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■初心に戻って■

 11月の前半何週間は何となく仕事の効率がよくない、やる気ものらない、人間関係も今ひとつといった状態でした。 皆さんもスランプの時期があるのではないでしょうか。 私も、がんばってもがんばっても渦から抜け出せないといった感がありました。 私は通常「体力勝負」で仕事をしていますので、このような「こんにゃく」のような状況になることはほとんどありませんが、なってしまったものはしょうがない。 悶々としていた気持ちの打開策は一本の電話からはじまりました。
 弁護士会のボランティア・サービスから低所得者の弁護依頼の電話がありました。週のはじまり月曜日でしたので、私も忙しくしていましたがうまく電話にでることができました。 最近では自分の実務に追われてなかなかボランティア・サービスにも顔を出せなくなっていたので、まずはサービスのみんなが元気でやっていることを確認しました。 電話越しでの依頼は「病気で家賃が払えなくなり、小さな子供を二人抱えて困っている賃借人の立ち退き弁護」でした。 調停は二日後、陪審裁判も数日後という、通常ではどの弁護士でも引き受けられないような事例でした。 しかし弁護人がいなければ調停や陪審裁判はうまくいきません。 私も受任を躊躇しました。 私は、「他の法廷弁護人にあたって、どうしても誰も引き受けられないならまた電話をください」と自分の予定表をにらみながら電話を切りました。 仕事をしながら、時間を見つけてこの寒くなった時期に立ち退きに遭ったら大変なことになるな、とか子供の学校とかはどうするのだろう、などと考えを巡らせていました。夕方五時になる直前にボランティア・サービスから再度電話がありました。やはり、法廷弁護人が見つからず、どうしても私に引き受けて欲しいということでした。 丁度、二日後は時間が空けられそうだったので、私は承諾して、次の日の夜、仕事が終わって遅い時間にクライアントに来てもらうことにしました。
 次の日夜遅く、私の通常の業務が終わり、他の弁護士が全員帰ってしまって静まりかえった事務所に依頼人の女性は子供を二人連れて現れました。 二人の女の子は五歳と七歳。 私の持っていたジェリービーンズをおいしそうに食べて、白い紙にお花や蝶々を書いていました。 依頼人のご主人は日雇いの仕事からまだ帰ってきていないそうです。 依頼人の女性の白人は疲れ切った目の下のくまが濃く、髪の毛もぼさぼさでした。 事情を聞いていくと、私も腕を組んでうなってしまいました。彼女の病気は現代の医学は不治で、皮膚が破壊され病変していくものでした。 病状が進行すると死亡する例も多くある病気です。 彼女は病院通いと療養で働くことができなくなり、ご主人も看病で毎日は仕事ができなくなってしまいました。 そのような状態が何ヶ月も続き、六ヶ月間家賃を滞納して立ち退き訴訟に発展したのです。 もちろん大家さんにしても家賃をもらわなくてはファイナンスが廻りませんから困ったことになりますが、賃借人にしても今すぐ追い出されてはホームレスになってしまいます。 そうなれば子供たちも生死の問題になりかねない。涙ぐむ依頼人はいろいろなアパートの問題を挙げてネズミがでるとか、水漏れがするとかいろいろ訴えました。 サンフランシスコではこういった家屋の基本的な居住性が立ち退き裁判の防御となる場合があるのですが、私は依頼人の病状を全面に出すことにして、依頼人にできる限りの医療記録を集めることにしました。 医療記録を集めたからといって、立ち退き裁判の防御には法律的になりません。 しかしストレートに行けば陪審裁判では負けてしまいます。 家賃を払っていないのですからね。 それではこちらの状況を訴えていくしかない。 そう判断したのです。理論ではなく法廷での感です。 依頼人の希望はあと五ヶ月間、家賃を払ってもよいから居たいということでした。 私は、過去の家賃を払わなければ難しいと思いつつがんばってみると依頼人に告げ、次の日の法廷の時間を確かめて依頼人と別れました。 私は訴状を見て相手方のユダヤ人弁護士の顔を想像して事務所を出ました。
 調停の日、私の事務所でまだ法廷活動を生でみたことがないアシスタントを同行しました。 私の法廷活動を見てもらいたかったからです。 私はその日の調停にすべてを賭けていました。 陪審裁判に至った場合は分が悪いと思ったからです。 また陪審裁判でうまくころんでアパートに居続けることができても過去にたまった家賃は支払わなくてはならなくなる危険性があったからです。 だめでもともと、私は心配そうに見つめる家族の刺激を最低限に押さえるために法廷前の廊下に待たせ、裁判官と相手方の弁護士が待つ裁判官の控え室に分厚い医療記録を携えて向かいました。 私のアシスタントが依頼人家族と良い話し相手になってくれていたようで、私は調停バトルに専念することができました。 相手方の弁護士は私より背の低いユダヤ人弁護士で、裁判官はアジア系の女性でした。相手方の弁護士はまったく無表情で原告側の主張を謳いました。 まあ、もっともな論理です。 家賃を払っていないということを強調しているだけですから。 私は熱をいれて、陪審員を前にしているように被告である依頼人の病状、また今まで八年間もそのアパートに住んでいて家賃を滞納したことがないこと、今放り出されたらベイエリアの住宅事情では他を探せないことなど、できる限りの弁論を展開しました。 とにかく引き下がらずに丁寧に口を動かしました。 相手の弁護人はいきなり事件に入ってきた私が疎ましいようでしたが、私には関係ありません。 いい加減にしびれを切らした原告側代理人は「What do you want?]と聞いてきました。 私はすかさず、今までの家賃を無しにしてくれ、そして次の六ヶ月間ただで居させてくれ、と頼みました。 自分でも図々しいと思いましたが、原告代理人は顔を真っ赤にして無礼だ、陪審裁判だと手を振り上げていました。 裁判官もちょっと困っていました。 裁判官が「六ヶ月間といってももうちょっとリーズナブルな和解案はないでしょうか」と私の目を見ていいました。 私は心で「にやり」としました。 相手の弁護人だけではなく裁判官にも「向こう六ヶ月間」という枠で考えさせることに成功したからです。 私は、いったん依頼人に方向性を確かめると言って法廷を出ました。 外にでて何をする事もなく深呼吸して体を動かし、第二ラウンドに戻りました。 それから、一時間ほど揉めに揉めましたが、今までの家賃については大家が泣くこと、もう一ヶ月分無料、そしてプラス五ヶ月間は家賃を払うことを前提に居住できるという条件を引き出し、和解が成立しました。 結局私が欲しいものはすべてもらえた結果でした。 簡単な和解書を作り、法廷の外の廊下にでると依頼人の家族が心配そうに座っていました。 私は親指を立てて、大きく笑いました。 子供はキャッキャ騒いでいましたが、依頼人の夫婦は本当に安心したようです。 病気の顔にも笑いが見え、和解書に病気でふるえる手で一生懸命署名をしていました。 これで、この家族は何とか冬は越せると思い私もほっとしました。依頼人の家族はサンクス・ギビングやクリスマスに住むところがあってよかったと何度も神に感謝していましたが、別れ際に依頼人の七歳になる子供が、私に「将来テレビ番組にでてくるような裁判官になりたいと思っていたけど、弁護士になることに決めたわ」と言ってくれました。 その子の頭をなでて満足そうなアシスタントと私は法廷を後にしました。
 帰りの車で、私の心の中で熱いものがふつふつと沸いてきたのに気づきました。 弁護士になった当初の情熱を感じ、思い出を回想したりしました。元気な弁護活動をこなしていく糧ができました。
 夜、家に帰りウイスキーの水割りを口にしながらテレビを見ているとサンフランシスコのホームレスが一人寒さで死んだことを報じていました。 唇を噛みしめました。 私はスランプを脱出したようです。 また毎日がんばっていけそうです。 気分が乗るとお酒もおいしい、呑んでソウロウ。

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