■恩師の受勲
前回考えた質問を続けて考えていくつもりですが、今回は一度中断させていただき、私の恩人についてのことを書かせてください。国際的な環境と良くいいますが、口だけのことがほとんどです。日本人を世界で通用する教育をしようと、経験をもとに尽力を尽くす人はなかなかいないものです。教育は本当に重要ですし、かつ教える方にも大変だと思います。英語の喋れる人を引っ張ってきてもたかがしれています。その子供の価値観に影響するわけですから。 長年にわたって、教育の分野において日本人で世界において活躍する人を多数送り出してきた、鈴木典比古教授が最近受勲しました。私はパーティーを知り合いの(また、このひとも人格者の弁護士です。)M弁護士が出席したということで、教えてもらったわけです。 私は、鈴木典比古教授から学恩を受けたことはありません。私は、中学生のとき、勉強は良くできましたが、捻くれた子供だったと思います。家族の不幸などもあり、生意気だったと思います。中学生のときに、色々思うところがあり司法試験の一次試験というのを受けて、英語で落ちました。中学校では英語も偏差値が良かったのですが、英語でコンプレックスが生じたのを覚えたように思います。そんなときに、家族を通じて知り合ったのが鈴木典比古教授でした。当時、名刺をいただきましたが、「准教授」と書かれていました。なんだ、准教授というのは?と思ったのを覚えています。当時はそのような肩書は一般的ではなかったのです。鈴木典比古教授が「淳司くんは、日本にいたらダメになってしまう」ということで、アメリカに行く道を開いてくださりました。典比古教授の伝で、ティーンエイジャーの私はアメリカに渡り、学ぶことができました。 アメリカにいて、あまり、典比古教授と連絡を取りませんでしたが、いつも私の心には典比古教授の言われていたことが(いまでも)残っています。大学を卒業するときは、自分で言うのもなんですが成績も優秀でしたし、当時は大手の日本企業からいくつもオファーがありましたし、法律の勉強もできることができました。とにかく悩みましたが、典比古教授に、「君がやりたいことをしなさい」ということで、弁護士の道に進みました。その当時憲比古教授は、国際基督教大学の大学長になられていたと思いますが、自筆で諭されました。司法試験も一度で受かり、弁護士になりました。北米毎日新聞で「法律ノート」を連載しはじめましたので、典比古教授に記事を送ると。「悩みを持つ日本人の人達はたくさんいるはずです。ずっと、書くことは続けなさい」と言われて、今日まで続けてきています。今日まで続けられているのは、典比古教授の一言でした。それを私は今日まで忘れていません。 (これより先は、メールマガジンに登録された方のみお読みいただけます。)
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