沖縄の皆様からの物心両面にわたる御支援に支えられ、2000年の夏よりカリフォルニア大学ディビス校(英語での校名はUniversity of California, Davisだが、略してUCDと呼ばれている。)のロースクールに留学する幸運に恵まれた。現在までのロースクールにおける講義の様子を含めた留学生活について、つれづれなるままに述べさせていただきたい。
1、キング・ホール(King Hall)
UCDはアメリカ合衆国カリフォルニア州の州都サクラメントから西へ車で約20分、サンフランシスコからは東へ車で約1時間30分を経て到着する美しい街、ディビスに設立されている。ロースクールのプログラムは、アメリカの教養課程(Undergraduate)を卒業した学生を対象とする3年間のJ.D.(Juris Doctor、日本語に訳せば法学博士ということになろうか。) プログラムと、アメリカ国外からの留学生(主に外国人弁護士)を対象とする1年間のLL.M. (ラテン語でLegum Megister, すなわち法学修士ということになろうが、Doctorの上にMasterがあるようで少し奇妙である。) プログラムに分かれており、私もこのLL.M.プログラムで留学生活をスタートした。UCDのロースクールは、マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された年に設立されたことから、「キング・ホール」と呼ばれている。
UCDのLL.M.は少人数で構成されており、2000年から2001年度の学生数は13名、そのうち女子学生がイタリア・スイス・デンマーク・ドイツ・中国・パキスタンからそれぞれ1名、男子学生が韓国・チリからそれぞれ2名、日本から私を含めて3名という構成である。日本人のクラスメイトは、1人が東京のいわゆる渉外弁護士事務所の弁護士、もう1人が公正取引委員会の職員であった。
UCDの場合、LL.M.用の特別の科目は「アメリカ法入門」というコースが1つ設けられているのみで、その他はすべてJ.D.が履修する科目の中から選択できるように設定されている。1年間のコースは8月下旬から12月までの秋学期、翌年1月から5月までの春学期に分かれており、多くの科目は学期ごとに履修することとなっている。
2、 手探りの秋学期 (Fall Semester)
秋学期の科目は、LL.M.用のコースであるアメリカ法入門(Introduction to American Law)、UCDではLL.M及びJDの1年生(ロースクールでは1L(ワン・エル)と呼ばれる。)用の必修科目とされているリーガル・リサーチ (Legal Research)のほか、1L用の科目の中から民事訴訟法(Civil Procedure)と不法行為法(Torts)を選択することとした。
これらの科目の聴講時間をまずご覧いただきたい。
民事訴訟法:月曜日から金曜日の午前9時から10時
不法行為法:月曜日、火曜日、及び木曜日の午後2時から3時
アメリカ法入門:火曜日の午後5時から7時
法律検索:金曜日の午前10時から11時
皆さんはこれを見てどう思われたであろうか?「何だ、日本の大学よりずっと楽じゃないか。」と思われた方もいらっしゃるかもしれないが、残念ながら私にとってはそうではなかった。
アメリカ法入門や法律検索といった特殊な科目を除き、ロースクールの講義は科目ごとに担当教官が指定する分厚い判例集(ケースブックと呼ばれ、判例の解説などはほとんど書かれていない。)の中から、次の講義の日に検討する判例を学生が予め読んでくるように指定され、講義ではその判例について教授と学生との間で質疑応答が行われる形で展開される。「講義」と訳しているが、UCDの履修要綱では全てDiscussion(討論)と記載されており、いかに講義中の討論が重視されているかがわかる。このような講義形式(ケース・メソッド形式)は、当事者の主張がぶつかり合う実際のケースの中でその解決のために生み出されたルールこそが法である、という英米法の精神に由来するものらしい。
予習してくるように指定される頁数は1科目につき10頁から20頁であるが、きちんと読んでおかないと講義についていくことは不可能となり、教授から指名された日には多くの学生の前でさらし者にされ、大変恥ずかしい思いをすることになる。かくして、学生たちはいわば強迫的に予習に時間を割かれるのである。教授から質問される内容は、割り当てられた判例について、「この事案の概略は?」とか、「この判例における争点は?」といった比較的答えやすいものから、「もしこの事案において捜査官が令状を得ることが出来なかった場合はどのように考えるか?」といった応用問題や、「この判例とそれ以前の判例の違いは?」といった理論的に突っ込んだものまで様々である。これに対して学生たちは、割り当てられた判例を事案、争点、争点に対する判断、判断にいたる理由付け、といった項目ごとに要約したもの(ケース・ブリーフ)を準備し、教授からの質問に備えることになる。
コースごとの講義の様子は次のとおりである。
(1) 民事訴訟法
アメリカの民事訴訟法の大きな特色は、何といっても、管轄の問題(特に、どの州の裁判所、もしくは連邦の裁判所が事件を審理する権限を有するのかの問題)に極めて多くの時間が割かれることである。単一国家である日本とは異なり、それぞれ独自の法制度をもつ50の州等から構成される連邦国家で、しかも広大な国土を有するアメリカにおいては、管轄の問題が日本とは比較にならないほど重要となるからであろう。そして、連邦内での管轄を規定する理論が、国際訴訟においても応用されているのである。
講義を担当されたジェームズ・ホーガン(James Hogan)名誉教授は、学生を指名して難しい質問をするといったことは全くなく、重要な点は何度も繰り返して説明してくださるなど、留学生として英語での講義に苦しむ自分には大変有難かった。JDの学生からも大変評判が良く、秋学期最後の講義の後は、学生は皆スタンディングオベーションで先生を見送った。この民事訴訟法や不法行為法といった1L用の科目については、クラスごとに2Lや3Lの学生の中からTA(テーチィング・アシスタント)が選ばれ、学生からの質問に答えるなど、学生をサポートしてくれる。たまに復習用のクラスを開いてくれるほか、オフィス・アワー(教授やTAが指定された部屋で質問を受けることの出来る時間で、週に2回、約2〜3時間ずつ設けられている)には学生からの質問を受け付けてくれる。私はたまたま3LでTAのブレアー(Blair)とキャレル(ロースクールの図書館の中にある自分専用の閲覧席で、LL.M.の学生には一人に一つずつ割り当てられる。)が近くであったので、試験対策のことなど、いろいろと教えてもらった。
(2) 不法行為法
民事訴訟法の講義には興味深く取り組めたのだが、不法行為法の方はあまり好きになれなかった。後に述べるように、期末試験で悪い点をつけられたというのもあるのだが、担当のリサ・プルーエット(Lisa Pruitt)教授の講義の進め方が、なるべく自由に討論をさせるというスタイルをとっていたために、ネイティブの学生たちと教授との間で議論が始まってしまい、そうなると外国人の英語力ではお手上げになってしまうからである。留学前に「ロースクールではとにもかくにも発言しないと話にならない。」と言われていたのだが、そのことを一番痛感させられたのがこのクラスであった。ちなみに、このプルーエット先生、LL.M.からこのクラスに出席していた中国人のジーホンや韓国人のドンバェに対し、いきなり難しい判例について質問をぶつけるなど、なぜかLL.M.の学生に厳しい人であった。もっとも、J.D.の学生からもあまり人気が高い方ではなかったようである。不法行為法の学習のプロセスは、日本での「刑法各論」と良く似ており、Assault(脅迫)とか、False Imprisonment(不法監禁)といった行為類型ごとに成立要件が定められ、それらを押さえながら、要件ごとに問題点を検討するというものであった。こちらのクラスのTAは3Lのレイチェル(Rachelle)で、彼女は突然emailで質問を送信しても丁寧に答えてくれた。レイチェルも民事訴訟法のTAのブレアーも、長身の美女なのだが、ブレアーはアラスカの裁判所のクラーク(裁判官が個人的に雇用する調査官で、優秀な成績を収めた学生しか選ばれない。)に選ばれ、レイチェルは全米模擬裁判大会のUCD代表団に選ばれるなど、2人とも大変優秀な学生である。
(3) アメリカ法入門
このコースは、LL.Mの学生に対し、担当のフレデリック・ユァンガー(Frederich Juenger)教授がアメリカ法の歴史を解説しながら討論するほか、全員に対しテーマを自由に設定させて論文を提出させ、これに基づいてプレゼンテーションをさせるという進め方がとられた。少人数で、しかも受講者はLL.M.の仲間ばかりなので、比較的気軽に発言することができ、クラスの中で積極的に発言する訓練としても大変役立ったと思う。私はテーマとして司法取引(Plea Bargaining)を選んでみた。アメリカで発達し、日本では認められていないシステムだが、捜査機関の必要性を確保しつつ弁護人の活動の場を広げるために日本にも部分的に導入を検討してもよいのではないか、という形での展開を試みた。教授やクラスメイトから鋭い質問を浴びて答えきれなかった点も多く、プレゼンテーションの難しさを痛感させられるとともに、テーマ自体が非常に重く、自分でもいまだに整理できていないのだが、論文・発表を準備する過程で、アメリカの刑罰法規の中にはいわゆる三振アウト法(三回以上重大犯罪...といっても、殺人などに限られるのではなく、窃盗や小切手の偽造等も含まれるのだが...を犯すと無条件で仮釈放なしの終身刑判決が下される。)など、日本では考えられないような厳格なものがあることを知ることが出来た。また、日本や韓国の印鑑制度が話題に上ったこともあったのだが、ヨーロッパから来たクラスメイトたちが、「もし全く同じ印鑑を偽造され、これを使用されたらどのようにして防ぐのか」など、興味をもって熱心に質問してくれた。西洋の人々にとっては、奇妙な制度なのかもしれない。 自分の発表の回以外は特に予習をしなくてもよく、普段は別々の科目を受講しているLL.M.のクラスメイトとも会えるとあって結構楽しむことができた。ユァンガー教授は、85歳という高齢でありながら、英語・ドイツ語・スペイン語・フランス語を自由にあやつり、日本を含む諸外国の法制度にも造詣が深く、学生たちからも慕われていたのだが、今年の1月、春学期が始まって間もなくこの世を去られた。まだまだ教えていただきたいことがたくさんあったこともあり、本当に残念なことであった。
(4) リーガル・リサーチ
この科目は読んで字のごとく、制定法、判例などあらゆるリソース(法源)から仮題(Hypo)となる事件を解決するために最も適切な法を検索する方法を学ぶことを目的とする。講義ごとにHypoが与えられ、その解決に適当な法を検索し、これを適用して解決するまでの過程を記載したメモを提出する形で進められる。最初はパソコンでの検索が禁止されていたので、それこそ宝探しのようにロースクールの図書館を歩き回った。この科目は全米のロースクールにおいて1Lの必須科目となっているとのことであった。連邦と50の州等、それぞれの地域に数多くのリソースがあるので、適切な法を迅速に探す必要性が大きいこともさることながら、ロイヤーとなった後、自分が法廷で担当している事件について先例としての拘束力をもつ判例の参照を怠った場合、懲戒を受けることもあるとされるくらいに、法の検索がロイヤーの職業倫理にかかわっていることとも関連しているようである。ここでは検索した法の引用の仕方についても教わった。ハーバード・ロースクール等が作成した「ブルー・ブック」が全米における統一された引用方法を定めているのだが、この規定がまた大変細かい。U.S. ReportsのVolume477の57頁以降に掲載されている判例であれば、必ず、"477 U.S. 57"と引用しなければならず、これ以外の方法で引用することは許されない。これは法学者の間のルールにとどまらず、弁護士にも適用され、裁判所に提出する文書に弁護士が間違った形式で判例を引用すると馬鹿にされるそうである。LL.M.のクラスメイトたちの中には、「アメリカで働くわけでもないのになぜこのような細かいルールを覚えさせられなければならないのか。」と憤慨している仲間もおり、私も最後の方はいささかうんざりさせられたのだが、アメリカのロイヤー社会の几帳面な一面を垣間見ることができた点では収穫があったように思う。
3、 ブッシュ対ゴア事件
秋学期は、初めて本格的なロースクールの講義を受けたとあって、馴れるまでのとまどいはあったものの、クラスメイトや他のJ.D.の学生たちとの間で交流を深めることもでき、ロースクール外でも結構楽しむことができた。週末には韓国人のクラスメイトとこちらで初めて覚えたゴルフに出かけたり、近所に住む中国人のサークルに混じってテニスをしたりすることもできたのだが、とりわけ印象に残ったのは、歴史に残る大激戦となった大統領選挙であった。
アメリカの大統領選挙は、それぞれの州で勝利を収めた側がその州に割り当てられた選挙人を獲得し、より多くの選挙人を獲得した方が勝利するという、いわば陣取りゲームである。今回のジョージ・W・ブッシュ対アル・ゴアの戦いは、事実上両候補の一騎打ちとなることが決まった時点でかなりの激戦になることが予想されていた。投票日には、LL.M.プログラムのディレクターであるフロイド・フィーニィー(Floyd Feeney)教授が、LL.M.学生のために、UCDの中に設置された投票所を見学するチャンスを与えてくれた。その時に、候補者欄の横に丸印が並び、自分が支持する候補者欄の枠の中にパンチで穴を開けて投票する仕組みの投票用紙を見せてもらった。「有権者の中には、うまく穴をあけられない人もいるかもしれないな。」と、ふと疑問を抱いたりしたのだが、この時点では、まさかこの投票用紙がその後の争いの焦点になるとは思いもしなかった。さて、投票所の見学を終えて家に戻り早速テレビを見ると、ほとんど全ての州で激戦となっているものの、陣取り合戦の結果が次第に判明し、勝敗が決していない残りの州の中では、27人の選挙人を割り当てられているフロリダ州で勝利した側が大統領となることが明らかとなってきた。フロリダ州では終盤の開票速報でもブッシュが僅差でのリードを保ち続け、CNNの発表した「ブッシュ当選確実」というアナウンスと、ゴアがブッシュに祝福の電話を入れたというニュースを見て、「やはりブッシュか...。ゴアはラルフ・ネーダー(第3の候補者で、2パーセントの票を獲得した弁護士)に票を食われたのが痛かったのかな?」などと思いながら床についたのだが、実は本当の戦いはまだ始まったばかりであった。私は翌朝のテレビで初めて知ったのだが、ゴア陣営がフロリダ州の選挙結果について異議を申し立てたのだ。フロリダ州では、投票日の開票結果ではブッシュがゴアを1700票余り上回ったが、この差は投票総数の0・03%しかなく、得票数の差が0・5%未満だった場合は票を数え直すことができるというフロリダ州の規定により、フロリダ州の各選挙区の選挙管理委員会が投票日2日後に票を数え直したところ、2人の差は何と200票近くにまで縮まった(当初の数字は、機械による集計と言う点では同じなのだが、あくまで大まかな集計にすぎないのでこのようなことが起こる。)。ゴア陣営等が申し立てた異議の内容は多岐にわたり、それぞれが裁判所に持ち込まれたのだが、最も重要な争いとなったのが、先に述べた仕組みの投票用紙(問題となったフロリダ州の選挙区における投票用紙もこれに似たタイプのものであった。)では、機械による開票作業によっては有権者の意思を正確に反映することができない(例えば、パンチによってあけたはずの穴が十分にあけられていなかった場合には、機械では正確に読み取ることが出来なくなる可能性が十分にある。)ので、大接戦となっている選挙区について、手作業による再集計(Manual Recount)を認めるべきかどうかが争点となった事件であった。まずフロリダ州の地方裁判所がゴアの訴えを全面的に棄却し、ゴアももはやこれまで、と思われた時に、フロリダ州の最高裁がゴアに逆転勝訴の判断を下した。これを受けて、手作業による再集計の準備が整えられた時に、ブッシュが合衆国連邦最高裁に申し立てた、手作業による再集計の緊急差止めを求める申立てが9名の最高裁判事のうち5名の多数意見により認められ、いよいよ決戦の舞台は連邦最高裁へと移ることとなった。結構複雑な事件なのだが、あえて乱暴を承知でまとめると、中心となった争点は、「手作業による再集計を明確な基準なしに(手作業による再集計を行うとなると、機械で読み取ることができなかった投票のうち、どこまでを有効な投票として集計するか、例えば、パンチの穴が貫通しているものだけを認めるのか、といった点に関する統一的な基準の必要性が問題となる。)行うことは、合衆国憲法の定める平等保護条項(Equal Protection Clause)に反するのではないか、」との点であった。連邦最高裁で開かれた口頭弁論の内容は録音されてその日のうちにテレビで中継されたのだが、最高裁判事と代理人弁護士との間での厳しい質問と回答の繰返しという、緊張度の極めて高いやり取りの中でも、時にユーモアを交え、笑いを誘うことを忘れないスタイルには感動を覚えた。結局、5対4という僅差で、フロリダ州最高裁判決に基づく手作業による集計の開始は合衆国憲法の平等保護条項に反するという判断が下され、ゴアが「連邦最高裁の判決には納得できないが、これを受け入れる。」という声明を出したことにより、ようやく長期間の大激戦が終結することとなった。 早く大統領が決まって政策がはっきりして欲しいと思っていた人たちにはうんざりだったかもしれないが、留学生の私にとっては、4年に一度の「お祭り」をたっぷりと見物させてもらうことができた。
4、 初めての秋学期期末試験(Final)
11月で講義は終了し、12月からはいよいよロースクールの期末試験が始まった。各科目の教授はそのほとんどが学期の初めもしくは途中で成績を評価する基準を発表する。例えば、期末試験の成績が80%、その他20%は講義中に積極的に参加したかどうかなども加味する、といったものであるが、もちろん期末試験が最も重要なウエイトを占める。J.D.の学生たちにとって、ロースクールの成績は就職の際にも重要となるので、比較的のんびりしているように見えるUCDの学生たちも、試験シーズンは皆少し緊張している様子であった。 アメリカ法入門とリーガル・リサーチはレポートが課題となっているので試験はなく、民事訴訟法の試験は多肢選択式(Multiple Choice)、不法行為法の試験は論文式(Essay)の試験であった。試験時間は民事訴訟法が4時間、不法行為法が2時間なのだが、LL.M.の学生には試験時間1時間ごとに20分ずつの期間がオマケとして与えられるので、民事訴訟法が5時間20分、不法行為法が2時間40分ということになる。 まずは不法行為法の試験を受けたのだが、意地悪な(?)プルーエット教授が作った問題だけあって、論点がものすごく多く隠されていたようである。論文式の試験は、論点を多く見つけて解決した者ほど成績が良く、「A」を獲得した模範答案(図書館で手に入れることができる)ですら、文章を気にせず、ひたすら書きなぐってやっと時間内に終えたように見えるくらいなのだが、40分のオマケをもらっても十分に書くことはできなかった。 民事訴訟法の試験は、Multiple Choiceなのだから外国人でも余りハンディはないだろうと考えて臨んだのだが、教授が練りに練って作成した問題だけあって、なかなかタフであった。ただ、制限時間だけはJ.D.たちと同じ土俵で勝負してやろうと考え、何とか4時間ぎりぎりで終えることができた。 3週間の期間中わずか2科目を受験しただけなのだが、それでも結構疲れたので、4科目以上受験し、しかもそれが就職に関係してくるJ.D.たちのプレッシャーは相当なものであろう。
5、 地獄の春学期
クリスマスをはさんだ冬休みが終わり、年が明けて始まった春学期最初のビッグ・イベントは期末試験の成績発表である。ロースクールでは、成績の評価の仕方にも厳しい決まりがあり、教授が勝手に全員にAをつけたり、あるいは誰にもAをつけなかったり、といったことは許されない。成績は良い方からA、B、C、Dの順であり、なぜかEがなくFが不合格である。AとBの間にはA-、B+というようにさらに細かくグレード分けされており、Aは4.0、A-は3.7、B+は3.3、Bは3.0というようにそれぞれポイントが設けられている。 学生たちはパソコンを使って自分のデータベースに接続して自分の成績を知るのだが、民事訴訟法や不法行為法といった1L用の科目は、受験番号(答案用紙には氏名を書くことは許されず、自分に与えられた受験番号のみが記載されることになる。)と成績を記載した表が張り出される。不法行為法は予想していたとおりできが悪く、Cを付けられてしまった。民事訴訟法はプレ・テスト(1Lの学生のために成績をつけずに実施する中間テスト)で結構よい点がとれたので、ひそかにAを狙っていたのだが、B+であった。ブレアに報告したところ、「よく頑張ったじゃない。AやA-の人は数人しかいないのよ。」と励まされた。 さて、春学期の科目の方は、少し悩んだ末、刑事訴訟法(Criminal Procedure)、国際私法(International Private Law)、証拠法(Evidence)の3科目を選択することとした。春学期のスケジュールは次のとおりである。
刑事訴訟法:月曜日の午前9時から10時、水曜日、木曜日の午前10時から11時
国際私法:月曜日、水曜日、木曜日の午後1時から2時
証拠法:火曜日から金曜日の午前11時から正午
この時間割だけを見れば、負担は秋学期とほぼ同じ程度で済むのではないかと予想していたのだが、甘い期待は見事に裏切られた。
(1) 刑事訴訟法
日本とは異なり、裁判所での手続は主に証拠法で扱われるので、捜査段階での手続が中心的に扱われる。日本の法律は全般的にドイツ法の影響を受けたものが多いが、憲法と刑事訴訟法は第2次世界大戦後にアメリカのものをモデルにできあがったとされているので、刑事訴訟法なら少しはわかりやすいかな、と思ったのだが、この目論見もまた外れてしまった。たしかに日本で習ったことが役立つ面も多いのだが、担当のフィーニィー教授(先に述べたLL.M.のディレクターを務められている先生で、人柄は大変温厚な方である。)の講義方法が、ロースクールにおける古典的かつ厳格な方法として知られる「ソクラテス・メソッド」に沿っていたからであろうと思われる。講義では予習してきた判例の前提事実を少しずつ変えながら、「この場合はどうか」というふうに応用力を要求する質問が次々と浴びせられ、しかも1回の講義でかなりの学生が指名されるため、順番がすぐに回ってくるので、予習も講義も気を抜くことが出来ないのである。私もこれまでに数回指名されているが、質問に対してトンチンカンな回答をしてしまい、随分恥をかいてしまった。
この講義では、試験の成績や講義への参加以外に、パトカーへの同乗(Ridealong)、及び違法収集証拠の排除に関する聴聞手続(Suppression Hearing)についてのレポートを提出すると得点がもらえる(但し、B+の学生の成績をAやA-に上げるものではないとのことである。)エクストラ・クレジット(Extra Credit)のシステムが採用されており、私も利用させてもらった。パトカーの同乗ではディビスの警察署を利用させてもらったのだが、さすが平和な街だけ会ってスリリングな場面は全くなかったが、一人暮らしの老人女性が倒れたといって駆けつける場面に立ち会うなど、犯罪の捜査ばかりでなく市民の福祉のためにも忙しく奔走している警官の業務を窺い知ることができた。Suppression Hearing では、サクラメントの公設弁護人事務所の弁護士から適当な事件を紹介してもらい、傍聴させてもらった。別の犯人の冒した別件についての捜索中、たまたま居合わせた、捜索の対象事件と無関係な被告人に捜索を実施し、押収した銃を銃刀法違反の証拠から排除されるべきかどうかが争点となった事件であった。弁護士は最高裁の判例を引用しながら主張を展開していたが、裁判官はニヤニヤしながらこれを聞き、捜索・押収を担当した警察官の尋問が行われることになったのだが、レポートの期限の関係で証人尋問の期日に立ち会えなかったのは残念であった。
また、講義の際にJ.D.の学生たちの前でプレゼンテーションを行うチャンスにも恵まれた。LL.M.の学生でこの講義に参加していたのは、イタリアから来て、電動式の車椅子に乗りながら学習しなければならないハンディを背負いながらも頑張っているリサ(Lisa)と私の二人だったのだが、「アメリカ人の学生たちに、自分たちの国の制度以外にも様々な制度があることを知ってもらいたい。」というフィーニィー先生の計らいで、リサはイタリアの司法取引制度について、私は被疑者・被告人の供述の扱いに関する日米比較についてプレゼンテーションを行うことになった。よく言われることであるが、予備知識のない聴衆に対するプレゼンテーションを成功させるためには、ポイントとなる部分を絞って分かりやすく説明することが肝要である。私は、大変おおざっぱな比較となることを覚悟の上で、日本では、被疑者段階においては被疑者の供述調書に被疑者の署名があるかどうかが証拠の採否の上で決定的に重要となること、公判廷においては被告人が自ら供述した後でも個別の質問に対して黙秘権を行使できること(アメリカでは、被告人が自ら宣誓し証人として供述した場合、自己負罪拒否特権を放棄したものとみなされ、もはや質問に対して黙秘することはできなくなる。)の2つの点を強調した上で、最後に、「もし皆さんが将来日本の裁判官に会うことがあったとしても、私が今日ここで、被疑者が供述調書に署名しないという形で自らの権利を守ることができると述べたことは、決してお話しないでほしい。」というジョークでしめくくった。このジョークは意外に受けたらしく、プレゼンテーションの後、何人かのJ.D.の学生から、「楽しませてもらってありがとう。」と声をかけてもらった。
(2) 国際私法
別名を抵触法(Conflict of Laws)と呼び、各州間及び各国間での管轄の問題、適用する法律、判決の執行に関するルールの習得がテーマとなる。民事訴訟法についても述べたように、アメリカが各州間における問題の解決手法を国際間の問題の解決に応用していることがよく分かる科目でもある。担当のキャロル・ブルック(Carol Bruch)教授は、講義の中でも、「日本ではどのように定められているのですか」といった質問をしていただくなど、留学生に対しても大変親切な先生であった。
比較的少人数のクラスでもあり、発言の練習という点でも良いのだが、宿題の量は大変多く、毎回20頁から40頁近くの読書をこなさなくてはならない。他の科目では、予習の際、全てのケースについてケース・ブリーフを作成していたのだが、この科目でそれをやっているととても追いつかないので、これはあきらめ、コンピュータで検索した判例の要旨をそのままダウンロードして講義に備えざるを得なかった。
また、キング・ホールでは、J.D. の学生もLL.M.の学生も、卒業するためには最低20頁の論文を作成し、教授にこれを承認してもらわなければならないのだが、「日米間における養育費の執行」をテーマに選んだ私は、その内容が国際私法や家族法にかかわってくるので、ブルック先生にお願いして論文を見ていただいた。ブルック先生は、講義の面白さとでは残念ながら学生の評判が高い方の先生ではなかったようだが、論文の指導・添削は本当に丁寧にしていただいた。
(3) 証拠法
日本の大学では見られない「証拠法」がロースクールの科目とされている理由は、アメリカの裁判が陪審制を採用していることに基づいている。プロではなく、素人の陪審員が証拠を吟味することになるので、どういう証拠を陪審に見せるべきなのか、という証拠の採否に関するルールが(良いことかどうかは別として)日本では考えられないほどに発展しているのである。刑事裁判及び民事裁判の両方で陪審制が採用されているので、証拠を陪審に提示するためのルールである証拠法は両方の手続に共通するものとして扱われる。 証拠法のメインは何と言っても伝聞法則(Hearsay Rule)であり、多くの時間がその習得のために費やされる。日本の刑事訴訟法でも扱われるのだが、この伝聞法則も日本とは比較にならないくらい多くの判例が蓄積されており、2回行われた中間テストはいずれもこの伝聞法則のみを対象として行われた。 担当のリチャード・ワイディック(Richard Wydick)教授はUCDではホーガン先生と同様に、教え方が上手なことで知られており、OHPで得意のイラスト(伝聞法則の説明のために事例を持ち出すのだが、事例ごとに登場人物の顔を工夫したイラストを見せて説明してくれる。)を駆使するなど、工夫をこらして分かりやすく教えて下さった。もちろん、ワイディック先生も春学期最後の授業にはスタンディングオベーションで見送られたことはいうまでもない。
6、 長男の誕生
春学期の厳しさにもやっと馴れて来たかと思い始めた2月4日、アメリカで元気に産まれてくることを心待ちにしていた息子が突然亡くなってしまった。妻は既に妊娠38週目に入り、母子ともに順調であると言われていた。夫婦でベビー用品を買い揃え、英語の両親学級にも参加し、携帯電話も準備して、いつ産まれても大丈夫なように準備をしていた矢先のことであった。ロースクールの予習の合間に妻のお腹から我が子の胎動を感じるのが毎日の楽しみで、元気に産まれてくればロースクールの近くの美しい池のほとりを乳母車に乗せて散歩させてやろうなどと、楽しい計画を思い描いていたのだが、そのような楽しみも全て奪い去られてしまった。息子の死亡原因は、へその緒が首と足にきつく巻き付いてしまったというものであった。医師によれば大変稀なことであるらしく、どう考えても防ぎようのない事故であった。出産直後に抱いてあげた息子は、まるで生きているように暖かく、本当に可愛らしかった。死んでしまったことが信じられないくらいであった。元気に生まれてくれば、日本とアメリカ両方の国籍を取得できるはずだったので、生まれる前から決めていたとおり、穣(Joe)と名づけ、弔ってあげた。正直なところ、事故からかなりの時間が経った後も、その悲しみは消えずに残ったままである。しかし、事故の後で周囲の人々から受けた親切な心遣いには心から感謝している。病院の看護婦さんからは、亡くなっているとわかっていながら痛みに耐えて我が子を出産した妻を懸命に励まし、慰めていただいた。サクラメントの友人は、まるで自分の孫が亡くなったかのように悲しみ、馴れない土地での葬儀やお坊さんの手配をして下さった。クラスメイトやディビスのインターナショナルハウス(UCDの留学生たちやその家族と地元の人々との交流をはかるための施設である。)の人々からは、暖かい言葉のつまったカードをいただくなどして、傍から見てもかわいそうなくらいに落ち込んでいる妻を励ましてもらった。ディビスやサクラメントでは、カウンセラーや子供を亡くした親たちのサポートグループの活動なども含め、精神的なダメージを受けた人々に対するケアが充実しており、本当の意味での心の豊かさとは何かを痛感させられた。 穣の死後1週間ロースクールを休学したが、その間も容赦なく講義は進んでいく。クラスメイトには、休んでいる間のノートをとってもらったが、それらの復習も含めて、復学してからは再びケースブックに縛り付けられる日々が始まった。少なくとも勉強している間は、少しは事故のことを忘れることができるので、いつもは恨めしいはずの大量の宿題が有難く感じられることもあった。
7、 しめくくりの春学期期末試験
事故から2か月を経た4月の末からは春学期の期末試験が始まった。自分自身が悲しいだけでなく、もっと深く悲しんでいる妻と励まし合いながら試験に備えるのは本当に辛かったが、息子の死を無駄にしてはならないという一心で何とか乗り切ることができた。今回の試験は、刑事訴訟法と証拠法がMultiple ChoiceとEssayの組合せ、国際私法がEssayのみという形式で行われ、時間はそれぞれ3時間(LL.M.にはこれに1時間のオマケがプラスされる。)が与えられた。フィーニィー先生の刑事訴訟法とワイディック先生の証拠法は、ロースクールのホームページ上に過去問が公開されていたのでこれを解いてみて、刑事訴訟法についてはリサと答え合わせをしてみた。ブルック先生の国際私法については過去問が公開されていなかったので、やむなく、市販のアウトライン(法律書の出版社などが、学生の試験対策用に発行している各科目のアンチョコ用教材であるが、日本とは異なり、多くの場合、ロースクールの教授が執筆している。)を使って勉強せざるを得なかった。また、試験対策のためには、J.D.の学生から何とかして講義のノートを見せてもらうことも重要である。不十分な英語力でノートをとってみても、その出来には自ずから限界が存するからである。UCDの場合、J.D.の学生たちものんびりしているせいか、「他のJ.D.の学生には見せないでほしい」という条件付きではあったが、ほぼ全科目でノートのファイルを入手することができた。期末試験の全日程が終了するとすぐに卒業式が行われるので、期末試験の結果がわかるのは卒業式から1月半以上も経過した後のことである。つまり、卒業式が済んだ後も自分が無事卒業できたかどうかがしばらくわからないのであるが、刑事訴訟法B、証拠法B、国際私法B+という成績でとりあえず卒業することができた。ちなみに、ヨーロッパから来たLL.M.の女子学生たちの成績は本当に素晴らしく、リサは1科目を除いて全てAをもらっていた。もしJ.D.の学生たちがこのことを知ったら、もう彼らはLL.M.の学生にもノートを見せてくれなくなるかもしれない。
8、 思い出に残る卒業式
すっかり暖かくなり、夏を思わせるような暑さすら感じるようになった5月19日、卒業式が行われた。ご両親が見に来られることも多いので、土曜日に行われる。期末試験の期間中に配られる黒のガウンを着て、黒のキャップをかぶると、すっかり偉くなったような気がするから不思議である。学部長や卒業生代表のスピーチもあったのだが、残念なことにあまりよく聴き取れず、1年経っても思ったほどにはリスニング力がアップしていないことに気付かされた。1年という期間は長いようで短く、親しくなったLL.M.の仲間たちともう別れなければならないかと思うととても淋しく思われたが、これからは世界中で自分の友達が活躍することになるのだ、と思い直すことにした。セレモニーを終え、皆でめいめい写真を撮り合った後は、フィーニィー先生がご自宅でパーティーを開いて下さり、改めて皆で別れを惜しみ合った。
9、 おわりに
以上が私のロースクール生活のあらましである。大きな悲しみに直面させられることとなってしまったが、アメリカだけでなく世界各国からの友人との交流を含め、ロースクールでの生活を通じて得た経験は自分にとって貴重な財産となったと思う。この留学の実現に協力して下さった沖縄の皆様に感謝するとともに、他にも沖縄から1人でも多くの方がアメリカのロースクールに留学されることを願う次第である。