければ夢は成り立たない。 どんな小さな夢でも、 心に勇気を持って。 負けないでください。 夢を持っている人、それを探しつづける人はいつも輝いているから。―― *** 第1章 依頼人面接 (Client Interview) ちょっと言わせてください。何で飛行機の座席では足が思いっきり伸ばせないのでしょうか。180センチ以上も身長がある私がいけないのですが、もう少しスペースが欲しいものです。私の座っているエコノミークラスのシートはユナイテッド航空810便のボーイング747型の機体のお尻のほうに付いています。通常でも8時間以上のこのフライトに閉口するので、あと1時間も定刻より遅れてサンフランシスコ空港につくというアナウンスがあってからはかなり憂鬱な気分です。まあ、もっと立派な弁護士になるか、ユナイテッド航空のマイル数がたまれば、ビジネスクラスや夢のファーストクラスに乗れるのになぁと思います。もっと大きな仕事にありつければ、税金も文句言わずに払いますし、生活も銀行の通帳とにらめっこしなくても済むなぁ、などといろいろ考えが発展していきます。 とにかく、この9時間にも及ぶ修行を乗り越えなくては、私の住むサンフランシスコに戻れないわけです。飛行機の嫌いな私がお金を払ってこのような拷問に遭うのですから、本当にサンフランシスコに帰らなくてはならない状況にあるのです。やらなくては行けない事件がどっさりたまっているのです。あ、もう一言言わせてもらえば、あの機内食はなんとかならないものでしょうかね。 さて、文句ばかりいうのもなんですから、自己紹介させてください。小山淳平です。25歳で弁護士になって、現在二年目の新米弁護士です。日本の高校を中退して、単身アメリカに来て、そのまま居着いてしまいました。現在はサンフランシスコの三谷法律事務所という事務所で働いています。事務所には日系アメリカ人の三谷ひろし先生、秘書の斎藤千穂さんそれにイソ弁である私の三人が勤めています。イソ弁とはつまりイソウロウ弁護士の略で、先生のクライアントを分けてもらって生活している弁護士です。イソギンチャク弁護士の略だとも言われています。アメリカではイソ弁のことをカッコよくアソシエートと呼びますが、文案屋がコピーライターと呼ばれると何故かカッコよいのと同じようなものです。弁護士といっても現実はそんなに素敵なものではありません。小さな債権回収の話や、離婚、倒産など細かい仕事も少なくありません。働いても働いてもエコノミークラスにしか座れないのです。 それにしても今日の飛行機は揺れます。気流の悪いところがあるのでしょう。私の席の前に座っている若い日本人の女の子二人連れはキャーキャーワーワー、怖いと言いながらも結構楽しんでいる様子。その子達が席を思いっきり倒してくれているので、私は更に窮屈になり楽しくありません。810便は成田を夕方に出て、サンフランシスコには午前中に着きます。旅行者はその日一日遊べるのですから、ラッキーですよね。私は帰ったらすぐに仕事をはじめなくてはならないので、笑ってはいられないのです。 サンフランシスコで日本語と英語をきっちり話せる弁護士はほとんどいません。おかげさまで日本人や日系人の役にすごくたっているはずです。文句を言いながらも、クライアントの顔を思い出すと、またやる気が出てくるものです。 さっきまで怖い怖いといっていた私の前の二人組が静かになったと思ったら、今度は入国審査の書類と格闘しているようでした。アメリカの入国審査は厳しいことで有名ですから二人組も慎重に記入している様子でした。わからないところがあったらしく、二人組はフライトアテンダントを呼びました。ひっつめ髪にしたそばかすだらけの白人女性がのっしのっしとやってきましたが、会話が成立しないらしく、すぐに日本語を話せるという女性アテンダントがやってきました。ちらっと見た感じかっこよくて背の高い日本人女性のようでしたから、痛い腰をちょっと浮かして見てしまいました。かっこいい女性には弱いのです。聞き耳を立てていると、どうもビザの話です。暇なんです、飛行機の中は。目がきりっとしてその上に細い眉がのっているその女性アテンダントは、聞かれた質問に対してちょっと考えているようでした。暇つぶしのチャンスです。そうです、私は移民法も手がける弁護士なのです。二人組に私が簡単に答えてあげると、彼女たちは簡単に納得して簡単なお礼をいってくれました。女性アテンダントはやっと注意を私に払ってくれ、にこっとしてくれました。修行をしていても楽しい事があるのです。胸に日本語が話せますということを示す日本の国旗と「まりこ」という名をローマ字で彫られているバッジをつけた彼女は私の席の方に移動して、お礼を言ってくれました。やっぱりかっこいい人なんですね。反射神経が私の手を胸ポケットに持っていき、すかさず名刺を差し出していました。 「あ、弁護士さんなんですか。へー、サンフランシスコで。今度お世話になるかもしれませんね。」とのコメントに、私は 「何かあったらお電話くださいね」というのが精一杯でした。もっとがんばりなさい反射神経くん。挨拶をかわし、彼女は自分の持ち場へ帰っていきました。また私も退屈な修行に逆戻りです。 軽い朝食のトレイが回収されると、飛行機は下降をはじめました。5月の海がエメラルドを白濁させたような青緑色に見え、いくつもの小さな波に太陽の光があたっては消えていきます。旋回を続ける飛行機は、サンマテオ橋やダウンタウンにおなかを見せながら、ぐんぐんサンフランシスコ郊外に位置する空港に吸い寄せられていきます。サンフランシスコ名物の霧も朝早く引いたようです。小さく見えた人家がみるみる大きくなり、飛行機は海際の滑走路に滑り込みました。 こわばった体をほぐすために少し大股で歩きながら入国審査に進みました。手荷物のみなのでカルーセルで荷物を待つ必要がなく、さっさと人ごみを抜け、そしてジュラルミンの扉を抜け、早々に空港内に入ることができました。様々な人種で構成されている出迎えの人々、その人でごった返している到着ロビーの外にタクシー乗り場があります。窓のない空港から出てきて最初に肺に入れることのできる外の空気です。ドアへ向かって早歩きしながら肩掛けのダッフルバッグを持ち替えていると、ぽんと肩をたたかれました。 「ヘイ、ジュンペイ、出張だったのかい?」 振り向くと、ジムが立っていました。 「やぁ。ちょっとした相続事件でね、日本に行ってた。」 ジムは私よりも大きく190センチくらいある太鼓腹のアイリッシュで、ハイヤーの運転手をしています。海軍にいたころに日本で日本語を覚えたそうで、日本人がサンフランシスコに来るとハイヤー会社はジムを指名します。ハイヤーといってもアメリカではストレッチリムジンという、場合によってはプールまでついた巨大なソーセージみたいな車があり、私も以前ジムに仕事の関係で乗せてもらったことがあります。それで彼は私を知っているのです。 「疲れるね、飛行機は。ジムは忙しいかい。」 と聞くと、ジムは軽く何度も首を縦に振りながらも、入国審査を済ませてジュラルミンの扉から出てくる到着客をしっかり品定めしていました。ジムが両手で「Mr. Fukumoto」と手書きされたプレートを持っているところを見ると、お迎えに参上といったところなのでしょう。 「ぼちぼちだね。でも今日から忙しくなりそうなんだよ。なんでもミスター・フクモトというのはすごく有名な建築家らしくてね。世界中を飛び回っていて、何でも今回はメキシコからシスコ入りらしい。世界各国に拠点を持っていて、シスコにも家は持っているらしいけどスケジュールがぎっしりで自宅では寝れないような感じだな。俺も儲けさせてもらうかな、ははは。」 握手と挨拶でジムと別れた私は、空港の建物を後に陽のあたるタクシー乗り場に向かいました。青空が広がり雲一つないカリフォルニア晴れです。長く厳しい修行から開放された私はついつい口笛など吹いていたのですが、外に出たとたんものすごい重低音とそれに続く「キーン」と鼓膜に振動する音で、建物の中を振り返りました。地震のような揺れでしたが、見える範囲では何も異常は目に入りません。ただ、太陽の光がかろうじて間接照明になってはいるものの、建物の中は電気が切れて薄暗くなっていました。耳がまだセロハンで覆い被されているような状態でしたが、悲鳴や泣き叫ぶ声が徐々に従来の耳の機能を回復させていきます。何らかの人為的な危険物が爆発したのでしょう。テロなのかな、と思いつつジムを探しに建物に駆け込みました。 白い煙が徐々に空港建物に充満してきています。到着客を待つ人の中でも、外に逃げる人もいれば、呆然としている人もいて、中にはパニック状態に陥り、倒れている人を踏みつけながら、走っている人もいました。すかさず持っていたダッフルバッグを口に当て煙りを吸い込まないようにしながら、ジムを探しました。少し前にジムに出くわした到着ロビーの付近では20人ほどの人が倒れていましたが、ジムは呆然と壁に背中をもたれて放心状態になっていました。爆発は入国審査付近で起きたようで、到着ロビーはジュラルミンの扉のおかげで直接の被害はなかったようです。しかし、大量の煙で扉付近はまともに見えません。心臓の鼓動が、警報が鳴るのに合わせて早くなるのが感じられます。建物の造りのせいか、警報が悲鳴よりも響きます。私はたまらず、 「ジム、ジム、早くここを出よう。」 と叫びますが、ジムには聞こえていないようです。駆け寄った私は、ねとっとしたジムの手を引きました。その時、背中に大きくFBI(Federal Bureau of Investigation:連邦捜査局) とプリントしてあるビニールのジャケットを着た一団が、到着ロビーをすり抜けジュラルミンの扉が内側から開いたところを銃やライフルを手に外から入っていきました。一団が入っていった扉の隙間からちらっとみたところでは、荷物を受け取るカルーセルのあたりがひどく燃えていました。重たいジムを、言うことを聞かない子供を引っ張るように建物の外に連れ出しました。ジムは本当に重い。 長いように感じられても実際はほんの数分の出来事だったのでしょう。建物の外に出たとたん、警報とは違う、緊急車両のサイレンの音があちこちから聞こえてきました。牛のように重いジムはまだ放心状態で、私もゼーゼー喉を鳴らしていました。黄色い消防服を着けた消防隊員が、ジムを担架に乗せて運んでいったのは20分ほどたってからだったでしょうか。ジムはある程度気を取り直していて、私に話しかけてくれました。私はジムが運ばれる病院の名前を頭に刻み、後で会いに行く約束をしてから、まだしぶとく商売を続けているタクシーに乗り込み、興奮してアクセントの強い英語でしゃべっている運転手に私の事務所の住所を告げました。タクシーは空港を滑り出し、水色のペンキをこぼしたような空のもとサンフランシスコ市内に入っていきます。 私はパステルカラーの家並みを見ながら車の後部座席の窓を開け、サンフランシスコの空気を楽しんでいました。運転手にラジオをつけてもらい、先ほどの爆発についてのニュースを耳で追っていましたが、株価や政治の話が途切れませんでした。運転手も自分の体験談を口早に話してくれますが、アクセントがきついのでいまいちわかりません。私は適当にうなずいていました。ピラミッド型のビルがそびえるダウンタウンに近づいてきたころ、やっとさっきの爆発についてのニュースが割り込んできました。死傷者は50人を数え、まだ確かな人数は不明であること、原因は何らかの爆発物によることが淡々と報じられていましたが、詳細は不明。耳のほうは徐々にすっきりしてきましたが、事件はすっきりしない様子です。爆発の現場で、私とほぼ同時にFBIが瞬く間に集合していた不思議がふと頭をかすめました。通常、FBIは連邦に関係する事件の捜査に時間を割きますから、地域的な問題に首を突っ込んでいるのにはなにかわけがあるのでしょう。ブレーキでタクシーが止まり、私はチップを加算した料金を払うと、事務所が入っているビルに足を運びました。 三谷法律事務所はダウンタウンの中心街にある古いビルの7階にあります。古いといってもビルは立派なものです。入り口には大理石がちりばめられ、重厚な歴史を見ることができます。見知った入り口の守衛さんと簡単な挨拶を交わします。エレベータの中で髪の毛を整えて事務所に入ると、明らかに心配顔をしていた事務員の千穂さんが安堵の表情になって出迎えてくれました。 私の事務所は入り口から入って左右に大きな本棚があり、カリフォルニア州の判例や条文がびっしり並んでいます。奥行きはあまりありませんが、来客用の会議室、それに三谷先生の部屋と私の部屋、それから千穂さんのいる部屋にわかれています。部屋はアメリカ憲法修正第14条の平等原則にのっとって、ひとつひとつ皆同じ大きさです。三谷先生はきれい好きなので、本棚や机の上も整頓されています。対照的にO型の私の部屋の机の上には本が積み上げられられたり、郵便物や書類がちょうど屋根の瓦のように重なり合って置かれています。私は自分の部屋にたどりつく前に千穂さんにブロックされるかたちになりました。 「空港での爆発騒ぎを聞きました。電話でも一本くれればよかったのに。心配したんですよ。」 「ごめん、ごめん。携帯電話のバッテリーが切れていたしね。早く現場を後にしたかったんだ。三谷先生は?」 「奥にいらっしゃいますよ。」 日本とアメリカにまたがる相続事件で日本に行き4日間ほど留守をしていた私は、留守中の事件の流れを聞きたくて三谷先生の部屋のドアをノックしながら同時に開けました。私が無事だったことがうれしかったらしく、めがねの奥の眼が笑っていました。非常に温厚な学者タイプの先生で、日本語もある程度話せますが、私と話すときにはいつも英語です。仕事の話をするはずが、結局空港での爆発の話になってしまいました。ちょっとするとノックとともに千穂さんが入って来ました。私宛てのたまった郵便物を持ってきてくれたのですが、関心は爆発のことにあったようです。すらっとした彼女は私の話を熱心に聞いてくれました。彼女もジムを知っていたので、びっくりしてから大事がなかったことを聞いてほっとしていました。 自分の部屋に戻り、書類や郵便物、それに伝言メッセージの海をかいくぐり一息ついたところで、ジムの奥さんのリサから電話が入りました。彼女とはまだ話したことがありません。 落ちついた低い中部訛りでした。 「今、病院に駆けつけたところなの。ジムは大丈夫。本当に助けてくれてありがとう。すぐ退院できそうだから。」 病院のロビーの公衆電話か何かからかけているらしく、バックの声や機械の音がうるさいです。 「あまり大したことにならなくてほっとしてるよ。ショックだったろうからそばにいてあげてね。」 「ところで、この病院のER(緊急病棟)にも空港からたくさん被害者が運ばれてきているんだけど、警察が聞き込みをしているみたい。」 「え、もう動いているのかぁ。原因がわかっていないんだね。」 「そうみたい。FBIの捜査官がジムとも話したいって。あんまり気持ちいいものじゃないわね。」 やっぱり、FBIが動いている様子です。なにか重大な事件とかかわりあっているのでしょうね。でも、これはあくまでも私の勘ですからリサには伝えず、 「ジムもあんまり話すことはないだろうね。お客を迎えに来てただけなんだから。何かあったら電話して。」 と言って電話を切りました。ジムに大した問題がなかったことにほっとするとともに、FBIの話が妙に気になりました。FBI、つまり連邦捜査局とはアメリカの中央政府直属の司法省(Department of Justice)に属する行政機関です。ローカルな犯罪の調査は各州や郡それに市の警察が行いますが、2つ以上の州にまたがる犯罪や連邦で制定された法律にかかわる犯罪の調査などはFBIが手がけます。通常、重大な犯罪が多いものです。少しの間、いろいろな可能性を考えていたのですが、そんなことも言っていられません。クライアントとの電話のやり取りが午後のほとんどを占領し、合間を縫って書面を作っていたので、ジムのことも夜になるまで忘れていました。 時差のせいで、眠くなったりかえって目がさえたりしながら夜遅くまで出張で事務所を不在にしていたつけを払っていました。夜になると電話が鳴り止み集中して文献を読んだり文面を練ったりできるのですが、その日は疲れていたので、時計が夜9時を指したことを確認して帰途につこうとダッフルバッグを肩にかけました。電気を消そうとスイッチに手をかけると同時に電話が鳴り始めました。私はうんざりしながらも受話器を取りました。 「三谷法律事務所です。」 「この声はジュンペイだな、ジムだ。」 「大丈夫なんだな。6パック(ビールの6本パック)でも持って会いに行こうか。俺たち二人で6本じゃ足りないかな。」 ジムは笑わずに 「ビールはいいけど、ちょっとどこかで会えないかな。できれば今夜、今から。ちょっとおまえに相談があるんだ。」 「いいよ。どこがいい?」 「病院はまずい。ゲーリー通りにメルズ・レストランがあるだろ、24時間営業だからそこで会えるかな。」 「30分後はどうだい。今、ちょうど事務所を出るところだったんだ。」 「O.K.」 かみ殺したような声で話すジムを深くは詮索せず、とにかく会うことにしました。駐車場で4日間置きっぱなしにしてあった車のバッテリーが正常なのを確かめて、夜の街に出ました。サンフランシスコのダウンタウンの歩道は金属片がまぶしてあるらしく、夜に街灯の光できらきら光ってきれいなのですが、考えながらの運転だったために見過ごしていました。 メルズには20分ほどで着きました。ダウンタウンからはちょっと離れているので、路上駐車は比較的容易です。夜遅いのに、若い男女などでごった返していました。タイルや照明がまぶしい指定の店に、ジムはまだ来ていないようです。60年代の映画を真似たミニ・スカートのウェートレスが席に案内してくれました。4人がけの席も60年代のキャデラックに張ってあるような、すべすべした濃い赤のビニールを使ったおしゃれなお店です。まずコーヒーを注文し、渡されたメニューを勉強していたところ、ジムが声をかけてきました。 「早かったな。」 「もう、コーヒーは頼んじゃったよ。ジムも何か注文しなよ。」 「まあ、それはそうと、まずこの子を紹介させてくれ。」 そう言われて初めて、私はジムに隠れるように立っていた線の細い少年に気がつきました。日本人のようでした。背は低くはないけれども、非常に線が細い男の子でした。ジムは少年の代わりに説明をはじめ、 「この子は今日、俺が空港まで迎えに行ったミスター・フクモトの子供さんだ。シンジだったよな。」 と言いつつ彼の顔を見ました。少年はぺこっと頭を下げたのみで、あまり話したい様子ではありませんでした。 「まあ、席に座れよ。注文してから話そうよ。」 「そうだな。」 ジムはちょっと神経質気味にシンジ君を先に座らせ、その横に収まりました。ちょうど私と向き合ったシンジ君に、私は簡単に自己紹介をしてから飲み物を勧めました。短いスカートのウェートレスの注文取りが一段落したところで、私は話しはじめました。 「ジム、どうしたんだい。もう、入院はしなくてもいいのかい。」 「うん、何も異常はないし、仕事に戻らなくちゃいけないからね。もう出してもらった。ところがさ…。」 「ところが?」 「俺が迎えに行ったミスター・フクモトなんだけど、亡くなったんだ。」 「あの爆発でか?」 「そうだ。ここにいるシンジはなかなか帰ってこないお父さんを心配して、うちのハイヤー会社に電話してきたんだ。」 「それは、シンジ君もたいへんだね。」 私はそう話しかけてみましたが、彼はうつむいたままでした。ちょっとの間を置いて、ジムはかまわずまた話しはじめました。 「今日、病院にいたとき、FBIが事故現場にいた人たちに事情を聞きまわっていたんだよ。」 「君の奥さんから電話で聞いた。」 「そうだったな。それで俺も質問された。その質問された内容でびっくりしたんだが、どうも麻薬関係の話らしいんだな。」 「麻薬関係?」 「うん、ヘロインのことについていろいろ聞き込まれた。」 「おまえは関係ないんだろうな。」 「神に誓ってそれはない。」 「ところが、FBIはこのシンジの父親について、何か疑っているらしいんだ。」 そう言いながら、ジムはシンジ君に目を移しました。シンジ君はまだうつむいています。 「FBIは、運転手をするはずだった俺にいろいろ聞きたい様子だった。」 「おいおい、ここに来ていて大丈夫なのか。」 私は反射的にあたりを見まわしてしまいました。 「うん、うまく運転してきたから、尾行はなかったと思う。それにもう帰宅していいって言われてたからな。ただ、このシンジが心配なんだよ。奴ら、家族関係から何からみんな聞いていったから。もちろん俺は大して知らないけど、シンジも親父がいなかったら一人ぼっちだし、これから先、麻薬関係の聞き込みなんかがあったら弁護士が要るだろ。だから連れてきたんだ。」 「ひとりぼっちって…、お母さんは?」 この質問に対してはシンジ君がはじめて反応しました。つぶやくような日本語で彼は、 「母は死んだんです。二年前に病気で。」 「君は今いくつなの?」 「16歳です。」 シンジ君の声はか細く、弱い。どちらかというと色白の腕がテーブルの上のライトに照らされ、頼りなく見えます。服装を見ると高級そうなものを着ていますし、ちょっと神経質なところがある感じが育ちの良さ、お金のある家庭に育ったという印象を与えます。ぎゅっと結んだ唇をかたどる生気のない顔を見る限り、疲れているようです。それでも、やっと口を開いてくれた彼に、私はチャンスを逃すまいと質問を続けました。 「今はどこに住んでいるの?」 「父と二人でシークリフ(サンフランシスコの高級住宅地)に住んでいます…いました。」 ちょっとした間があいたところでジムが私を見て、 「ジュンペイ、FBIの感じだとシンジもちょっと深刻な問題に巻き込まれるかもしれない。なんとか、これからこの子を守ってやってくれないか。俺も大してこの子には関係ないけれど、一人ぼっちじゃかわいそうだしな。この子はまだあまり英語も話せないみたいだし。」 「うん。ただ、今現在は何も打つ手はないよな。別にシンジ君のお父さんが犯罪に巻き込まれていたという内容の捜査が行われているわけじゃないし。」 私はちょっと考えていましたが、シンジ君に、 「何かできることがあれば相談にのるから、いつでも不安になったら電話をしてね。」 そういって名刺を渡しました。シンジ君も自分の住所と名前、それに電話番号を教えてくれました。福本真治と書くそうです。メモを渡す手が震えていました。 「真治君、とにかく警察から電話があっても何も話したらだめだよ。FBIが絡んでいるからね。重要な犯罪を捜査しているはず。だから、警察が連絡してきたり、直接家にやって来たりしたら、必ず僕に電話するんだよ。」 「はい。でも…、あの、お金とかどうすれば…。」 「お金って、弁護士の費用かい?」 「そうです…。」 「別にまだ実際の事件になったわけじゃないから心配しなくていいよ。今はお父さんに不幸があって大変なんだから、がんばるんだよ。お金のことは後で話せばいいよ。」 ウェートレスがジムと真治君に飲み物を持ってきました。ジムは安心したのか、アイスティーを一気に飲み干しました。対照的に真治君は自分のコーラにはまったく口をつけません。しばらく私たちと話をしているうちにちょっとはほっとした表情になった真治君は、ジムと一緒に帰って行きました。私もちょっと冷めたコーヒーを飲み干すと、帰宅しました。夜のサンフランシスコは冷えますが空気が東京と違ってすがすがしいです。私は窓を全開にして肌を刺す空気を楽しんでいました。コーヒーを飲んだのでちょっと目がさえてしまいました。 本日現在、米国政府の一部の機関は財源の関係で引き続き閉鎖されている状態です。移民関連の機関については、移民局は申請手数料で財源が維持されているので影響は殆どでていません。しかし、CBP(税関-国境取締局)や米国大使館についてはウェブサイトが更新されない等の影響がでています。
本記事は、本ブログ作成前(2000年代)にMSLGのメンバーが執筆したコラム等のアーカイブです。現時点の法律や制度を前提にしたものではありませんので、ご留意下さい。
==== 弁護人席を越え、裁判官席の横についている関係者専用のドアを開け、裁判官の専用室(チャンバー)に入っていく。目の前には裁判官が法服を脱ぎ、自分の椅子に座り、机を挟んで検察官が何件もの起訴状が入ったファイルを抱えて談笑している。入ってきた私に裁判官は笑顔で座るように指示し、司法取引がはじまる・・・。 という感じで、アメリカで刑事事件を受任すると司法取引がはじまります。日本では考えられない制度かもしれませんが、アメリカの連邦や州の刑事裁判では日常茶飯事に行われている刑事事件上の手続です。アメリカの刑事裁判は、ほとんどの場合、初回のArraignment(第一回公判)で無罪を被告人は主張します。無罪を主張すると、次の期日が設定され、裁判官、検事、弁護人を交えてどのように裁判を進行させるかを話し合います。この会議が実質的には司法取引と呼ばれています。どのような内容の刑罰で事件を終了させるか取引するのです。 司法取引ではいろいろな経験があります。ドメスティックバイオレンス事件の司法取引の場面、夫が妻に対して物を投げたり、首を絞めたりして、傷害罪・監禁罪・証人威迫罪などで起訴されている事件です。裁判官専用室に入ると、裁判官は検事あがりの女性、検事も女性、事件の調査をしている保護監察局の調査官も女性。軽い冗談を言っても、誰も笑わないし、皆さん口が「へ」の字になっています。私が一生懸命情状酌量に訴えようとしても、何も返事が返ってきません。ちょっとの間をおいて、裁判官が「この被告人は刑務所に入った方が良い矯正になると思う」と言い出す始末。私を除いて部屋の皆さん同意している感じです。「初犯だし、会社勤めもしているし、家族もいるのですから、実刑が適当というのはちょっと通常の事例から逸脱していると思います」と私が言っても、「通常の事例より逸脱しているじゃないですか」と怖い顔で返されてしまいます。「取引の内容としては、全部の罪を認めるなら考えてもよい」と検事が言い出す始末。 結局機転をきかせて、司法取引を続行することにして、次回はうまく男の検事があたる曜日を設定しました。結局、司法取引は成功しましたが、冷や汗をかきました。 ある遠方での刑事事件を受任したときは、一回は私の体調が悪く運転ができなく、もう一回は裁判所の期日指定ミスで司法取引に行けなかった時があります。二回とも裁判官に謝りの手紙を書いておきました。もっとも二回目は私の責任ではなかったのですけどね。三回目に裁判所にいくと、裁判官が私の事件を法廷で呼びました。二回も期日が合わなかったので、怒られるかな、と思いきや、このように謝りの手紙を出すということを他の弁護士も見習いなさいと、誉められた上に、私の文章まで読まれてしまいました。ちょっと恥ずかしかったですが、その後の司法取引は、私の考えていた最低の刑で司法取引が成立しました。というより、裁判官が検事を説得してくれたのですけど。 このように、司法取引といっても人間の関係から成り立っていますから、法理論だけでは解決できない部分があります。もちろん、個人的に裁判官や検事を知っている、友達であるというだけではだめで、誠意を持って事件に取り組んでいるかということがもろに出てしまう場面かと思います。 なぜ、司法取引なんかをするのか、と思われますが、弁護側からいうと、いくつもの罪で起訴されている被告人が陪審裁判に負けると、実刑もついてしまうという場合、最低の刑で有罪という取引を行い、罰金などの軽い刑で終わらせられるというメリットがあります。一方、検察側としても、陪審裁判となれば、事件数を多く抱えていますから、準備も大変だし、負ければ昇進にも響きます。この結果がわからない陪審裁判という不確定な要素が、司法取引という文化をつくりあげているのです。 1月21日(月曜日) は祝日(Martin Luther King, Jr. Day)のためお休みさせていただきます。
ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。 当事務所はカリフォルニアのコートホリデーは休業日になります。 http://www.courts.ca.gov/holidays.htm |
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